プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(前)】
頭を抱えていると、どこからか声がしました。
(悩む必要はありません)
「えっ? 誰?」
(あなたも私も、彼らを助けることになっていた。それは、はじめから決まっていたのです)
「そ、そんな……なにもかも運命なのですか?」
(予定になかった出来事なら変えることができます。ですが、今回のことについては、あなたも私も、生まれる前に計画していたのです)
「あなたは、神様なのですか?」
(万物が神であると、教わりませんでしたか?)
「理屈では習いましたけど……まだ、わかったつもりの段階です」
(では今こそ、自分も神であると実感するときです。直感で決めたことを信じなさい)
「それでは鳥の命が……」
(鳥かごの中は退屈でたまりません。葉っぱをかじることもできない。ああ、早く『あちら』へ帰って、自由に飛びまわりたい)
「ま、まさかあなたは……」
私はあわてて事務所へ走り、ランタンを引っつかんできて、小屋の中を照らしました。
カゴの中の小鳥は、息絶えていました。
「そんな、そんな……」
悩んでいたせいで、小鳥を救うチャンスをのがしてしまった! カゴを持ち出して逃げることもできたはず。いや、それでは人々の命が……。
「うあああああ!」
私は夜が明け、早番の鉱夫たちが出勤してくるまで、泣いていました。
朝のサイレンが鳴りました。
社長とダガーさんが物置小屋にやってきて、小鳥の様子を調べました。
社長は動かなくなった小鳥をカゴに戻すと、私に言いました。
「君の言ったことを、信じよう」
「……」
私は膝を抱えて地べたに座っていました。今は何も受けつけられません。
「ダガー、あの坑道は完全閉鎖だ。鉱山長に伝えてこい」
社長の命に、ダガーさんはうなずくと、事務所へ駆けていきました。
スーツ姿の青年は、私の手をとって立たせると、言いました。
「何をそんなに悲しんでいる。勝ったのは君だ」
「小鳥は、どんなことがあろうと、ギリギリのところで助けるつもりでした。私の考えが甘かった……」
「これだから女は……」社長はため息をつきました。「たかが小鳥一羽じゃないか」
「!」
私は言い返そうと睨んで、すぐやめました。
会社の利益のためなら、人を捨て駒にするような男です。いつか報いがくるでしょうけれど、もう私の物語には関わってほしくありません。
「犠牲者が一人と一羽で済んだのは、不幸中の幸いでした。どうか丁重に弔ってあげてください。では、私はこれで」
湧いてきた涙を見られぬよう、私はさっと背を向け、街へ通じる砂利の坂を下っていきました。
第二十三話 砂漠の民
アスペンの町を出た私は、何も考えることができず、気がつけば道なりにふらふら歩いていました。
人が踏み固めた程度の道が、草原の間をどこまでも縫っています。足下ばかり見て歩いていたせいで、見知らぬ場所に迷いこんでしまいました。
小鳥といえど、救えるものも救えない癒師なんて、このまま行き倒れになったほうがいい。正気を取り戻してからも、そんな投げやりな気分で、あてのない徒歩の旅をつづけました。
しばらく行くと草原が終わり、小高い山のふもとに出ました。細い道は山のほうへつづいています。
「フン、このくらい」
私はトランクの持ち手を変えて、歩みだしました。
山道を三分の一も登らないうちに、息が切れてしまい、私はトランクの上に腰をおろしました。
ハイキングには向かない装備なのはわかっています。でも、このくらいの山は中学生のときにさんざん登ったので、慣れているはずなのです。
私は水筒の残りを飲み干すと、トランクを持ち、再び頂をめざしました。
「ゼ、ハ、ゼ、ハ……な、なんで、こんなにきついのかしら?」
同じ重さの荷物でも、背負うのと手に持つのとでは大違い。それに気づいたのは、山の頂にある境界石柱にトランクを立てかけたときでした。
「境界? アスペンの先に町なんて……」
地図を開くと、南に下っていたことがわかりました。
この先にはゲンティアという村があり、さらに行くとチコリ砂漠——チコリ盆地ともいいます——に出るようです。
顔を上げて遠くを見渡すと、たしかに黄土色の絨毯が広がっていました。あの砂漠を三百マース(一マース=約一キロ)行って、また山を越えるとサウスチコリの村。そこまで行けば、西の都オピアムはもう目と鼻の先です。
地図の上では簡単に見えます。でも、落ちついて考えてみると、砂漠には日陰もなければ水場の保証もありません。
「やっぱり引き返そうかな……」
そこでふと、ある先輩癒師の旅行記の一文を思い出しました。
『砂漠地帯には隊商がいて、言い値のお金を出せば、都まで運んでくれるというが……』
お日様は西に傾きはじめていました。水筒に手をのばすと、もう空だったと気づき、がっかりしてトランクに放りこみました。
「急がなければ」
私は早足で坂を下っていきました。
「ハァハァ……」
頭がもうろうとして、今どこを歩いているのかわかりません。空はすっかり暗くなり、星が見えはじめています。
水がない上に急いでしまったせいで、喉はカラカラ、膝はガクガク。ガレ場で何度も足を滑らせ、あちこち擦り傷だらけです。木の葉をしぼって水分を得ようにも、この辺りはもう砂漠がせまっていて、枯れた草木しかありません。
私はこれ以上歩くことができず、トランクを持ったままその場にへたりこんでしまいました。
「自分可愛さに、小鳥を救えなかったんだもの。当然の報いですよね?」
星々はなにも答えてくれません。
たとえ鉱山の主が採掘を強行したとしても、私が身を粉にして働けば、鉱夫たちのことは何とかなったかもしれません。耐えていれば、他の癒師が聞きつけて助けてくれたかもしれない。あの社長が何かの事件で失墜して、鉱山そのものが閉鎖になったかもしれない。
私はまだ起こってもいない悪いことを、当然のように決めつけ、目の前の命を疎かにしたのです。
「お父さんお母さん、アンジェリカ学長。帰れなくて、ごめんなさい」
私は乾いた土の上で仰向けとなり、目をつむりました。
そこは一面の花畑でした。
花は色も形も一つとして同じものはなく、それでいて知らないものばかり。辺りはどんなに目をこらしてみても、山も道も建物もなく、人の姿もありません。
ついに私も、あの世へ還ってきてしまった……。
いえ、ちょっと待ってください。
正確には、肉体を持たない進化した魂たちがあの世へ連れていってくれる前の、待合所のようなところだったと思います。地上で愛した自然物に囲まれると、癒術学校で学んだ記憶があります。
(そこで何をしているのですか?)
どこからか女の声がしました。
「私はたぶん、砂漠の近くで命尽きて、ここへやってきたのだと思います」
(目の前の命を疎かにして?)
「そうです。私はきっとその報いを受けたのでしょう」
(報い……報いとはいったい何でしょう?)
「手を下したことには、必ず責任を取らねばならないと教わりました」
(あなたはもう充分責任を果たしたではありませんか)
「いいえ、私は……」
(数千という命を脅かす可能性を絶ったのです。それ以上に何を望むのです?)
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(前)】 作家名:あずまや