蝶
共犯
恵比寿のバー「シエラ」は会員制のバーだ。
知る人ぞ知る、芸能人御用達のバーであることで、週刊誌カメラマンの間でも有名だった。
オーナーが若い頃に俳優だったらしく、芸能人に対して好意的な店だ。訪れたことはないが、店内は、カウンターとテーブル席、それに個室が二つほどあると聞いた。
お忍びで訪れる芸能人は、必ず個室を予約するという噂だった。
「シエラ」が芸能人に人気の理由はそれだけでは無い。
店のスタッフは、たとえ有名アイドルがカップルで訪れても、決して、それを外部に漏らすことは無いのだ。
昨今は、たとえ高級店であっても、店のスタッフが小遣いほしさに週刊誌にたれ込むことが多い。その点、そういったスタッフの教育も「シエラ」では徹底していた。
その口の堅いことで有名な店が、警察ならともかく、一介のカメラマンである透にスタッフが口を割るはずもない。
ただ、「シエラ」はお忍びで訪れる芸能人が多いため、スクープ撮りたさに張り込む記者も多かった。運よよければ、昨日張り込んでいた記者がいるかも知れないのだ。
西嶋はるかは店には来なかったと、記者仲間から証言が取れれば、はるかのアリバイは崩れるはずだ。
透は携帯電話で、某誌のカメラマン仲間である春日井に電話をした。
世間では、会社が違うと記者同志スクープの奪い合いで、他誌には決して情報を明かさないと思われがちだが、内情は案外そうでもない。
週刊誌カメラマンは契約であることが多く、会社への忠誠心が薄い。そのため、会社を超えて、カメラマン同志の仲間意識が強く、横の繋がりは外部の人間が思っているよりずっと濃いのだ。
電話をかけると運良く、春日井の声がした。
「はーい、春日井。」
「永森だ。忙しいのに悪いな」
「おお、永森か。どうした。なんかネタ掴んだか? 」
「いや、ちょっと確かめたいことがあるんだ」
「なんだ? 」
「昨日、恵比寿のシエラに西島はるかが来てたって聞いたんだが、誰か張り付いてたか知らないか」
「ああ、その事か。俺もシエラに張り付いてたよ。おまえ、来なかったな。ツイッター見てないのか? 」
「ツイッター? 」
「なんだ、知らなかったのか」
「ツイッターに何か流れたのか」
「昨日の夜中、ツイに情報がはいったんだよ。西嶋はるかが男とシエラで密会するってさ。だもんだから、昨夜はシエラに各雑誌社が勢ぞろいしたってことよ。おまえ、知らなかったのか? 詰めが甘いなあ」
「それで、はるかは現れなかったんだな」
「いや、現れたよ。夜中の2時頃だったかな。はるかが一人でふらっとさ。そのあとずっと一人で飲んでたらしい」
「2時か。確かにはるかか? 一人でか? 」
「ああ。店に入るのも一人、出るのも一人。ずっと張ってたが、結局それらしき男は現れなかった」
「目撃された女は、本当に西嶋はるかだったのか? 」
「しつこいねえ。薄いサングラスを掛けてたが、間違いないね」
はるかは、夜中の2時に記者に目撃されていた。夜中の2時といえば、睡眠薬で眠り込んだ透を乗せ、車を走らせていた時間だ。
黙り込む透に、春日井が言った。
「結局男は現れず、骨折り損よ。ツイッターの情報なんてあてになんねえ。まあ、だいたいがそんなもんだけどな」
「そのツイッターの発信元は調べたのか? 」
「そんなの、いちいち調べてらんねえだろう」
「そうだな、いや、助かったよ。何かネタがはいったらまた連絡する」
透は手早く礼を言って電話を切った。
車を突き落とした崖から、すぐにタクシーで戻ったとしても、2時に東京に戻れる筈はない。
はるかが運転してたのでは無かった。
つまり、はるかには、共犯者がいたのだ。