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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(後)】

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「は、はぁ、たしかに。しかしこの状況では……」
「症状は緩和できます。でも、家が残っている人は、帰宅さえできれば、私の施術など必要ないでしょう。そうなれば医師はもう、オーレン先生一人で充分です」
「えっ? 今患っている人の原因のほとんどが、そういうことなんですか?」
「だから、さっきそう言いました」
 エルムさんの顔に困惑の色を浮かびました。
「これが、癒術というものなのですか?」
「言葉で説明するのは難しいです。今は私を見ていてください、としか言えません」
 私は微笑みを返しました。
 そして窓を開け、足跡が消えかかった雪原に飛び降り、かんじきをはきました。
「自警隊を追い出すことができれば、プラムさんにこれ以上ご迷惑をかけなくてすむんですが……」
 エルムさんの白い息が風で流れました。
「あなたが捕まったら、誰が私を中に入れてくれるんですか?」
「あ……」
「また来ます」

 真夜中の施術は、証拠を残さぬよう、吹雪の日にだけ行いました。マーシュ村の冬の夜は晴れるほうが珍しいくらいなので、心配には及びません。
 私は村人の症状を、完治するには至らないまでも、命取りにはならぬよう食い止めておくことはできました。私自身は毎回しもやけになって、民宿に帰ってから、かゆいかゆいと大騒ぎでしたけれど……。
 ウォールズ隊が村人を解放する日まで施術をつづけるつもりでしたが、如何せん癒術は、術者の精神力を削るため、大人数を受け持つと疲労がたまっていきます。このままでは、患者より先に私が過労死するかもしれません。
 政治的な動きでも革命でも何でもいい、とにかく村人を家に帰してあげてほしいと、私は天に祈りました。

 施術をはじめてから一ヶ月、雪解けまであと一ヶ月というとき。祈りは思ってもいなかった形で叶えられました。
 その日の夜も、私はいつも通り吹雪の中を行き、図書準備室の窓から入り、中等部の教室へ向かいました。
 いつもの顔ぶれに、いつもの施術。顔色が悪いと心配される以外は、これといって変わりない日だと思っていました。
 隙間なく並べた机の上に、小さな男の子を寝かそうとしたとき、教室の戸口のほうから聞き慣れない声が上がりました。
「そこで何をしてるんです!」
 私はとっさにろうそくの炎を吹き消し、子供と一緒に村人衆の影に紛れました。
 白衣を着た壮年の男は、ランタンを持ってこちらへやってきます。医師団の一人にちがいありません。
「この机はいったい何ですか? 誰の指示で?」
 教室に沈黙が広がりました。
 白衣の男は咳払いすると、声を沈めました。
「エルム助役はいますか?」
 私は夜目を利かして助役の姿を探しました。今日は図書準備室で一度しか見かけていません。彼はいったいどこに?
「げりぴーだよ。おなかいたいってさ」
 男の子はこっそり私に耳打ちしました。
 エルムさんはトイレからすぐ戻るつもりで、見張りの代役を立てることを怠っていたのです。彼のミスではありますが、高齢の村長が地震の後すっかりぼんやりしてしまい、若き牽引者に忠告する人がいなくなってしまったことも問題でした。
 さっき会ったとき、どうして予知できなかったんだろう。今度は自責の念にかられました。過労は癒師の慧眼を鈍らせます。でも、日々の施術を怠るわけにはいかなかった。私のミスも彼のミスも、止めようがなかったとしたら、はじめからこうなる運命だったのでしょうか。
「こんな夜中に、何事ですか」
 エルムさんが教室に戻ってきました。
 平静を装ってはいますが、心臓のあたりのエネルギーの色や形が乱れています。見ようとしなくても見えてしまうほど、彼の心は後悔の念と緊張で埋め尽くされていました。
「あの仮設ベッドは、あなたの指示ですか?」
 オピアムの医師は言いました。
「そうですよ。夜中、急患があったらいつでも寝かすことができるようにね」
「我々には我々のやり方があります。勝手なことはやめてください」
「それは失礼しました。ところで、先生。最初の質問にまだ、答えていただけてませんよ」
 私はエルムさんの立ち回りに感心していました。あれほど心を乱していたら、普通は言葉が出てこないものなんですが……。
 白衣の男は眉をひそめました。
「皆さんの病状の経過が、ある時期を境に、我々の予想と大きくちがってきています。薬が劇的に効いたとも思えないし、暮らしぶりも変わっていない。残った疑問が睡眠のとり方だった、というわけで様子を見にきたんです」
「夜遅くなれば灯りを消して目を閉じ、朝日とともに目覚める、それだけですが?」
 医師はエルム助役の落ち着き払った顔を見て、ため息をつきました。
「そうでしょうね。チェックの項目が一つ減った、ということで今日は失礼することにします」
 医師が村人たちに背を向けたとき、事件は起こりました。
 私のそばにいたお婆さんが急に咳きこんだのです。久しくなかった緊張の空気に、体が反応してしまったようです。
「大丈夫。ゆっくり横になってください」
 私は思わず口に出してしまいました。
「む?」白衣の男は向きを変え、声がしたほうへつかつかやってきました。「私の記憶が間違っていなければ、この部屋の避難者に若い女性はいなかったはず。部外者が混じっているようですね」
 お婆さんの咳はまだ止まりません。
 医師はランタンを揺らして、なおも犯人を見つけようとします。
 私はたまらず怒鳴りました。
「今はそれどころじゃないでしょう!」
 灯りが私の顔を照らします。
「その黒衣……民宿がかくまっているという癒師か! 私の患者に何をしている!」
「『私の』患者、ですって?」
 ここで我を見失って施術を止めたら、癒師の名が廃ります。私は医師のことを見向きもせず、咳きこむお婆さんに手をかざしながら答えました。
「犯人探しに夢中で、患者のことを忘れた人が何を言うんです。村人の病が良くならない理由が、あなたの態度を見ていてよくわかりました」
「私がやる。どきたまえ!」
 男は私の肩に手をかけた……と同時に尻餅をつきました。
 エルムさんが白衣の襟をつかんで後ろへ引っ張ったのです。
「何をする!」
「わからないんですか? プラムさんは、あなたに医師をやる資格はないと言っているんですよ」
「私を侮辱したこと、後悔するぞ」
 白衣の男は鼻息を荒くして教室から出ていきました。
 すると、お婆さんの咳はぴたりと止まりました。
「なるほど、そういうことでしたか」
 私とお婆さんは笑顔を交わしました。
 これで今日の仕事は終わりました。
「すぐに帰ったほうがいい。準備室まで送ります」
 エルムさんが私の手を引き、教室を出ようとしたとき……。
 たくさんの足音が近づいてきて、戸口に人壁ができました。ウォールズ隊の兵士です。
 私たちはひるんで一歩下がりました。
 人壁の真ん中がさっと開き、太った少佐が教室に入ってきます。
 少佐は寝起き眼(まなこ)の不機嫌顔で言いました。
「極東の魔女め。まだこの村にいたのか」
「プラムさんは魔女なんかでは……」
 エルムさんの言葉を、少佐は大声で遮りました。