プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(後)】
「うむ。なら、これからガラクタの片付けを手伝ってもらおう。その代わり、宿代は十割引じゃ」
第十九話 数字のない病
新暦二〇二年 冬
マーシュ村に冬が訪れました。北極圏を脱しただけあって、寒さは最果ての村ほどではありませんが、海からやってくる雲が湿った雪を多く降らせるため、建物が埋もれてしまわないよう、雪かきは欠かせません。
どういうわけか、地元ラーチランドの救助隊と医師団は待っても待ってもやってきませんでした。
一方、ウォールズ隊の少佐は、二次災害の恐れがあり復旧作業が難航しているとして、村人を家に返そうとしませんでした。そうこうしているうちに雪が降りはじめ、豪雪で復旧どころではなくなってしまいました。
校舎の外にいる私とマンザニータさんも、各所の検問のせいで行く手を塞がれ、配給食を受け取りに小中学校まで往復するくらいしかできません。私に関しては特に監視が厳しく、どんなに寒くても校舎には入れてもらえませんでした。
そんなある日のこと。マンザニータさんが避難所から民宿に帰ってくると、エルム助役が黙って手紙を渡してきたというので、女将の部屋で封を開けることになりました。
『兵士の話を盗み聞きしました。どうやらウォールズ国は、マーシュ村の温泉を欲しがっているようです。自警隊は災害復旧する気などなく、調査のために我々の自由を奪っているのでしょう。それと、ラーチランドは雪獅子の疫病問題で期待の新資源が取れなくなり、経済的に苦しんでいます。近々、政治的な取引で国境が変わるかもしれません。我々村民はウォールズ国民になるか、他の村へ移住するか、選択を迫られるでしょう』
女将は手紙をテーブルに放ると言いました。
「戦はとっくの昔に終わってんだ。国境なんざあってないようなもんだ。権利だとか利益だとか、男どものバカだきゃあ治ってねぇな」
「……」
私は黙っていました。国の外交の話にどうこう言える知識も立場もありません。
「あんたは、どう思う?」
「どうもこうも、私は患者のことが心配です」
「医者どもは困ってたねぇ。検査じゃ正常なのに、具合悪りぃのは消えねぇんだとさ」
「やはり」
私の予感は当たりました。
その日の吹雪の夜。
私は兼ねてから計画していた作戦を実行に移しました。
マンザニータさんに防寒着とかんじきを借り、私は検問のない雪深い森を行きました。
やがて学校の裏に出ると、鍵のかかっていない窓を探しました。
「作り話のようには、いかないか……」
自警隊を甘く見ていました。鍵のチェックは怠っていないようです。さらに、計画のほうにも手落ちがありました。避難者がいる生徒用の教室は校門側にあり、裏庭側は校長室や理科室など震災後は滅多に人が入らない部屋ばかりだと、今になって気づきました。
私は吹き上げる雪にあおられながら、誰か姿を見せないか、レンガ造りの校舎に沿って行ったりきたりしました。
誰もが寝静まる時刻に、寒い廊下をうろつく人など、いるわけがありません。この作戦はどう見ても失敗でした。
「どうしよう……」
このままでは顔が凍傷になってしまいます。でも、遭難覚悟で雪の中を進んできたのに、何の収穫もなしに帰るのは嫌です。
鼻が腐るのが先か、灯りが見えるのが先か……。
「やっぱり帰ろう」
お嫁に行くのを諦めるにはまだ早すぎます。
かんじきのひもが緩んでいたことに気づき、私はしゃがんで手を伸ばしました。でも、手がかじかんで玉結び一つ作れません。
毛羽立ったミトンを脱いで、両手に息を吹きかけているとき、窓が開く音がしました。
「プ、プラムさん……そこで何してるんです?」
見上げると、ランタンを持ったエルム助役がいました。
「エ、エルムさんこそ」
「寝付けなかったので、一人で考えに耽ろうと。そんなことより、早く中へ」
新雪の上では踏ん張りがききません。私はかんじきをあずけた後、エルムさんに引き上げてもらいました。
そこは使われなくなって久しい図書準備室でした。本棚はどれも空で、埃が積もっています。
エルムさんは、私がやってきた経緯を聞くと、あきれ顔で言いました。
「冒険家なら、あなたは確実に命を落とすタイプですね」
「ハハ……癒師でよかったです」
村人が指定された区域の外に出るときは監視役が付きます。幸い、図書室は範囲の中にありました。ただ、警備兵は夜間でも校舎内全域を巡回しているため、油断はできません。
「ところで、患者を見にきたんですか?」
「女将さんから、医者が困っていると聞いたもので」
「彼らはオピアムの国立病院から派遣されてきた、優秀な人たちなんですが、なんだか難しい顔をして話し合っていますよ」
医師たちは政府の企みがどうであろうと、自分の仕事をこなしているようなので、少し安心しました。
「オーレン先生は?」
「医師団の控え室、ええと、小学部の空き教室にいますよ。少佐は顧問って言ってますけど、実際はお飾りですね。患者に触ることもできなくて、一人でふてくされています」
「自由に動ける癒し手は、私だけか……」
エルムさんは窓の外を見て、顔をしかめました。
「毎年この時期、吹雪は夜明けになると収まります。足跡を残してはまずい。診察は三時間以内でお願いします。私は先に行って、騒がないよう村民に言い含めてきます。十分経ったら来てください。警備兵の巡回には気をつけて」
ランタンは目立つので、エルムさんがそのまま持っていきました。
私は自分の脈で十分を測りました。
準備室のドアを開け、壁に並んだ本棚伝いにそろそろ歩き、半開きになった戸口に顔を出そうとしたとき……。
足音が近づいてきました。二人!
私はあわてて身を引き、顔を振って隠れる場所を探しました。
「開けっ放しとは、行儀が悪いな」
ランタンの光が左右を照らします。
ドアが閉まり、足音が遠のいていきました。
私はカウンターの司書席の下からはい出して、大きく息を吐きました。
「もぅ、エルムさんったら……」
しっかりしているようなのに、彼は肝心なところが抜けています。
中等部の教室に入ると、小さなざわめきが広がりました。
「みなさん、起こしてしまってすいません。何か困っていることはありませんか?」
部屋にいた村人たちは、争うことなく列をつくりました。事前にエルムさんが順番を決めていたようです。列はほぼ年齢順でした。
「時間がありませんので、今日は診察だけやります」
一人また一人と、体に手をかざしていくうち、医師団が困っている理由がわかってきました。
慣れない所に長らくいたために、適応しようとする部分が過剰に働き、それが病人を苦しめていたのです。検査に引っかからないのは、人間のすべてを数値化したわけではないからです。
診察が終わると、私とエルムさんは図書準備室に戻りました。窓の外はまだ吹雪ですが、空は白みかかっています。
「どうでした?」
エルムさんは言いました。
「村人は家に帰りたくてたまらない。その一言に尽きます」
「いや、あの、私が聞きたいのは病状のことで……」
「家に帰れないことほど深刻な状態は、そうはないでしょう?」
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(後)】 作家名:あずまや