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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(中)】

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 ヒソップ博士はベストのポケットを開けると、草色の粉末が入った薬袋を山盛り、私に差し出しました。
 私は飢えた獣のごとく、がっと奪い取ります。
 あっと思ったときはもう遅く……。
 ヒソップさんは「わかるわかる」と大笑いしていました。
 私は目のやり場に困りつつ、言いました。
「な、何かお礼をさせてください」
「そういえば、君は癒師だったね。今の僕はいたって健康だし……じゃあ、いつかカレンデュラを訪れたときは、うちへ来て、遺跡調査の仕事を手伝ってもらえるかな?」
「よろこんで!」
 といっても、そこへたどり着くまで、一年以上かかるとは思いますけど。

 定期貨客船は、ラーチランドとウォールズの国境近くにある、マーシュ港をめざしてひたすら南下しています。
 私は寝ている時以外は貨物まみれのデッキへ出て、新鮮な空気を求めました。そうしていないと、外海の荒波を横に受けて走る船には乗っていられません。
 波風はあるものの天候には恵まれ、遠くはラーチ山脈の雪景を、近くには棚氷の青白い絶壁を望むことができました。崖の下には、崩れ落ちてから少し経った氷山が浮いています。
 氷山のところどころには、巨大な魚とも動物ともとれるような灰色の生物が寝転がって休んでいました。
 私はそれをもっとよく見ようと、欄干から身を乗り出します。
 そのとき、棚氷の一部が崩れはじめました。
 後ろからヒソップ博士の声。
「さがって! 津波が来るぞ!」
 私はとっさに身を引こうとしましたが、時すでに遅し。
 盛り上がっていく波に乗った帆船は、左舷に傾き、私は海へ真っ逆さまでした。
 落ちた勢いで海中深く入ってしまった私は、明るい方へもがいた……つもりでした。でも、海面は岩のように硬く冷たかった。
 この白いものは……氷山! 氷山の下に出てしまった!
 塩水でかすんだ私の目には、氷の天井がどこまでつづいているか、見当がつきません。
 い、息がつづかない……。
 ふと下を見ると、さっきの灰色の動物が二本の牙を見せて迫ってきます。
 ああ、私の体はあの鋭い杭に貫かれて、そして……。
「ぶはっ!」
 気づいたときは、海の上に顔を出していました。
 何が起きたのかと足もとを見ると、大きくなっていく黒い影が……。
 海獣は私に逃げる間を与えず、ふわっと背中に乗せると、平たい氷山の上に放り出しました。
「あっ! 無事だったか!」
 声がしたほうに目をやると、ヒソップ博士の姿が小さく見えました。彼が乗った帆船はもうずいぶん遠くに行ってしまった。
 氷の上で震えながら待っていると、船が方向を変えて近づいてきました。
 デッキにいた船員の一人は猟銃をかまえ、まわりの水面を狙って何発か放ちます。
「や、やめてください! あの動物は私を助けてくれたんです!」
 私は立ち上がって叫んだものの、すぐに足を滑らせ、腰を打ってうめきました。
「心配するな! 狙いは外させている!」
 ヒソップ博士は言うと、「よしよし! もういなくなった!」と大きく手を振って船員を制しました。

 帆船に収容された後、私はピオニー先輩にもらったボーダー服に着替え、客室で毛布まみれになって震えていました。癒師の象徴である黒衣は、船員がどこかへ持っていってしまいました。きっと今頃は、マストに張った縄の横ではためく、塩まみれの黒旗となっていることでしょう。
「災難だったね。でも、助かってよかった」
 ヒソップ博士は、ブリキのカップに入ったスープを熱そうに持って絨毯に上がり、私のそばに座りました。
「ろ、ろうも……」
 私は歯をがちがちいわせ、お礼の言葉もろくに言えません。
 スープを口にして、ようやく落ち着いてきました。
 南国の学者は言いました。
「さっき君を助けた動物のことなんだけどね」
「密かに神に祈った言葉が通じたんでしょうか?」
「あれはドッセイというほ乳類でね。彼はどうやら君をメスと間違えたらしい。メスは灰色のオスとちがって、毛が黒いんだ」
「そ、そうだったんですか」
 私は肩を落としました。まさか求愛行動だったとは。
「がっかりすることはない。私は驚いているんだ」
「えっ?」
「通常ならドッセイはこの時期、繁殖行動はしない。もっと寒くなってからのはずなんだ。君をメスと間違えたとは、断言はできない」
「そ、それじゃあ……」
 どんよりしていた気分に、光がさしてきました。
「実に興味深い題材だ。生物学の常識が覆るかもしれん。大学の同僚のために、ぜひ記録をとらせて欲しいんだが……」
 博士は不気味な笑みを浮かべて迫ってきました。
「もう一度、海へ落ちてはくれないかね?」
「ええっ!?」
 博士は私のひきつった顔を見るや、大笑いしました。
「ハッハッハ、冗談だよ、冗談!」
 南国カレンデュラの人は、葬式の翌日でも陽気に笑うと聞いています。その分、細かい気配りには欠けているのかもしれません。
 私は調子を合わせて苦笑いするしかありませんでした。
「……あはは、へ、へっくちっ!」

 貨客船は半日遅れでマーシュ港に到着しました。
 ヒソップ博士は、船を乗り継いでさらに南へ行くそうです。彼とは桟橋でお別れしました。
 マーシュの港はひっそりとしていました。貨物を積み替える人の姿くらいしか見えません。南へ下る、ディル行きの帆船に乗ったのは、博士と老夫婦が三組だけ。
 私は港を後にすると、村の目抜き通りを歩きました。ウォールズとの国境が近いとはいえ、ここはまだラーチランド。派手な色をした木造の建物が目立ちます。通りに商店や民宿はいくつかあるものの、人の姿はありません。その代わり、道端の水路のいたるところから湯気が立っています。地図には何の記号もついてないのですが、どうやらここは温泉地のようです。
「おんや、若いお客なんて珍しいね」
 上のほうから、女のかすれた声がしました。
 見ると、黄色い壁をした民宿の二階の窓が開いています。人の姿はありません。
 気のせいかと思い、地図をトランクにしまって進もうとしたとき……。
 きしんだ音をたてて玄関が開き、少し腰の曲がったお婆さんが現れました。
「こ、こんにちは」
「よく来れたもんだ。地図にも載らん土地なのに」
「私のには載ってました。温泉とは書いてませんけど」
「なんだい。知らないで来たんかい。てっきり、人生に疲れて、死にきれずにやってきたんだと思ったよ」
「そ、そんな大げさなものでは……」
 四分の一くらいは当たってますけど。
「ここはね、あの世へ行く前に、魂の汚れを落とす場所なのさ」 
 なるほど。南へ帰る船のお客が老夫婦ばかりだったのは、そういう訳でしたか。
「でも、一度死んで生まれ変わるという意味では、私は来るべきときに来たのかもしれません」
 お婆さんは、しわしわの顔に埋もれた口をニッと光らせました。
「へぇ、何やらかしたんだい? 詐欺か? 強盗か? 人殺しか?」
「それは……」
 私は言葉を詰まらせました。
「ま、こっちはお客が来てくれりゃ、なんだっていいさ。荒海の漁なんて知れてる。温泉がなけりゃ、マーシュなんてとっくに廃墟になっとるよ。あ、いい所に来たね」
 お婆さんは、通りかかった老警官を呼び止めました。