プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(中)】
私は癒師としてではなく、『秘薬を生み出す女神』として有名になりつつありました。『極東から送られた救世主』という声も聞こえます。評判が高まるにつれ、癒術の効力も上がってきて、仮設診療所は連日大盛況でした。
止まない雨はないとはよくいいますが、ずっと晴れていても大地は枯れてしまいます。
ある日のこと、子連れの婦人が浮かない顔で現れました。息子のテンカンは良くなったけれど、自分の咳はさっぱり治らないというのです。
疲れた顔の婦人は言いました。
「薬は飲んでます。一日三回、忘れずに」
「必ず治ると信じてください」
「信じてますよ。でも、むしろ悪くなってます。まさか、誤診ってことはないでしょうね?」
口では信じると言っていますが、実際、彼女の疑心は根の深いものだと、私は感じていました。こうなると厄介です。
「誤診ではありません。体質に合わない薬も中にはあるんです。今日は別のを出しますね」
婦人はぶつぶつ言いながら息子を連れて帰っていきました。
その日は、薬に頼らず私の癒術をしっかり受けている、重い腎臓病の青年もやってきました。
病のせいで浅黒くなった顔の青年は言いました。
「救いの女神にも、できないことってあるんですね」
「な、なぜ急にそんなことを?」
「先生は、必ず治すと言ってくれたけど……」
青年は私を信じてくれていましたが、こちらの能力が追いつかず、病は進む一方でした。今から思えば、なぜあんな安請け合いをしたんだろうと、悔やんでも悔やみきれません。
返す言葉に困った私は、常套句を口にしました。
「最後まで諦めてはいけません」
「その言葉、そっくりお返ししますよ」
青年はそう言い残して去っていきました。
数日後。子連れの婦人がまたやってきて言いました。
「ちっとも薬が効かない。絶対誤診よ」
私の見立てでは、彼女はどこも悪くありません。ただ、あらゆることへの不信感がストレスとなって、咳の引き金になっているのです。身の上を尋ねても何も答えてくれないので、どう対処したものか困っています。
婦人の長い抗議がつづいている最中、カーテンの外でハケアさんが声を荒げました。
「ちょっと、あんたたち、順番守んなさい!」
男の声がつづきます。
「いいか、あのプラムって女はな、手品の種を隠すために、知ったような口を利いてるだけなんだ。治った奴は、何もしなくても良くなる運命だったのさ。みんな騙されるなよ!」
別の男の声がします。
「俺さ、もらった薬を、高校の先生に調べてもらったんだ。そしたら、その辺に生えてる葉っぱだとよ!」
婦人はイスから立ち上がると、勝ち誇ったように言いました。
「やっぱりね。診察代がタダじゃなければ、詐欺で訴えているところよ」
婦人は咳の発作に苦しみながら去っていきました。手を引かれていく男の子は、カーテンが閉じるまでの間、申し訳なさそうな顔を私に向けていました。
子供は一人残らず癒すことができたのです。今、出ていった子の重いテンカンでさえも。なのに、大人はどうして……。
カーテンの外で、ハケアさんは言いました。
「今日の診察はこれで終いだよ! さぁ、帰った帰った。先生はご気分が悪いんだ!」
日を追うごとに、仮設診療所を訪れる患者の数は減っていきました。
癒術で治った人も、家業の傍ら科学をかじった青年たちにいろいろと吹きこまれ、私を避けるようになりました。本当の自分に目覚めたハケアさんだけは私をかばってくれましたが、夫のターキーさんは『偽薬に騙された派』に引っぱりこまれてしまい、家の中はなんともぎこちない空気が満ちていました。
私は偽薬の危うさを忘れて、人々のゆらいだ信念を過信し、癒術をすすめることを怠っていました。どうしても信じられないのなら、医者のところへ行けばいいと、言えばよかったんです。
そして……私が北の果ての村を訪れて、ちょうど三ヶ月という日。
重い腎臓病だった青年が亡くなったという一報を受けました。彼は私のもとを去ってから、全財産をはたいて北の都クレインズの病院へ入院しました。担当医は「もう少し早く来てくれれば移植のチャンスがあったのだが」と、臨終の後に語ったそうです。臓器移植自体まだ始まったばかりで一種のギャンブルと批判されることもありますが、少なくとも私の癒術よりは、生きのびる可能性があったと思います。
その日、たった一人残った患者である、身寄りのない少女の施術を終え、私はターキー夫妻宅を出ていくことにしました。
私は二階の玄関でハケアさんと別れの抱擁を交わしました。ターキーさんの姿はありません。
ハケアさんは言いました。
「あんた、顔色悪いよ? 一人で大丈夫?」
「私がこの村にいるとご迷惑がかかってしまいます。雪が降ってくるまでに、もっと南へ下らなければ……」
「雪って、まだ夏に入ったばかりじゃないか」
「は、はれ? そうでしたっけ? と、とにかく、お世話になりました」
私はトランクを手に持ち、階段を下りようと一歩踏み出しました。
本物の段は、感覚よりずっと下にありました。
「せ、先生! プラム、ム、ム……」
第十六話 白夜の岬
目が覚めるとそこは、誰かの家の居間でした。部屋には物がほとんどなく、私はボロボロになった長ソファの上で横になっていました。
「ここはいったい……」
キッチンの方から男の声がしました。
「心配ない。捨てられた家だ。漁では暮らせなくなって出ていったそうだ」
煮立った小鍋を持って姿を現したのは、長身長髪の美男子。
「オークさん!?」
私は起き上がろうとしたものの、力が出ず、どうとソファに沈みました。
オークさんは、要塞都市アグリモニーで会ったときは黒ローブ姿でしたが、暑いせいか今は黒いシャツだけです。
「話はこれを空にしてからだ」
私はふらつきながらも姿勢を正して、小鍋を受け取りました。
三日間寝こんで何も口にしていなかったにもかかわらず、食欲はほとんどなく、熱々だった薬草粥も、残り半分にした頃にはすっかり冷えていました。もう食べられないので、私は小鍋を脇に置き、記憶をたどることにしました。
「私、階段から落ちて……」
「落ちてはいない。私が抱きとめた」
「も、もしかして、仮設診療所を見張っていたんですか?」
「……」
オークさんは答えてくれませんが、どん臭い私にだって、それが明らかなことくらいわかります。
「どうして……」そこまで言って涙があふれてきました。「止めてくれなかったんですか」
「診療所の開業をか? それとも、腎臓を患っていた青年のことか?」
「全部です!」
オークさんは長ソファの端に腰掛け、しばらく間を置いてから言いました。
「命に関わる事がない限り、私は助けることができない。あの青年は、君が出会った時点で、私の手にも負えない状態だった。移植しても無駄に終わったろう」
「私はそんなこともわからずに、必ず治すだなんて……」
後悔の言葉を継ごうとしても、咽せて声になりません。
「自分の目がなぜ曇ったのか、私が言わなくてもわかるな?」
「はい」
「私が半人前の旅癒師を助けないのは、そういう訳だ」
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(中)】 作家名:あずまや