プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】
ドゥレヤさんは厨房に消えました。かと思うと、チーズケーキのかけらを持って再び現れました。
「おやつは増えるけどね」
どうやら、ミルラさんは私をからかっていたようです。ドゥレヤさんが手厳しいのは、男性相手に限ってのことでした。
私はいただいたケーキを頬張ります。
ドゥレヤさんは微笑むと、私の手をとって言いました。
「ミルラのこと、感謝してる。あの子ね、あたしとしか話さなかったんだ」
「わはひは、なにほ……んんっ、おうっ!? なにも」
「ラーチのチーズケーキは粘っこいから気をつけてね」
女主人はしたり顔で笑っていました。
どうも私は、ありがたくない才能を持っているようです。
こうして私は来年の春まで、カフェ『オーキッド』で、住みこみのバイトをさせていただくことになりました。
第十三話 雪獅子ウィロー
新暦二〇一年 冬
シルバーヒルの野山が一面雪でおおわれ、川が凍りつき、人々も獣たちも年の暮れを静かに迎えようとしていました。
そんなある日の夜。
最後のお客がコーヒーをちびちびやりながら、カウンターをはさんでドゥレヤさんと話こんでいました。
私はカウンターの端でひと休みするフリをして、聞き耳を立てています。
クレインズの北に広がる小高い針葉樹林帯をアロー高原といいます。毛玉だらけのセーターを着た堅太りの男は、そこから木材を運び出す仕事をしていました。
キャンディーというあだ名をもつ、下戸で有名な男は言いました。
「そんなわけでこれからは、その銀樹(ぎんじゅ)ってのが燃料の主流になるんだとよ」
銀樹とは近年、ある冒険家によって発見された、アロー高原の奥地に生えている固有種のことです。日の光が当たるとすべすべした白い幹が銀製品のように見えることから、そう呼ばれるようになったそうです。キャンディー氏によれば、銀樹を切ってできた薪は、他の木材はおろか、石炭の数倍も熱を出すため、工業の発展に欠かせないものになるとのこと。
銀樹が発見されるまでは、ラーチランド国民は漁業と林業中心で暮らすことに満足していました。しかし、戦争に敗れたことを心の底では認めていなかった彼らの多くは、いつかは経済戦でやっつけてやろうと企んでいました。そこに、今までの工業の常識を覆す、強力な新資源が現れたのです。
「これだから男ってのは手に負えないのよ」
ドゥレヤさんは、男の話になるといつも決まり文句を口にするのでした。
「まぁ、そう言うなって。シルバーヒルが銀樹輸送の基地になりゃ、この店にも金が落ちるだろうが」
「そりゃ……そうだけどさ」
カフェ『オーキッド』はバイトを一人雇うのがやっとの店です。お金の話になるとマスターは男の悪口を言わなくなります。
「ただ、問題が一つあってな。伐採が進んでこの頃は、雪獅子(ゆきじし)のなわばりとカブるようになっちまった」
「雪獅子?」
私は思わず話に分け入ってしまいました。どこかで聞いたはずだけれど、なぜか思い出せない。そんな名前でした。
「なんだ、知らねぇのか? ああ、そっか。嬢ちゃんは東っ端(ぱ)の魔女っ子だものな」
「魔女っ子……」
憎まれてるのか愛されてるのか、微妙なところ。返す言葉に困ります。
キャンディー氏は面倒くさそうな顔で話をつづけました。
雪獅子とは、かつてはアロー高原全域に生息していたネコ科の大型動物で、雪のように毛が白いというのが特徴です。雪獅子は毛皮が高価で取引されるため、一時期乱獲され、絶滅したとされていました。しかし、銀樹とともにその群れが再発見されてからは、天然記念物として保護指定され、捕獲禁止となったそうです。
私は頭の中で話をまとめました。
「雪獅子たちが逃げこんだ先が、銀樹の森の奥だった。銀樹の伐採を進めるためには、彼らをどうにかしたいけれど、法律が邪魔で手を出せない、ということですか?」
キャンディー氏はうなずきました。
「そう、それだ。最近は襲われて命を落とす奴も出てきた。次の選挙は、滅ぼしちまう派が勝つかどうかが焦点だな」
もし急進派が勝ってしまったら……。そう思うと、私の脳裏に黒い雲がたちこめました。問題は雪獅子だけではありません。樹木は庭の雑草のようにはいかないのです。
キャンディー氏は真っ暗な雪道を一人で帰っていきました。
男の丸い背中を見届けた後、私は一つの思いにかられるようになりました。
ともかく一度、その雪獅子を見てみたい。話はそれからだと。
年が変わり、正月休暇明けの早朝。
私はさらに何日かお休みをいただきたいと、ドゥレヤさんにお願いしました。
「年始は暇だから別に構わないけど。なに? デート?」
「いえ、その……観光です」
本当のことはまだ口に出せません。
「ミルラん家(ち)にこもった後、すぐ住みこみバイトだもんねぇ。いいよ、行っといで」
さらに言うと、その前は駅前の安宿に長く引きこもっていたんですが……。
私は支度すると、雪深い道を歩いていきました。凍った川にかかる橋を渡り、踏み固められた馬車道に出ると、街ではなく北の方へ足を向けました。
粉雪がちらつく中、しばらく歩いていると、後ろの方から馬の鼻息とソリを引く音が近づいてきました。
私はふり返ってよく確かめました。
空のソリ……クレインズ港へ木材を運んで帰ってきたところです。
私はあらかじめ白い布に書いておいたものを、馭者に広げて見せました。
馭者は馬を止めると、怪訝そうな顔で言いました。
「ああン? アロー高原? そりゃ行くけどよ」
「銀樹を一目見たいんですけど、乗せてもらえませんか? 直通の馬車がなくて困っていたんです」
「そんなんあるわけねぇだろ。ただ木が生えてるだけだしな。嬢ちゃんが期待してるような観光地と思ったら大違いよ。ま、最近は何もねぇところにこそ興味があるっていう、イカレた奴も少なくねぇけどな」
「私はどう思われても構いません」
馭者は馬車道の先に広がる雪山を見つめました。
「銀樹の森……あそこだけはやめておけ。雪獅子に食われたくねぇならな」
「私は癒術の修行をしている者です。足腰の痛みに悩んでいる林業の方々を癒す代わりに、銃を背負って森をガイドしていただくというのはどうでしょう」
施術をエサに取引することは、癒術界では禁じられていますが、生物界の荒廃に比べたら大したことではありません。
「乗せていったら、俺にもやってくれる?」
「もちろんです」
「ようし、こっからは急行列車で行くぜ。先生は特等席へどうぞ」
鞭がしなると、馬ソリは勢いよく走り出しました。
私は馭者の真後ろに立って震えていました。横からの地吹雪で体の右半分が真っ白になってしまうという、なんとも貴重な体験のできる特等席でした。
アロー高原の頂にある、林道沿いの小さな集落に着いた頃、私はすっかり雪女になっていました。集落といっても、材木会社の宿舎や事務所などが並んでいるだけ。生活感が漂ってこない、心が寂しくなるような土地です。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】 作家名:あずまや