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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】

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 学校ではいつしか鉄仮面と呼ばれるようになり、気づけば友達は一人もいなくなっていました。でも、ミルラさんはそれを何とも思っていません。顔を見ていれば、強がりではないとわかります。感情そのものを失ってしまったのです。
 いつからか、ミルラさんがまったく感情を見せなくなったことに気づいた両親は、さすがに心配して、地元の医者にかかることにしました。質問を重ねていくうち、医師は彼女からあらゆる『夢』が失われたことに気づきました。
 アドバイスに従い、両親はミルラさんのことをなるべく構うようにしたのですが、効果は見られません。
 困り果てた医師が出した結論は『時間が解決するだろう』でした。思春期にさしかかる頃、感情が不安定になるのはよくあることだと言うのです。
 その答えになぜか納得した両親は、またいつもの暮らし方に戻っていったそうです。
「な、なるほど。少し話が見えてきました」
 私は喉が渇き、声が掠れていました。
 事態は深刻です。しかし、ミルラさんは生きている人間。夢をなくしたとしても、好きなことが一つくらいはあるはずです。その辺りをつついてみることにします。
「ああ、ケーキは好物かもね」
 ミルラさんはぼそっと答えました。
「そ、それですよ! ケーキ屋さんになりたいとか、思ったことはないですか?」
「クレインズのスイーツ店は競争が激しいの。まず土地代が高い。それから経営にも詳しくないとダメ。美味しいかどうかなんて、その後よ」
「な……」
 なんという夢のない話でしょう。小学生の発言とはとても思えません。
「私は美味しいことが第一だと思いますけど。食べ物なんだし……」
「素人は何も知らなくて幸せよね」
「す、すみません」
 釈然としませんが、つい謝ってしまいました。
 でも、かすかな光明は見えました。ミルラさんは、お菓子屋さんになる夢を、以前は持っていたはずです。そうでなければ、あんなに詳しいはずがありません。
 個人の問題ならまだよかったのですが、家庭のことが絡んでくると、ハードルは一気に高くなります。せめてミルラさんだけでも元通りにしてあげたい。とすれば全寮制の学校に転校? でもお金が……。
 などと考えているとき、一階のほうで物音がしました。
 私がベッドから立ち上がると、ミルラさんは言いました。
「ママよ。あと十分もすればパパも帰ってくる。それからにすれば?」
 窓際に立って少し待っていると、男の人が小道を歩いてくるのが見えました。四十手前くらいで、身なりは公務員らしく整っていますが、顔に覇気は見られません。
「ついてきて」
 私はミルラさんに従って下の階へ行き、居間でくつろいでいるボローニさんと対面しました。
 お互いためらいつつ口を開こうとしたとき、ミルラさんが私の紹介をはじめました。まるで説明書をなぞるかのように、知っていることを一から十まで順を追って並べていきます。
 私がエルダーの癒師と知っても、ボローニさんは顔色を変えずに言いました。
「泊めるだけでいいなら構わんよ。好きにすればいい」
 母親のサルビアさんは、居間の奥にあるキッチンで野菜を刻んでいます。パーマがかかった栗毛は細部まで手が入っていて、都心の高級美容室に飾ってある写実画のようです。
 サルビアさんは、手を止めることなく言いました。
「ランチは出ないからね」
 なんといいましょうか、施術のために人様の家を訪れたつもりが、間違って民宿にやってきてしまったような錯覚におそわれています。
「で、では、私のやり方でやらせていただいて、よろしいですね?」
 ボローニさんは新聞を読みふけり、サルビアさんは鍋の汁をかき混ぜています。
「ダメなら、そう言うわ。もういいでしょ?」
 ミルラさんはもう廊下のほうへ歩き出しています。
 私はさっと頭を下げ、居間を後にしました。
 拒絶されたり過剰な干渉を受けるよりはましですが、放任というのもなんだか張り合いがありません。でも、贅沢は言っていられません。
 その日から私は、一日の大半をミルラさんの部屋で過ごすことにしました。


 第十二話 笑いと癒術

 私とミルラさんは、食事のときも寝るときも部屋で一緒に過ごしました。私はひたすら観察につとめ、彼女が学校のときは、得られた事実を癒術書と照らし合わせる、という日々がつづいていました。
 癒術の祖エキナスが原著とされる癒術書。大抵の病気について書いてありますが、失夢症のことは症例が載っているだけで、治療方法が見当たりません。長い年月の間に失われてしまったページに書いてあるのでしょうか。癒術学校の五年間で学べることは限られています。マイナーな病気は知識だけで終わってしまうことが多く、治療法があるのかないのかさえ知らなかったという次第です。

 秋も深まり、枯れ葉が舞い散るようになったある日のこと。
 私は相変わらず部屋の主の留守をあずかり、机に向かって分厚い本と格闘していました。
 類似した病気のあらゆる施術法を試しても、まったく効果が見られません。
「癒術にもできないことがあるのかしら」
 一人で弱気なことをぶつぶつ言っていると、ミルラさんが学校から帰ってきました。
「一から部屋を暖めなくていいのは楽ね」
「あぅ、すみません」
 暖炉の薪にかかるお金は大丈夫なのでしょうか。二ヶ月近くも置いていただいているのに、何の進展もお見せできないというのは、心苦しい限りです。
 私は机を明け渡し、ベッドの上で足を抱えました。
 ミルラさんは黙々とノートに何か書きこんでいます。
 成績は常に学年トップ。勉強が好きなのかと思いきや、「大学を出れば、食べられないことはないから」という答えが返ってきました。ラーチランドは基本的に学歴社会、彼女の言ったことは事実です。
 事実ですが「学科はなんでもいい。点数がよかったやつ」と言われると、なんともいえない寂しさを感じます。たとえ数学が百点で、癒術が十点でも、私なら好きな方を選びます。実際、私の成績は、筆記テストだけ見れば一般教養の方が良かったくらいです。

 ミルラさんの勉強時間と夕食が済むと、ランプの明かりの下、私はまた机に向かいはじめました。ペン立ての隣では、近所の雑貨店で買ったアロマキャンドルが灯っています。疲れてくると、暗いというだけで眠くなってしまうので、つんとする香りと炎の明かりの二段構えです。
 ミルラさんはベッドに座って、私の様子を観察しています。
 ページをめくる音と、夜風が窓をたたく音だけがありました。
 しばらくして、ふと窓の外に目をやると、白いものがちらついているのがわかりました。
 恐れていたことが現実になってしまった。ラーチランドに厳しい冬がやってきたのです。クレインズから北は北極圏。都をのぞいたほとんどの町や村が陸の孤島と化します。
 まさか、一つの街で半年も過ごすはめになるとは……。
「もうっ!」
 私は何もかも嫌になって立ち上がり、持っていた癒術書を天に放り上げました。
 しまった! そう思ったときはすでに遅く……。
 重たい本が翼を広げ、見上げる私の顔に落ちてきました。