プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】
坂を下りきると、丁字路の突き当たりで、道は二手に分かれます。小さな街の中心部はゆったり流れる川に沿った形で、道なりにつづいていました。標識を見ると、左手は『アロー高原』、右手は『シルバーヒル支所』『クレインズ都心』とあります。
役所に行けば何かわかるかもしれない。そう思って、私は馬車道を右手のほうへ歩き出しました。
河原に群生する黄色い花が目を引きます。あれはなんという種なんでしょう。薬効はあるのかしら?
などと考えていると、いきなり胸元に衝撃が走り、私は尻餅をつきました。
道端に長い栗毛をした十歳くらいの女の子が、鼻を押さえて立っています。
私がよそ見をしていたからでしょう。すぐに立ち上がって謝りました。
「別に、いいけど」
少女は表情を変えずに言いました。
左胸に紋章のあるジャケット。平たい鞄を背負っているところを見ると、きっと学校帰りなのでしょう。
「あの、失礼ですけど……」
私は夢を見なくなった女の子のことを尋ねようとして、ためらいました。噂になっているとはいえ、小学生が理解できるような話ではありません。
「見かけない顔ね」
「地図のずっとずっと東にある、エルダーという島国から来ました」
「あ、そう」
沈黙。
あ、あれ? 大抵の子供は、異国の話を珍しがって食いつくものなのですが……。
「えっと、私は癒師というお仕事をやっていまして、あ、でもまだ半人前の仮免でした。ちゃんとした癒師になるためには、旅をして本試験に通らないといけないんですが……」
私は要領を得ない説明を長々として、途中で後悔して口を閉ざしました。
「それで?」
沈黙。
会話がつづきません。なんでしょう、この苦手な感じは。それよりも、少女の好奇心の薄さが気になってきました。
私は名前や歳を言ったり訊いたりして足止めしつつ、透視を使って彼女のエネルギー状態を調べてみました。
胸から下の色分布がくすんでいて、何色だかわからないくらいです。そのせいで、頭のほうの気の流れも滞っていました。
この女の子……ミルラさんは、希望を持つためのエネルギーが極めて低い。
もしやと思い、一つ質問をしました。
「あの、ちょっと変なことを訊きますけど、最近夢を見たのはいつですか?」
「覚えてない」
「将来の夢は?」
「別に」
沈黙。
むぅ、遠回しすぎる質問だったかもしれません。
もじもじしていると、ミルラさんがつぶやきました。
「医者とおんなじこと訊くのね」
や、やっとまともにしゃべってくれた! 私は喜びをおさえつつ、話をつづけました。
「医者にかかった時のことを、詳しく教えていただけませんか?」
ミルラさんは表情を変えず、私の目を空かして遠くを見たまま、語りはじめました。
同じ物を永遠に作りつづける機械のようなリズムを前に、私は自分が誰だったか忘れてしまいそうな感覚におそわれました。
「は、はりがとうございます」
私は両手で顔を張って正気を取り戻しました。
ミルラさんはたしかに、噂の少女でした。数時間前、高台のカフェで昼食を待っている間、癒術書をめくって噂と照らし合わせてみたとき『失夢症(しつむしょう)』の項が目を引きました。家庭に問題のある子供に稀に見られる症状で、一言でいえば文字通り、あらゆる『夢』を見られなくなってしまう心の病です。内臓の炎症などのように急を要するものではありませんが、人生を左右しかねないという意味では、これも見逃すことはできません。
「まだ、何か?」
ミルラさんは帰る方向を見つめたまま、苛立つこともなく、私が道を譲るのを待っています。
「あなたのことを、ぜひ私に診させてください」
「私に言われても」
「そ、それもそうですね」
背が低くて顔も幼いですが、彼女は十二歳。あと三年もすればこの国では小学校の教員免許が取れる、大人の一歩手前です。とはいえ、未成年は未成年ですから、両親の承諾は絶対でしょう。
「来れば?」
ミルラさんは私をよけて、すたすた歩きはじめました。
私はあわてて後についていきました。
ミルラさんの家は、川沿いの馬車道から少し外れたところにありました。林を背にして、二階建ての木造の家が一軒だけぽつんと立っています。庭はあまり手入れされておらず雑草が目立ちます。近所の土地は、伸び放題の草木と朽ちかけた柵だけが残っていてました。さりげなく理由を訊いてみると、「ここじゃ、仕事ないから」とミルラさんはつぶやきました。
玄関のドアを開けると、ミルラさんは入ってすぐ左にある階段を上っていきました。
「あ、あの、ご挨拶を……」
「夕方まで誰もいないわ」
足音が遠ざかっていきます。
私は念のため「失礼します」と、廊下の方へ声を張って、二階へ上がりました。
ミルラさんの部屋は玄関の真上にあって、まっすぐ伸びた小道の先に川を望む、見晴らしのいい場所です。
部屋に入ってすぐ、私はマットの上で靴を脱ぎ、素足で部屋に入りました。部屋を出て家の中を歩くときは専用のスリッパを使います。これはラーチランド独特の習慣です。
ミルラさんはすでにラフなワンピースに着替え、机に向かっていました。
「宿題終わったら、好きにしていいわ」
「ど、どうも」
私はベッドの端に座って待つことにしました。友達でもないのに失礼かと思ったのですが、他に腰を落ち着かせるものがないのです。ベッドと本箱と机があるだけ。壁は真っ白で飾り一つかかっていません。これではまるで、安い素泊まりホテルです。
やがて、ミルラさんはテキストを閉じ、イスを動かしてこちらを向きました。
「診たければ、どうぞ」
透視を使って診察してもよかったのですが、今回は問診からはじめることにしました。心の病は生活習慣や環境が原因であることが多く、そこを直さなければ、たとえ癒すことができたとしてもすぐに再発します。
私は考えておいた質問をぶつけてみました。
ミルラさんは、まるで新聞記事を棒読みするかのように、家族のことを答えていきます。
父親の名はボローニ。クレインズ市シルバーヒル支所に勤める公務員です。平日は仕事柄、規則正しい生活をしていますが、休日になると都心へ出かけていって、プリックボールに興じているそうです。プリックボールとは、釘を打った傾斜台に点数付きの穴があいていて、下の方から玉を棒で突いて得点を競う、賭博の一種です。
母親の名はサルビア。基本的には専業主婦ですが、雪のない時期はよく近所の農園の手伝いに行っています。それは建前で、実はロクに作業もせず、女同士で駄弁っているだけなんだそうです。
毎週、同じことの繰り返しで、家族で買い物に行ったり遊んだりすることは滅多にありません。唯一、三人が時間を共にする夕食も義務のように済ませ、あとはそれぞれの世界に浸ってしまうのです。
ただ、はじめからそうだったわけではありません。ミルラさんが大きくなって、手がかからなくなるにつれて、三人の心の距離が開いていったのでした。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】 作家名:あずまや