プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】
その日の夕方。施術が一段落したようで、オークさんは「仮眠をとりたい」と言って、寝室から出ていきました。
私は追いかけていって、彼を呼び止めました。
「あの……ありがとうございました。そして、すみませんでした」
「仕事はまだ終わっていない」
「す、すみません」
「とはいえ、峠は越えた。ひと月も施術をつづければ、歩けるくらいにはなるはずだ」
私は申し訳ない思いとは別に、大きな疑問で頭がいっぱいでした。なぜなら、癒師はエルダー人でしかも女性にしかなれないはずなのです。
「その……一つ聞きたいのですが、あなたはどうやって癒師に……」
「去勢した。それで満足か?」
「はぅ」
私は変な声を出すや、顔に熱がこみ上げてきました。
オークさんが口にしたのは、男が癒師になれる唯一の方法です。男性の癒師はとても珍しく、旅行記を残した人がいたかどうかも記憶にありません。
オークさんはソファに深く腰かけて目をつぶると、言いました。
「私はしばらくここに残る。君は北へ進め」
「私、オークさんの施術を見て勉強したいです!」
「君が私から学ぶことは何もない」
「な、なぜですか? 優秀な先生の下につけば私だって……」
短い沈黙がありました。
黒ずくめの美男は、いら立った顔でつぶやきました。
「なぜ、この子なのだ……」
「えっ?」
オークさんはハッと目を開き、早口で言いました。
「いや、こちらの話だ」
「あの、それからもう一つ……私、監視されてたんですか?」
彼は難しい顔で咳ばらいしてから言いました。
「私は旅癒師の守護役を任されている。影の仕事だ、通常は顔を合わすことはないのだがな」
もしまた出会ってしまったら、それは私が癒術の名誉に関わる失敗をしたときです。
「も、もう会わないように精進します。おやすみなさい」
翌朝。
私はフランキさんたちにお詫びとお別れを言って、アパートを出ていきました。
駅までの道のりを、ずっと考えながら歩いていました。
今まで見た癒師のなかでも指折りの実力をもっている人だった。あと数年もしたらアンジェリカ学長と肩を並べるかもしれない。劣等生の腑抜けた精神を叩き直すにはいい機会だというのに、彼は学ばせてくれなかった。私には教える価値もないと、判断したのでしょう。
いつか、見返してやりたい。まずは門前払いを食わないだけの実力は身につけて、そして……。
頬がひんやりすると思ったら、濡れていました。
気づけば、アグリモニーの駅はもう目の前です。
「あれ? 地図……」
迷宮が描かれた地図は、トランクにしまったままでした。
アグリモニーから列車でさらに北へ半日ほど行くと、ラーチランドの首都クレインズです。東岸鉄道はこの先もありますが、街らしい街はクレインズが最後で、北極圏を越えるともう、漁村と針葉樹の森と氷河くらいしかありません。
ラーチランドの人口の八割を占める北の都で、私は再起を図るつもりでした。
ところが……。
病んでいる人を街で見かけても、身がすくんでしまって、声もかけられません。
夏の終わりまで私は何もすることができず、安宿の窓辺に座って、道行く人をただひたすら目で追うだけの日々を過ごしました。
第十一話 失夢症の少女
新暦二〇一年 秋
長期滞在ということで、かなり割引してもらったものの、二ヶ月近くも泊まっていれば、それなりに費用がかかります。
財布が薄くなってきたのを見て焦りはじめた私は、半ひきこもり状態を脱するべく、チェックアウトを決意しました。
社員三人バイト二人という小さなホテルのご主人は、私を癒師と知った後もこれといった感情は見せず、光った頭をかきながら「ときどきあんたみたいなのが来るんだよ」と苦笑いしていました。
ホテルを去ろうと玄関に立ったとき、私の怠慢ぶりを心配してくれていたご主人は、一つ情報をくれました。
「噂で聞いたんだが、高台のスレンダーヒル地区の娘でな、医者ではどうにも治せないってのがいるらしい」
「どんな症状ですか?」
「なんだったかなぁ……たしか、夢を見なくなったとか」
「夢というと、寝る時の、ですか?」
「いや、両方の意味でだよ」
癒術書にそんな感じの症例があったような、なかったような……。
私はお礼を言って、ホテルを後にしました。
クレインズ駅前から高台方面へは、馬車も出ていましたが、節約のため、私は歩いていくことにしました。
カラフルな壁と尖った屋根が並ぶ、北国の街らしい景色を……楽しんでいる余裕などありません。
「ぜぇ、はぁ……」
中心街が終わったと思ったら、いきなり急坂で、それが高台まで数マース(一マース=約一キロ)延々とつづくのです。地図では平らなのにっ!
ふり返れば、クレインズの港と、北極探検のために造られた帆船の眺めがとても美しいのですが、前を向くと石畳しか見えません。
「ああ、また抜かれた……」
鼻息の荒い、二頭立ての馬車が坂を上っていきました。北国の馬は丸太のように脚が太く、力仕事に向いているようです。
三時間かけてようやく坂を上りきったときはもう、腹ぺこでした。
坂の上のカフェに駆けこむと、まだ昼前で空(す)いているのをいいことに、ランチを二度も追加注文してしまいました。
カフェを出るとき、私は後悔しました。
「値段見るの、忘れてた……」
ここスレンダーヒル地区は、貴族の末裔や大商人、政治家などの自宅や別邸がある、高級住宅地です。当然、物価もそれ相当。原始的な欲求があると、ときどき頭がまわらなくなるので、気をつけねばなりません。
港湾を見下ろす高台は中心街にくらべると土地が狭く、館も庭も平地の豪邸に比べるとこぢんまりとしています。
さて、噂の病人をどうやって見つけ出せばいいのでしょう。私はとりあえず、高台を道なりにうろつき、邸宅を見てまわりました。
一時間もしないうち、警官を三人も見かけた私は、その度に早足で脇道に逃げました。
「ぜぇ、はぁ……」
どうしてこんな近所にいくつも交番があるんでしょう。地図を見ていて、一つ忘れていたことに気づきました。ラーチランドの冬は雪で道が閉ざされることが多いため、警察や消防の小分署が随所に散らばっているのです。
点在する交番を避けつつ行こうとすると、だんだん高台地区の外れに追いやられ、ついには坂を下って別の地区へ出てしまいました。
地図を見直すと、クレインズ都心の北西の外れで、『シルバーヒル地区』と書いてあります。低い丘の連なりが広がっている場所で、牧草地や畑の合間をはしる街道に沿って、古そうな家が並んでいるのが見えます。
警察アレルギーになっていた私はもう、高台に戻る気にはなれません。病人の噂が不正確だったことに期待して、時代から忘れ去られたような古い街並みの方を歩くことにしました。
シルバーヒル地区は、ラーチランドによくある派手な色の建物とは違い、素材の色を基調とした木造の家が立ち並んでいました。野原に溶けこむような家屋の色合いが、故郷エルダー諸島の町の雰囲気に似ていて、懐かしさのあまりホームシックにかかってしまいそうです。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】 作家名:あずまや