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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】

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 私は頭に傷を負ったフランキさんを癒すため、彼のアパートで二晩過ごしました。
 第一印象の通り、彼は地元の絵描きでした。でも、家の中に絵は一枚もありません。いちいち売らなければ食べていけないのだとか。
 傷がしっかり塞がったのを確かめた後、私はトランクを開けて荷物を整理しはじめました。あとは自力で治癒できると判断したら、出て行くのが旅癒師の決まりです。
「もう他の街へ行ってしまうのかね?」
 フランキさんは揺り椅子に座って、窓の外を眺めていました。視線の先は、手をのばせば届きそうな、向かいのアパートの窓際に置かれた鉢植えです。
「いいえ、アグリモニーにはもう少しいるつもりです」
 カスターランドで成果が上がらなかった分、私は北国の玄関といわれるこの土地で、修行の遅れを取り戻すつもりでいました。
「それはよかった。実は折り入って頼みたいことがあってな」
「なんでしょう」
 私は下着をたたむ手を止めて聞き耳を立てました。
「近所に幼なじみの子……といっても、もう婆さんだが、とにかく住んでいてな。難病に苦しんでいる。助けてやりたいが、私は見ての通りの貧乏画家だ。君の力で何とかできないかね?」
 難病……黒血病治療での失敗が頭をよぎります。
「私はまだ半人前の仮免癒師ですので、お力になれるかどうか……」
「大丈夫。君ならやれる。神が我らのために遣わせてくださったのだ」
「そ、そんな大げさな。ともかく診るだけ診てみましょう」
 私はのぼせた頭で、フランキさんの後をついていきました。

 老絵師の幼なじみはグレイスさんといい、彼の家から五分と離れていないアパートに一人で暮らしていました。若い頃は結婚の約束をしたこともあったけれど、いろいろあって、別々の人生を歩んだそうです。五十年経った今考えると、その選択は間違ってなかったと、フランキさんは言います。
「だが、笑って話せるのも、彼女が生きていてくれればこそだ」
 そう話をしめくくると、老人はノックもせずにアパート一階のドアを開け、勝手知った風に中へ入っていきました。
 寝室へ通された私は、ベッドに横たわるグレイスさんの姿を見て「あっ」と声をもらしてしまいました。
「石化病……ですね」
 徐々に筋肉が硬くなって動けなくなるだけではなく、皮膚も完全に水気を失って石のように灰色になってしまう難病です。大陸の医者なら大抵はさじをなげると聞きます。
「治せるかね?」
「それは……」
 私の今の実力では、わからない、としか言えません。
 在学中、石化病の患者はエルダー諸島に一人もいなかっため、実地見学の機会がなかったんです。先輩方の施術を一度でも見ていれば、かなりの確率で身に付くのですが……。
 そのとき、グレイスさんが小さくうめきました。
 フランキさんはベッドに駆け寄り、親友を励まします。
 グレイスさんのエネルギー分布をざっと透視してみると、大半は拒絶に使われていました。彼女はきっと、自分の醜い姿をフランキさんに見られたくないのでしょう。
 そんな二人を見ていて、私はたまらない気持ちになりました。
「私にやらせてください。ただし、一つだけ条件があります」
 条件を聞いたフランキさんは、「先生がそう言うなら仕方ない」と口にしつつも、肩を落として部屋から出ていきました。
 グレイスさんは安心したのか、顔に落ち着きの色が見えました。
 さて、問題はここからです。やると言ったからには、少しでも成果を見せなければ、癒師は信用を失ってしまいます。信用がなくなれば、私のような半端癒師は、術が通じなくなるのです。
 私はトランクを開け、分厚い癒術書を取り出しました。

 グレイスさんの寝室にこもってから一週間が経ちました。病状は悪化の一途をたどっています。
 私のほうは、癒術書とにらめっこしては書いてある施術法を試すという日々。小さな文字との格闘つづきで目の奥が痛いです。
 癒術書とは、遥か古代、エキナスという名の女性が独自に体得した癒術の内容を書き記したものです。現存する最古の版は何代目かの写本で、ページが失われたり、書き加えられたりして、オリジナルとは少し違ったものになってしまったと言われています。
 エキナスは当時無人島だった大エルダー島に、四十八人の夫——他に百人の孤児もいたという記述もあります——と渡り、子供を六十人以上産んだという伝説が残っています。エルダー諸島と大陸は、一時的な用事をのぞけば、人の出入りが極めて少ないため、エルダー人ならば彼女の血を引いているといっても過言ではありません。そのうち、なぜか女性だけが、癒術の素質を引き継いでいました。唯一の例外としては……。
「ああ、癒術史なんか読み直して、どうしようっていうの」
 私は本を閉じると、書きもの机に向かって頭を抱えました。焦りのあまり、自暴自棄になりかけています。書いてある通りにやっているのに、逆に石化の症状が進んでしまうなんて……。
 そのとき寝室のドアが開き、口ひげの老絵師が入ってきました。
「あっ」
 私は思わず口を押さえました。忘れてた! 今日は約束の面会日です。
 フランキさんは挨拶もそこそこに、ベッドへ近づいていきます。眠っているグレイスさんの手を取るや、彼は言いました。
「良くなっているようには見えないが。むしろ急に悪くなったような……」
「あの、えっと、これはいわゆる好転反応といいまして、良くなる前の一時的な症状なんです」
 私は繕い笑いを浮かべながら、心にもない大嘘をついていました。
「先生がそう言うなら、そうなんだろう。また来るよ」
 フランキさんが、煮え切らない顔で立ち上がったときでした。
 開けっ放しのドアの向こうから、男の声がしました。
「次に来たときはもう、彼女は天国へ旅立っていますよ」
「誰だね!」
 老人はこわばった顔で声を荒げました。
「そこにいる未熟な癒師は、偽りの言葉を並べて、解決策が見つかるまでの時間を稼ごうとしているだけです。都の雇われ医師と何も変わらない。人を変えなければ、きっと後悔しますよ」
 黒いローブをまとった長髪の美男が現れました。
「お、オークさん!?」
「プラム。君はグレイスさんを殺したいのか?」
「ま、まさか」
 私は急いで首をふります。
「ならばなぜ、できもしない仕事を請け負った」
「それは……医者に診せても無駄でしょうし、通りかかった癒師は私しかいないし……」
「万に一つの可能性に賭けるなら、彼に助言すべきだった。違うか?」
「!」
 私は両手で口を押さえました。涙が止まらない。
 その通りです。フランキさんの愛に賭けるべきだったのです。
「ここは私が引き受ける。よろしいですか?」
 老絵師は黒ずくめの男には答えず、私を見ています。
 私はうなずくしかありませんでした。 
「先生がそう言うなら、仕方あるまい」
 私はオークさんの施術を脇で見つめながら、ずっと涙を流していました。
 そこまで信じてくれていた人に、私は、私は……。

 三日後。グレイスさんの容態は回復に向かいました。
 オークさんの不眠不休の施術と、傍らで励ますフランキさんの信念がかけ合わさり、信じられないほどの浄化力が生まれたのです。