プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】
きれいな円をした要塞都市の中心に、城の絵が描いてあります。城址とあるので、戦争の後に解体されてしまったのでしょう。私はまずその遺跡を見て、それから今日の宿を決めることにしました。
核となる城址公園のまわりには、区画整理された官庁街と高級住宅街——旧上層民地区——があります。迷うことなくそこへたどり着くには、外縁通りをまわって反対側、西地区から入るしかなさそうですが、それでは日が暮れてしまいます。
迷っても人に聞けばいい。私は軽い気持ちで、古い建物がひしめく東地区の近道を歩いていきました。
枯れた水路に落ちた小人のような気分を味わいながら、建物と建物の間の狭い道を行くこと十分もしないうちに、もう迷ってしまいました。地図は持っているのですが、視界が道なりで目立つ店もないため、どこに立っているのかまったくわからないのです。道を聞こうにも、人の気配がありません。最初に見かけた人に話しかけようと思いながら、さらにジグザグ歩いていくと、小さな広場が見えてきました。
噴水の囲いに、少年たちが並んで座って談笑しています。
私は安堵を求めるあまり、小走りになって路地から抜け出しました。
そのときです。
「あっ、カスター軍の生き残りがいやがった!」
そばかす顔の少年が私を指さします。
「えっ? 私?」
「やべぇ、女戦士だぜ」
太った少年が身構えます。左手にはふっくらして焦げ目のある盾。あれはひょっとして……。
「いや、私は……」
「こん棒しか持ってないぞ。手負いの補給兵だ。押せば勝てる」
おかっぱ頭のメガネ少年が、キツネ色をしたサーベルの切っ先を私に向けました。
「こん棒? ハッ!?」
私は手にしていたイボつきのパンに目をやりました。これを持っていると敵とみなされるのでしょうか?
「突撃ぃ!」
そばかす少年の号令とともに五、六人の子供たちが、いっせいに襲いかかってきました。
私はこん棒パンを手放し、頭を抱えてうずくまりました。
少年たちは容赦なしです。
「や、やめてくださ……痛っ!」
香ばしい匂いに包まれながら、私は硬いパンの打撃を受けつづけました。
「おっ? ここでもやってるねぇ」
包囲の隙間から声の主を探すと、長いひげをたくわえた絵描き風の老人が通りがかっていました。
「た、助け……もごっ!」
開けた口の中にサーベルパンが突き刺さり、私は涙を流して何度もむせました。
少年たちは勝ちどきの声を上げると、さらなる敵を求めて、広場に散っていきました。
「ハッハッハ、災難だったねぇ」
「あれはいったい……」
私は立ち上がり、大事な保存食であるこん棒パンのホコリを払ってトランクにしまいました。
ひげの老人は私の様子を見て、旅人だと気づいたようでした。
「なんだ、知らずにやられっぱなしだったのかね? ラーチパン戦争祭だよ」
「戦争祭? ベスルートで千年長城のことを耳にしましたけど、何か関係があるんですか?」
「その通り」
老人はフランキと名乗り、祭の由来について語りました。
「カスターランドの王は大昔から代々欲張りでな、連中とは長城をめぐって戦いをくり返してきた。我らがラーチランドは最後の戦争には事実上敗れてしまったが、長城はついに落ちなかった。勇敢に城を守った者たちのスピリットを絶やさぬようにと、当時の兵士の子供らがはじめたことなんだ。最初は木製の武器で模擬戦をやっていたんだが、誰がけが人を治すのかだの、材木がもったいないだのと、女たちがうるさくての。それで、五十年くらい前からはごらんの通り、というわけだ」
駅前通りが静かだったのは、商売そっちのけで祭に参加しているからなのでした。
「それにしても、なぜ私は敵なんですか?」
「その黒衣だよ。カスター軍は黒い甲冑や制服が特徴でな、普通は大人の男の役目なんだ。稀に勇ましい女戦士もいるがね」
主役のラーチ軍兵士は子供たちで、女たちは鍛冶屋を務めるのが、祭りの慣わしなのだそうです。
「お祭りにしては静かな気もしますけど、戦いは他の場所でも?」
「多くは街の中心、城址公園に集まってるよ。近頃は乱戦が過ぎて、毎年けが人が出ているがね」
それでも見たければ案内してくれるというので、私はお言葉に甘えることにしました。
フランキさんは、日のかげりかけた迷宮を、立ち止まることなく歩いていきます。七叉路の一番細い道を選び、突き当たりにカフェがあって行き止まりかと思いきや、建物の脇の急な階段を上って花壇の平石を渡り、軒下のアーチをくぐってしばらく行くと、旧上層民地区に出ました。ここからは計画された街らしく、広い庭と庭の間の明るい道を行き、堀にかかる橋を渡って、やっと城址公園に到着です。
「こ、これは……」
私は橋のたもとで立ち止まり、その光景に目を見張りました。
フランキさんの予告通り、壊された城のかけらが残る広場では、誰が誰と戦っているのかわからないほどの混戦がくり広げられていました。これでは遺跡見物どころではありません。
土地の風物詩を遠巻きに楽しんでから宿を探そう、と考えているとき……。
背後から声がしました。
「危ねぇ!」
ふり返ると、フランキさんが頭から血を流して倒れていました。
高校生くらいの目つきの悪い少年たち三人が、怯えた顔で後ずさり、走って逃げていきます。砲弾を模した硬そうな丸パンが、石畳の上に転がっていました。
「病院はどこですか!」
私が叫ぶと、近くで槍パンを振りまわしていた長身の少女が西の方を指さしました。
人が倒れても気づかないほどの大混乱の中を抜けて、西地区へまわるのは得策とは言えません。私は頭をふって物陰を探しました。
ありました。屋根と壁が崩れ、らせんの石段が見え隠れしている、物見塔の遺跡。周りに縄が張ってあり『崩落の危険あり』『立ち入り禁止』という札がかかっています。
私はフランキさんを引きずっていって、縄をくぐり、夕日がふりそそぐ廃墟の中に入りました。
らせん階段の影まで行って、外からは死角になることを確かめると、私はトランクを開け、緑色の生薬軟膏が入った小瓶を取り出しました。
血が止まったのを見て、私は床に横たわるフランキさんの頭に両手をかざしました。
肉体が視界から消え、エネルギーの色や形だけがぼうっと現れます。後頭部に小さな赤い玉が見えました。それは徐々に膨らんでいます。
いけない! 私は急いでその玉に極細の針を刺すイメージを送りました。
「ああ、楽になった。頭が割れるかと思ったよ」
フランキさんは力なく微笑みました。
「今のは応急処置です。お家で施術のつづきをさせてください」
老人は私の肩を使って立ち上がると、つぶやきました。
「エルダーの癒師か。信じたことはなかったが……長生きはしてみるもんだ」
祭りの喧噪を離れ、東地区のアパートに着くまで、彼は私のことを「奇跡の女神」とか「先生と呼ばせてほしい」などと言って、ずっと褒めてくれました。
大都会の現実にもまれ、大陸の人間に失望しかかっていた私は、優しい言葉に持ち上げられてすっかりのぼせてしまいました。
第十話 オークの正体
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第二章(前)】 作家名:あずまや