プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(後)】
稲光はためらったように、高い所で明滅をくり返すだけ。
そうしている間にも、星々は光を失っていきます。
(もういいんです。私は疲れました)
女の声が頭に直接語りかけてきました。
「あなたはここで果てるつもりで、地上に降りてきたのですか? 私に医者と薬の問題を教えるために」
(わかりません)
「私はもう事実を知りました。でも、あなたはまだそこで踏みとどまっている。なぜです」
(それは……)
夜空の星はあと十個。やはり私の失言のせいで家族の信念にダメージを与え、寿命を縮めてしまったのでしょうか。言葉で説得している暇はありません。
「負担は大きいけれど、やるしかない」
私はエルダーの神話に出てくる『雲晶(うんしょう)』という奇石のことを強くイメージしました。
遥か昔、その石の力で空から降りてきた人々がいて、天変地異に苦しんでいた古代人に癒術や魔法の手がかりを残し、また天へ帰っていったそうです。
やがて海の上に、大きな玉が現れました。表面は透き通っていて水晶のようですが、中では白い雲が渦巻いています。
私が球の上に立つと、雲晶は黒い血をはじきながら海面から上がり、どんどん高度を増していきました。
大きな稲妻が真上から落ちてきました。
逃げられない……と身をすくめたとき、頭上でパッと花のように広がりました。私に興味を覚えたようですね。それを待っていました。
私は硬い奇石を蹴って高くジャンプすると、空の高みへ引いていこうとする光の筋に片手をのばしました。電光が私を包みます。
「拒絶しないで!」
私はうめきながらも、光の中に細い腕を見つけました。
雲晶が追いつき、足場を確保。
ここは気合いしかありません。
私は相手の手首を握ると言葉にならぬ雄叫びをあげ、全体重をかけて引っ張りました。
光の中からモネさんの半身が現れます。
喜んだのはつかの間。
モネさんは私の手を振りほどき、また光の筋の中へ帰っていきます。
ふと辺りに目をやると、私たちはすでに一番高い雲の上にあり、その隙間から、アルニカ半島が小さくなっていくのが見えました。
このままでは私も危ない。
「待って! まだ話が……」
そのときです。
ずっと下の方から、ティコ君の声が聞こえてきました。
あふれ出す感情に口が追いつかず、何を叫んでいるかわかりません。きっと枕元で泣きついているのでしょう。
モネさんは伸びきった光の筋に半身を入れたかたちで、留まっていました。
つぶやく声が聞こえます。
「……した」
「?」
「……出した」
「えっ? 何をですか?」
モネさんはふり返って言いました。
「思い出したわ。私にはまだ、この世でやることが残ってる」
突如、強い光が空のすべてを満たし、私は何もわからなくなってしまいました。
……遠くの方でいろんな人の声がします。なんだかうれしそう。結婚式でもやっているのでしょうか。
「ハッ!?」
がばと身を起こすと、私はなぜかベッドに横たわっていました。
モネさん夫妻の寝室……どこかへ運ばれたわけではないようです。
かすんだ目をこらします。モネさんと抱き合う父子の姿がありました。
「あ、起きた?」
ティコ君が駆け寄ってきました。
「た、立ってう……モネはんが」
あれ? 口がまわらない。
「そうなの。パパは奇跡だ奇跡だって、僕よりうるさいんだから。お姉ちゃんってすごいんだね。ただそばで祈ってただけなのに。もしかして天使さんなの?」
なんでしょう。耳の奥がごろごろいって、だんだん聞き取りづらくなっていきます。
「わ、わたひは、大したころしれません。モネはんの意志りゃ……あぶるぶく」
く、黒い波が私を飲みこんでいく。
「お姉ちゃん?」
「おぼれ……」
気がつくと、私は闇夜の下、廃油のような海でひとり溺れかけていました。
再び目覚めたとき、私は下宿の寝室にいました。
体が重くてベッドから動けません。暑いのですが、掛け布団をずらすこともできない。
おや? ベッドサイドに果実酒で満ちた瓶があります。透明なガラスなので色がわかります。葡萄酒かな? ラベルは貼っていないようですが……。
「やっと起きたわね。それ、飲んじゃダメよ。お酒じゃないんだから」
「ピオニー先輩?」
「ったく無茶するわよねぇ。あたしなら絶っ対断ってる」
「あの、何のことを……」
私はそこでハッと息をもらしました。
「はいはい、興奮しない」
先輩は私の額に手をあてて落ち着かせました。
ひんやりして気持ちいい。夏、雪室に顔を突っこんで遊んだ幼少の頃を思い出しました。
私は再び謎の液体を見つめました。
「瓶の中身はまさか……」
「そう、あんたの黒い血。あたしの施術の力が追いつくまでの分」
見せしめのためにとっておくなんて、先輩らしい。
私の場合は一時的な衰弱だったため、重症には至りませんでした。
「なんでこうなったか、わかってるんでしょうね?」
ピオニー先輩は目尻を引っ張ってうんと目を細くし、アンジェリカ学長の口真似をしました。
あまりにそっくりで、普段なら爆笑ものなのですが、今はとても笑えません。
「反省してます」
進行した黒血病の治療を単独で任せられるのは、素質があり、かつ経験を積んだ一握りの癒師だけです。それはわかっていたので、モネさんの説得に賭けたのです。幸い、ティコ君のおかげで、モネさんはこの世に留まる理由を思い出しました。あの子がいなければ私は道連れとなり、あの世へ渡っていたことでしょう。これが第一のミス。
モネさんは命をとりとめ、結果オーライですが、その後がいけなかった。行き場を失った病魔は、未熟のあまりエネルギーを浪費して無防備になった、私の中へ逆流してきました。第二のミスです。これを実技テストでやると、確実に追試。相手の風邪を治すつもりが風邪を引いてしまった同僚を、私は何人も見てきました。
「自分の身も守れないんじゃ、他人を助ける仕事なんて務まらないわ。できないことはできないと認めることも修行の一つよ」
ピオニー先輩は怠けているように見えても、癒師としての力量や気骨はまったく落ちていない。私はそれが不思議でなりませんでした。
「先輩はすごくできる人なのに……旅はつづけないんですか?」
「約束を忘れたの?」
「い、いえ……」
干渉すればもうここにはいられない。この体で今、追い出されても困ります。
先輩はしまったという顔をして、ため息をつきました。
「一週間も寝こんでた病人にプレッシャーかけるなんて、あたしもまだまだだわ。ま、遠くへ行くだけが旅じゃないってことよ。あんた、男の裸、間近で見られる?」
「えっ? あ、いえ……」
「ね?」
「は、はぁ」
癒術では主に透視力を使って診断し、体に触れずに施術を行うので、服を脱がす必要は滅多にありません。せいぜい皮膚病の確認くらいのものでしょう。先輩が言う旅というのは……いわゆる、その……。
と、ともかく芯は腐っていないようなので、先輩の問題は彼女自身に任せることにします。
黒血病の後遺症は思いのほかしぶとく、私はそれから二週間、ベッドの上で養生しなければなりませんでした。
第七話 医師対癒師
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(後)】 作家名:あずまや