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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(後)】

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第六話 黒血病

 ジンセンにやってきてから二ヶ月が経ちました。
 不本意ながらも活動拠点を確保し、ほぼ毎日街を出歩いたおかげで、私も少しは都会の人々に慣れてきました。近所限定ではありますが、黒衣姿を見て店から追い出そうとする人はいなくなりました。私の人徳の賜物なら良かったのですが、そんな訳はありません。美貌とお札があふれる、ピオニー先輩の友人ということが知れ渡ったからです。
 暮らしが落ち着いてきたのはいいのですが、癒術をまったく信じない土地柄では、腕を磨く機会がなかなか得られません。具合の悪そうな人を見かけても、大学病院前で患者たちともめた記憶が災いして、つい見てみぬフリをしてしまいます。
 この街にはもう留まっていられないと思いました。でも、少なくともここで一人は癒してからでなければ、次の土地へは行きたくありません。私の気がすまないのです。こだわりや執着は自分を苦しめるだけだと、アンジェリカ学長に教わりましたが、今だけは聞かなかったことにします。
 病院通りをずっと行った先の郊外。通りの外れにある、ツタの絡まる住宅群に囲まれた小さな広場で、そんなことを悶々と考えていたときでした。
 広場の中心の方から、子供のすすり泣く声が聞こえてきました。
 八歳くらいの色白の男の子が、錆色の六角柱——カスターランドに伝わるベラ教の記念碑です——を支える石台の段に、一人で座っているのが見えます。
 私は近づいていって、男の子の横に座りました。
 彼の名はティコ。「あそこに住んでるの」と言って、広場に面してすき間なく建てられた、二階建ての家の一つを指さしました。庭がない代わりに、窓という窓に花が飾ってある、この辺りではよくある中流家庭の一軒家です。
 私は泣いていた訳を聞きました。
 ティコ君のお母さん——モネさんといいます——は、血が黒くなって徐々に衰弱していくという不治の病『黒血病(こっけつびょう)』に侵されていました。往診の主治医は、かつては不治の難病だったが今や新薬が開発され、多くの人が助かっていると言います。モネさんはそれを信用して新薬の服用をはじめたのですが、いっこうに良くならないそうです。
 私は一つ質問しました。
「お母さん、体は強い方ですか?」
「ううん」ティコ君は首を横にふりました。「よく風邪ひくし、寒がりだし、やせてる」
 嫌な予感がよぎりました。
「あの、一度私に診せていただけませんか?」
「お姉ちゃん、お医者さん?」
「あ、う……ま、まぁそんなようなものです」
 胸の奥が痛みました。街なかで身分を堂々と口にできる日は、いつやって来るのでしょう。小さな子には違いを説明してもたぶんわからないと、心の中で慰めの言葉が響きます。
 ともかく私は、ティコ君の後についていきました。
 彼は玄関のドアを開けるや、だっと駆けていき、奥から父親——ウィードさんといいます——を引っ張ってきました。
 口ひげをたくわえた四角張った体つきの男は、私の姿を見るなり言いました。
「エルダーの魔女がなんの用だ」
「ティコ君に話を聞きました」
「で?」
「モネさんがなぜ良くならないのか、私には心当たりがあります」
「出ていけ」
 ウィードさんがドアノブに手をかけたときです。
 ティコ君が太い腕にぶらさがって泣き叫びました。
「白いの着た医者(あいつ)はウソつきだ。お姉ちゃんがいい!」
「これ! 離れなさい!」
「おくすりなんて、効かないじゃないか!」
 ウィードさんは茨の刺がささったかのように怯んで、ドアノブから手を放しました。
 私はその隙に中に入って、後ろ手にドアを閉めます。
「お、おい!」
「お代はいただきません。診せていただくだけでもいいですから」
 しばらく見つめ合った後、ため息がもれ、厳つい肩が落ちました。
「少しでも悪くなったら、警察に突きだすからな」
 
 モネさんは寝室のベッドで寝息をたてていました。見た目には、雑事に疲れて眠っているようにしか見えません。
 掛け布団をめくると、飾り気のないネグリジェに身を包んだ、細い体がありました。
 私は患者の横に立つと、頭から順に両手をかざしていきました。父子が後ろで見ていますが、かまいません。今回は信じてもらいたいので、公開施術です。
 モネさんは往診医師の診断どおり、黒血病でした。血管に沿うかたちで光が吸収され、そこだけ何も透視できません。周りが淡く光っているおかげで、そこに病魔が潜んでいると確認できるだけです。
 問題はそれだけではありませんでした。全身を包んでいる灰色の霧、医者が出したという新薬が、体の自然治癒力をブロックしていたのです。
 この病はもともとは不治ではありませんでした。生まれつき体の弱い人が無理をしたり、空気の悪い所で過労になった人だけが患うのです。田舎へ行ってただ休んでいれば、かなりの確率で治るはずです。戦後——二百年前の第四次アルニカ大戦後をさします——、医者が合成薬を使いはじめたために、異物を出そうと体の負担が増え、治るものも治らなくなった。それを不治の病と呼んでいたに過ぎません。
 医者が薬で治ると言ったのは、事実のほんの一部なのです。私たち癒師から見れば、薬を使って回復した人の方が運が良かった、と言いたくなります。
 そして、モネさんの主治医は、薬を使いすぎました……。
 診察を終えると、私は黒血病の真相を父子に伝えました。
「医者は余命一週間と言っていた。それでも療養すれば治せるのか?」
 ウィードさんは開け放したドアのところで立ち尽くしています。
「ここまで衰弱してしまっては……医者の見立ての通りかもしれません」
「そんな……」
 父親は泣く子を抱き寄せました。
 私は言ってすぐ後悔しました。なんという大失言。
 患者やその家族にとって一番の毒は、希望をなくす言葉です。患者の意識はなくとも、家族の信念があれば、奇跡的回復につながることもあります。余命一週間というのは、癒し手側の一つの見方であって、事実かどうかはまだわかりません。私の単なる憶測が、モネさんの寿命を縮めてしまったかもしれないのです。
 私は焦り、そして口走りました。
「さ、さっきのは一般論です。古今の癒師の誇りにかけて、全快させてみせます!」
 私はベッドのそばにひざまずき、モネさんの青白い手を取ると、意識の深度を下げていきました。

 気がつくと私は、夜の海に浮かんでいました。
「モネさんを探さなければ」
 仰向けから体を反転させ、平泳ぎで進むつもりでした。
「うっ!?」
 廃油のような臭気や手触りに、私は思わず顔を上げ、立ち泳ぎします。
「これが黒血病に侵された人の最期……」
 学校で習った知識と実際の体感とは大違いです。わずかに残った生気の粒が空で瞬いていなければ、私はひどい吐き気を催しながら自分を見失い、あの世とこの世の狭間を永遠にさまよっていたかもしれません。
 頭上の星が一つずつ消えていきます。時間がない!
「モネさん! どこですか!」
 私は叫びました。
「モネさん!」
 夜空の彼方、雲の隙間から小さな稲光が見えました。そこに向かってつづけます。
「まだ、あちらへ還るには早すぎます! ここへ降りてきてください!」