プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(前)】
行き先よりもまず考えたのは、今日の宿のことです。ホテルを探すかあるいは、病んでいる人を探して一晩お世話になるか。困っている人の存在を期待するなんて本末転倒ですが、かといって、ホテル暮らしがつづいて資金が底をつき、滞在費を得るのがやっとのアルバイトをくり返して、いつまでたっても先へ進めない、というわけにもいかず複雑な気分です。
そんなことを思いながら、足のおもむくままに街をうろうろしていると、いつのまにか大きな病院の前に立っていました。
ジンセン大学病院か……こんな巡り合わせも仕事柄、ということなのでしょうか。
前庭の木陰で様子をうかがっていると、彫刻が施された立派な門構えの玄関から、患者やその付き添いと思われる人がぽつぽつと出てきました。皆さんやつれていて、足取りが重いです。
手にしている大きな袋は、お菓子かなにかでしょうか。一人が中身を確かめています。
数ある薬袋の一つが開くと、手のひらに白い錠剤が出てきました。あれは化学合成薬ですね。薬草学の授業のとき、比較のために現物を見たことがあります。
何日か分とはいえ、あんな袋いっぱい服用するのでしょうか? 私には信じられません。嫌な予感がしたので、彼らの病状をチェックしてみることにします。
六人をつづけて透視してみたところ、一人残らず、体全体が灰色の霧に包まれているように見えました。
あれは病魔ではなく、薬自体が発している色です。
彼らの体を侵しているのは、病気だけではなかったのです。その色は二百年以上前の癒師の旅行記には一度も出てきません。第四次アルニカ大戦後の平和な社会で進歩した、科学の産物なのです。
私は患者たちを見ていて直感しました。
このままでは病気の前に、薬に殺されてしまう。何もしないで休んでいるほうが、まだ助かる可能性があります。
先輩癒師の多くが、旅の手記にこう書き残していました。
都会の病院には関わらないほうがいい、と。
でも、死なずにすむ方法を知っていてそれを伝えないなんて、とてつもない罪悪のように思えてなりません。
私は意を決し、薬袋をしまおうとしていた壮年の婦人に声をかけました。
「あの、そのお薬……」
「薬が何か?」
「飲まない方がいいですよ」
「なぜ?」
私はさきほど感じたことを話しました。
婦人は鼻で笑いました。
「何もしないで休めですって? なにバカなこと言ってんの。病魔を倒すためには、軍隊が必要なのよ」
ああ、彼女は何もわかっていません。合成薬のほとんどは敵味方の判断ができず、誰彼かまわず攻撃してしまうのです。さらに、自分の聖なる体はその軍隊を大抵は敵とみなすので、戦力を消費します。戦いが終わった後には、荒野が残るだけです。その代わり肉体を休めれば、内なる軍隊は余分な戦力を使わず、病魔の撃退に専念できるのです。
わかりやすく説明したつもりだったのですが、婦人は耳を貸してくれず、いつしか水の掛け合いじみた口論になっていました。
「だから、医者があなたを殺すと言っているんです!」
「それじゃ病院なんて成り立たないでしょうが!」
気がつくと、周りに人だかりができていました。そのうちの何人かが私の黒衣を見て言いました。
「癒師じゃないか」「エルダーの魔女よ」「オカルトペテン師め、今度は誰をだましに来たんだ?」「こいつは歩く医師法違反だ。警察を呼んでこい」
私は誰に答えていいかわからず、あたふたしました。
「ちょ、ちょっと待ってください。私はまだ大陸に来たばかりで何も……」
人々は聞く耳持たず、包囲の輪を狭めてきます。
なんという評判の悪さ。彼らの話を聞いていて一つわかりました。この国では、効かない薬を出す医者は責めないくせに、施術がうまくいかないと癒師はひどい目にあうのです。体にマイナスになることは滅多にないというのに。彼らは回復を急ぎすぎるのです。
私を警察に突き出すため捕まえておこうと、方々から手がのびてきました。病人相手とはいえ多勢に無勢。逃げ道はありません。無実を証明できなければ、最低でも一年は刑務所暮らしです。ああ、二十代の貴重な時間が……。
そのとき、体と体の隙間から白い手がのびてきて、私を包囲の外へ引っ張りだしました。
異様に丈の短いスカートをはいた若そうな女は、私の手を引いたまま、振り向きもせずに言いました。
「走るのよ」
「あ、あ……」
私は荒馬に引かれた橇(そり)のように、なすがまま走りました。
病院通りを郊外のほうへ少し行って、テーラーの角を曲がり、洗濯物のつり橋がかかる石壁の谷を右へ左へ、窮屈な階段をのぼって、路地裏の小さな噴水を見つけたところで、二人は息切れのあまり足を止めました。
「ハァハァ、ここなら大丈夫よ」
長い金髪を二本の三つ編みに結った女は、背中越しに言いました。
「ハァハァ、あの、どなたか存じませんが、ありがとうござ……」
「あら、忘れちゃったなんて、ひどくない?」
息を正そうとする女の顔に、見覚えがありました。
「ピ、ピオニー先輩?」
彼女は癒術学校の一年先輩で、クラブ活動や図書館などで何かとお世話になった——絡まれたともいいますが——方です。
「あんな成績でよく卒業できたわね」
先輩は笑いました。
「赤点さえなければ、卒業『だけ』はできますから。それにしても、その格好は?」
卒業生の修行の旅は、どんなに優れた人でも二年はかけます。心の成長がなければ本試験には通らないのです。ピオニー先輩もまだ旅の途中であり、黒衣に身を包んでいるはず。それが、真っ白なブラウスに加えて、はさみで切ったような短いスカートとは……。
「あ、これ? 今、街で流行ってんの」
「私、恥ずかしくてそんなのはけません」
「慣れよ、慣れ。ここに一年もいれば、ね」
「一年も? 旅はどうしたんですか? 黒衣は?」
「なぁに? 恐い顔しちゃって。ちょっと休んでるだけじゃないの。っていうかあんたさ、患者とケンカなんて最悪よ。ジンセンじゃ相手を選ばなきゃダメ」
口のまわる先輩は、それからしばらくダメ出しの嵐で私を圧倒しました。怠慢のことはもう、どこ吹く風です。
先人の教えを聞かず、警察沙汰になりかねないミスを犯し、私は落ちこんでいましたが、思い直して切り返しました。
「他の街はまわったんですか?」
「マグワートは魚臭いし、フォーンはただの市場でしょ? すぐここへ来たわ。あんたこそ、夏前にジンセン入りなんてずいぶん早いじゃない」
「わ、私には私の計画があるんですっ!」
「はいはい、わかったわかった」
先輩は笑いたいのを必死でこらえています。彼女は私の性格を知っているので、理由などお見通しなのでしょう。
先輩はつづけました。
「ところで、宿は取ってあるの?」
「探そうと思っていたら、あんなことになってしまいました」
「ジンセンは高いわよぉ。さっさと病人見つけないと、すっぽんぽんよ」
「ふ、不謹慎な言葉はやめてください」
「あら、マジなんだけど」
先輩は真顔になりました。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(前)】 作家名:あずまや