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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(前)】

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「しょうがないな。一晩だけならいいよ。ウチならタダだから」
「いや、ですから……」
「駐在所は民家とは言わないだろう?」
「あ、ありがとうございます!」

 村で唯一の駐在所は、駅から歩いて五分もしないところにありました。石造りの二階建てで、一階は警察の事務所、二階はグレヴィ巡査の住まいです。地下には留置場があるそうですが、ここ半年は空室なのだとか。
 私たちは事務所を素通りして二階へ上がり、ランプ明かりの下、軽く食事をしてお茶を飲み、それから互いの故郷の話をしました。
「百年に一度、大癒師が生まれる町メドウか……そりゃプレッシャーだな」
「ここ二百年、主席を出してるのは、南部のペリウィンばかりですけどね」
 今年もそうでした。ペリウィンは毎年のように秀才を輩出しているため、出身者は期待され、目立つ存在となります。
 そこで話がとぎれました。
 沈黙の後、グレヴィさんは鋭い目つきを私に向けました。
「その……癒師って、心の病も治せるのか?」
「万能ではありませんが、少なくとも軽くすることはできると思います」
 グレヴィ巡査は「銃が恐いんだ」と切り出しました。
 のんびりした村ですから、使う事は滅多にないのですが、いざというときのために訓練は欠かしていません。でも、グレヴィさんは銃をもつと恐怖のあまり平常心を保てなくなり、ひどいときは自分の頭を撃ちたくなる衝動にかられるそうです。
 これは過去、それも生まれる前の遠い過去に問題があると、私は判断しました。催眠療法を試みたいと申し出ると、大陸では『人を如意に操る呪いの術』とされているにもかかわらず、グレヴィさんは快諾してくれました。
 私は立ち上がると、若者をイスに座らせたまま、リラックスした状態へ導くための言葉を並べていきました。グレヴィさんは信心深いのか、すぐに首を垂れて催眠状態になりました。
 隣のイスに座り、深呼吸して瞑想に入ります。こうすると患者とビジョンを共有できるのです。

 ……グレヴィはかつてプラントという名で、カスターランド軍の兵士だった。
 時は二百年前の旧暦末、第四次アルニカ大戦中のこと。
 大敵である西国ウォールズに対し、味方の軍は攻勢だった。軍の上層部は長びいていた戦に決着をつけるため、首都ジンセンとオピアム(ウォールズの都)を結ぶ二都山道の頂、アイブライト峠に主力を送りこむ作戦を立てていた。
 二国をつなぐ主要な道はもう一つあった。港町マグワートを出て、手つかずの山をいくつか越え、大陸中部にある高原の湖へ抜ける、通称『毒の細道』だ。
 プラントの部隊は陽動作戦の先鋒に選ばれた。
 毒の細道は、峻険な山道の途中に、猛毒をもつ蛇や虫や植物などが群生している難所。大軍を配するのは古来からタブー視されていた。しかし、諜報戦の末に疑り深くなっていたウォールズ軍は、今度は裏をかいてくると見ていた。
 スパイの情報通りだった。ウォールズの大軍は湖畔で待ち構えていた。プラントの部隊は難所を越えてすでに疲労困憊だったが、国のために戦った。数を多く見せかけるだけの陽動部隊に力はなく、じりじりと後退していった。やがて敵の山岳部隊に先行されて橋を壊され、後がなくなった。
 我が部隊はこれまでだが、予定していた時間は稼いだ。今ごろ味方の主力はアイブライト峠の守備隊を蹴散らし、敵の都へ猛進していることだろう。これで戦争が終わる。
 刺された虫の毒が抜けず、銃弾を肩に受け、プラントは苦しんでいた。
 男は味方が降伏する前に、銃で頭を撃って自決した。
 肉体から自由になったプラントは、戦争が終わった後、命を縮めたことを後悔していた。
 同じように苦しんでいた仲間は、いったんは敵の捕虜となった。その後、味方が戦に勝ち、軍功が認められて手厚い保護を受け、残りの人生を豊かに暮らしたのだった。

「それはもう終わったことです」
 私は宙を漂っている男に言いました。
 ここは上も下もない灰色の世界。
 男は目を閉じて言いました。
「ああ、そうだな」
「今の体に戻りますか?」
「そうしよう」

 私とグレヴィさんは同時に目覚めました。
「なんだか、肩の荷が下りたような感じだよ」
 巡査は銃を実弾で満たすと、壁に向かって構えました。手の震えはなく、正気を失うこともありません。
 グレヴィさんは、机の上のホルスターに銃を収めると言いました。
「正直、癒術のことは信じてなかった」
「仕方のないことです」
「さっきのやつ、僕も勉強できないかな?」
「癒術は原則、女性にしかできないんです」
「例外は?」
「ええと、その……去勢すれば、可能性はゼロではないですけど……」
「やっぱり警官でいいや」
 私たちは笑いました。

 翌朝。
 私とグレヴィさんは、小さなフィロセカ駅の前で、別れの言葉を交わしました。
 右手のほうから一番列車の音が聞こえてきます。駅舎を通ってプラットホームに出ようと、彼に背を向けたときでした。
「二都山道を抜けて西へ向かったほうがいいんじゃないのか? ジンセンは他の街とは違う。僕もバイン運転士と同じ意見だ」
 私は肩越しに言いました。
「ありがとうございます。着くまでに考えておきます。では」
 心配させたくなかったので、また嘘をついてしまいました。癒神様ごめんなさい。
 ホームに出ると、車掌を探しました。無人駅は車掌が改札代わりです。
 幸いなことに昨日とは違い、穏やかそうな人でした。それで安心したのか、車内に入って空いた席に座ると、私はすぐに眠りに落ちてしまいました。


 第四話 首都ジンセン

 目覚めたとき、私を揺り起こす車掌の顔がありました。
 ハッと立ち上がって車内を見渡すと誰もいません。繕い笑いを満面に浮かべ、逃げるようにして列車を後にしました。
 プラットホームを歩きながら、私は口を開けて上ばかり見ていました。ここは建物の中だというのに、ちょっとした山が一つ入ってしまいそうなほど、天井は遙か上空にあるのです。
 向かい側のホームを見ると、乗ってきた列車とは違う配色のものが発車を待っていました。乗車口上のプレートに『クレインズ行』とあります。クレインズは北国ラーチランドの都です。
 この大都会でひと皮剥けてから北へ向かうんだ。私は心にそう念じました。
 改札を出てすぐ、決心がくじけそうになりました。どこへ行っていいのかわからないのです。あちこちに通路があって、あちこちに出口があります。広いコンコースが一本あるだけで道筋もないというのに、人々は誰ともぶつからずにすたすた歩いています。野性的な感じの人が多いマグワート市民に比べ、彼らはまるで洗練された機械のようです。
 天窓からお日様がさしこんできて私の影ができました。まるで神様が行くべき道を指し示ているかのようです。啓示に従い、西口へ向かうことにします。

 駅前広場は公園のように広く、そこらじゅうに馬車が止まっています。広場は大きな建物の群れに囲まれており、なんとなくお風呂の底にいるような気分です。地図を見ると、道路は広場から放射状に広がっていて、各方面へ行けるようになっています。『庁舎方面』『ジンセン城方面』『港方面』『商店街方面』『病院方面』などなど。