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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(前)】

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 人ごみにもまれるか夜を待とうか、迷っているうち、振り子時計の長針はもう半周していました。焦ってきた私は待合室の隅っこへ行き、何かアイデアはないかと、トランクを開けて中身をかき回しました。すると一枚の絵ハガキを見つけました。癒術学校の一年上、ピオニー先輩による自慢日記の第四回です。長期休暇に入るたびに先輩は、大エルダー島の北端、メドウという町にある私の実家に、ハガキを送ってくるのでした。
 そこでふと、ちょうど一年前、卒業を控えたピオニー先輩からのアドバイスを思い出しました。
「お金がなくて宿に困ったとき? 大丈夫。駅寝(えきね)っていう裏技があるのよ」
「駅寝?」
「そんなときはあえて無人駅で降りるのよ。そしたらそこがまんま宿ってワケ」
 聞いた当時は、学長室に呼び出されても平気だった先輩のような強者だからできるのではと思ったものです。でも、今の私にとって、それはなんとも魅力的な裏技でした。旅費を節約できる上に、誰にも気兼ねしなくていいのです!
 私はスタンプが二つ入った切符を片手に改札を通り、乗ってきた列車に再び乗りこみました。地図を見ると、一番近い無人駅はフィロセカといい、ここフォーンからは一時間もしないところにあります。そこに決めました。
 列車は午後五時ちょうどに発車しました。座席は半分しか埋まっていませんが、夕市で買い物してきたのか、誰もが食料の荷物満載です。
 列車は北へ北へと走っています。西の空は赤く焼けていき、やがてお日様は山の陰に隠れてしまいました。
「次はフィロセカです。駅員はおりませんので、お降りの方はプラットホームで、車掌に切符を渡してください」
 後ろから聞こえた男の声にハッとしました。運転士は交代したのに、あの口の悪い車掌は連続で勤務だなんて、神様は何と意地悪なのでしょう。
 列車の速度が落ちてきました。ともかくトランクを持ってデッキへ。窓の外はもう薄紫がかっています。
 列車が止まると、自分でドアを開けて閉め、暗くなった野ざらしのプラットホームを歩いていきました。降りたのは私一人のようです。
 最後尾の脇に立つ車掌が、不審そうな顔で待ち構えています。
 私は冷静を装って言いました。
「途中下車します。スタンプお願いします」
 今度は何も違反していないので、車掌は業務を果たします。
「本当にここで降りるのか?」
「いけませんか?」
「こんな田舎に宿なんてないぞ。知り合いでもいるのか?」
 大きなお世話です、と言いたいところですが、彼を怒らせて、せっかく見過ごしていただいた施術の件を蒸し返させるわけにはいきません。
「修行が厳しすぎて癒師になることを諦めた私の先輩が、農家に嫁いだんです」
 申し訳ありません癒神エキナス様、これは方便というやつです。
「そういう話はときどき耳にする。あんたもそうした方がいいんじゃないのか? 幸い、乳はよく出そうだしな」
 車掌はいやらしい目つきで私の胸を見ています。
「なっ!」私は歯がみして耐えました。「列車、遅れますよ?」
「おっと」
 車掌は笛を吹くと、最後尾の展望デッキに駆け上がりました。
 短い汽笛を残し、列車は去っていきました。
 私は重い足取りで、誰もいない駅舎へ入りました。手入れされなくなって久しいその建物は、駅舎というより、馬を売った後の厩舎のようでした。


 第三話 トラウマと前世

 真っ暗な小屋にたった一つ置かれたベンチ。これが今日の私のベッドです。
 雲間の月明かりが、窓からとぎれとぎれに差しこんでいました。癒師の素質を持つ者は、他の人種より夜目が利くため、わずかでも光があれば辺りの様子がわかります。
 駅と呼ぶには物がなさすぎますし、廃墟と呼ぶには片付きすぎています。要するに壁に貼ってある時刻表以外、何も目を引きません。
 独りで寝るのは平気だと思っていました。どうやらそれは間違いだったようです。学校寮の個室にいたときも、実家の私の部屋も、同じ屋根の下に誰かがいると知っているからこそ、安心して目を閉じることができたのです。
 これがピオニー先輩の言った、駅寝というものですか。私は今、後悔の念にかられています。フォーンで宿を探せばよかった。お金の心配をして、本心とはちがう行動をとってしまった。きっとその報いを受けたのでしょう。
 夜がこんなに寂しいものだったなんて!
 強行軍で疲れているはずなのに、目は冴えきっています。小さな物音がすると、いちいち確認しなければ気が休まりません。今ならきっと、クモが巣を張る音も聞き取れるでしょう。
 赤子の最初の記憶から、この春に旅立つ前までの人生が、走馬灯のように流れていきます。ち、ちょっと待ってください。私はまだあの世に還るつもりなんか……。
 ガタッ!
 出口のほうで音がしました。
「ひっ!」
 私は身を起こすと、枕にしていたトランクを盾代わりに抱きしめました。
 虚空にぼうっと灯った鬼火が、私の方へ近づいてきます。
「ま、待ってください。お迎えなんて早すぎます!」
「なんだって?」
 ランタンの炎が、持ち主と私を照らしました。
 暗色のハーフコートをうんと簡単にしたような服に、真鍮のボタンとバックル。これは何かの制服だと直感しました。夜中にランタンを持って見まわる仕事など、一つしか思いつきません。
「そこで何をしている」
 若い男は言いました。
「え、駅寝です」
 私は思わず業界用語を口にしてしまいました。
「エキネ? 賊のアジトのことか?」
「ちがいま……」
「身分を証明するものは?」
「……」
 私は黙って立ち上がると、姿勢を正しました。
「それで?」
 男は首を傾げます。
「あ、あの、わかりませんか?」
「黒いワンピースが何だっていうんだ」
 もしかすると、大陸の若い世代の中には、癒師について見聞きしたことがない人がいるのかもしれません。
 他の証拠を探そうと、私はトランクの革ひもに手をのばしました。
「開けるな」
 男は腰に収まっていた銃を抜きました。その手は少し震えています。使い慣れていないのでしょうか。
 私はトランクを取り落として両手を挙げました。
「ゆ、癒師は武器なんか持ってませんよっ!」
「うん? ちょっと待てよ」
 若者は眉根を寄せて私の顔に注目すると、ランタンの火を小さくして石畳の床に置きました。
 窓からさす月明かりが、私の顔を照らします。
 少しして、左耳のピアスが光りだしました。
「月蛍石(げっけいせき)か。それに黒ずくめの格好……なるほど君は癒師のようだな」
「よ、よくご存知で」
 男が銃を下ろしたので、私も手を下ろしました。
「石ころにはちょっと詳しくてね。でも、なぜ左だけなんだ? なくしたのか?」
「いえ、修行中の癒師は片方しかつけることを許されていないんです。旅を終えて本試験に受かるともう一つもらえます」
「なるほど素性はわかった。だが、ここは宿じゃない。留まるつもりなら見逃すわけにはいかない。仕事なんでね」
「でも、この辺りに宿はないと聞いています」
「ないね」
「困りました。私たちは施術をしてからでないと、民家には泊まれないんです」
 私は旅癒師の一宿一飯制度について説明しました。