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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(前)】

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 言葉で説得してもおそらく無駄でしょうと、アンジェリカ学長は言っていました。ではどうすればいいのですかと質問したところ、それを学んできなさいと言われてしまいました。
 私は少し考えてから言いました。
「偶然でも奇跡でも、治ったという事実は事実です。エルダー人は運がいいのかもしれませんよ?」
「しかしだな……」
「では、マグワートまで往復六時間、歩きますか?」
 車掌はため息をつきました。
「爺さんに何かあったら、見過ごすわけにはいかないぞ?」
「完璧に治っても、通報されれば全部違法ですよ、私たちは」
 カスターランドの医師法は、半島を占める四ヶ国の中でも特に厳格です。修行中の癒師が施術の対価としてお金を求めていないということは、言い訳にはなりません。旅癒師の活動は、患者や周りの人々との信頼関係にかかっていました。
 車掌の許しを得て、私は白い煙が立ち上る機関車の方へ歩いていきました。列車は三両編成と短いものでしたが、客車の窓から打ち出された好奇の視線を浴びつづけるには長過ぎました。
 運転室横の短い梯子を上ると、右腕をおさえて小さくうなる老人がいました。
 白い口ひげまで煤で汚れた運転士は言いました。
「急行でもないのに乗っていてくれたとは、ありがたい……と言いたいところだが」
「おっしゃりたいことはわかります」
 老人は目を細めて私をよく見ました。
「む? いや、悪かった。君たちの方がまだマシだ」
「と、いいますと?」
 バインと名乗る運転士は、その理由(わけ)を語りました。
 バインさんは数年前から右腕の不調を訴え、首都ジンセンの病院に通っていましたが、原因は解明できず、去年の暮れに主治医から「もう少ししたら完全に動かなくなる」と引退を勧告されました。バインさんは「あと五年は続けたい」と粘りました。医者は首を縦にふらず、しまいには「あなたはもう充分働いたのです。これからは老後の余暇を楽しむべきでしょう」と言うのです。東岸鉄道が開業した日から機関車を運転してきた男に、趣味などありませんでした。機関車を整備し、安全に運転することが、彼の仕事であり趣味であり人生だったのです。医者を信頼できなくなった彼は通院をやめました。しかし、症状は悪化するばかりです。
「私は何も悪い事などしていない。何がいけないというのだ!」
 私は老人の右腕に手をかざし、下から順に異常はないか、魂の目だけに映る情報を受けとっていきました。
 見たところ、関節に老廃物がたまっているくらいで、大きな異常は見当たりません。たしかにこのまま数年放っておけば、動かなくなる可能性はないとは言えませんが、今すぐ引退すべきだとは思えません。
 私が口を開きかけたとき、バインさんが遮りました。
「わかった! もう何も言うな」
「ま、まだ何も言ってませんけど?」
「引導を渡されるなんぞ、一度で充分だ」
 そんなに難しい顔をしていたのでしょうか?
 私は微笑んで言いました。
「苦情は施術の後にしてくださいね」
 肉体の病状自体は軽いので、私一人の力で癒せそうです。右腕の各関節を中心に、用水路のつまりを大勢の小人で掃除するイメージを浮かべました。
「なんだかむずかゆいな。ノミでも放ったか?」
「はい、おしまいです」
 私はわざとらしく『気をつけ』をしました。
「もう終わりだと? 年寄りだと思ってからかっているのか?」
 バインさんは恐い顔で私を指さします。
 私は笑顔のまま言いました。
「それはどちらの腕ですか?」
「えっ? あ! そんなまさか……」
 その後のバインさんの賛辞といったら、恥ずかしくて顔が焼けるほどです。大した病気ではなかったと聞いて、彼はますます医者が嫌いになったと言いました。でも、都の医者が解決できなかった難病がいとも簡単に治ってしまったという現象には、納得がいかないようでした。

 列車は再び動きはじめ、車内は安堵の声に包まれました。ひそひそ話があちこちで飛び交っています。魔法をかけただの、呪いを解いただの、おおむね評価されているようですが、あいつはまともな人間じゃない感は相変わらずです。
 峠を下り、森林を抜け、しばらく田園地帯を走ると、久々にちょっとした街が見えてきました。予定の停車時間を少しずつ削っていったため、フォーン駅には定刻の午後三時到着。列車はここで石炭と水を補給し、終点のジンセンに向けて二時間後に発車です。
 私はここで途中下車することにしました。
 トランクを持って屋根つきのプラットホームに下りたとき、ちょうどバインさんが機関車を降りてこちらへ歩いてくるところでした。運転士はここで交代だそうです。
 バインさんは私に握手を求めると、ぼそっと言いました。
「ふと思ったんだが、俺は自分の望みよりも、医者が言ったことの方を信じちまったのかもしれんなぁ」
「!」
 私はハッとして天を仰ぎました。きっとそうに違いありません。潜在意識というのは偉大な力を持っているが、自分にとって良いか悪いかの判断はできないのだと、癒術学校で教わったのを思い出しました。
「天井がどうかしたのか?」
「えっ? いえ、その、何でもありません」
「君らはこの馬鹿でかい半島を何年もかけて放浪すると聞いているが、本当かね?」
「はい。島にこもっていても知識は得られますけど、体験に勝るものはない、というのが古くからの教えです」
「では一つ教えておこう。ここカスターランドはな、島を出たばかりの君にとっては、痛みが強すぎる。フォーンを出たらジンセンには寄らず、二都山道を行って西へまわりなさい」
「ありがとうございます」
 そのルートは卒業生の間では『手堅い道』と呼ばれているもので、主流の一つですが、私の計画とは大きく異なるものでした。前にも言いましたが、私の流儀は『嫌いなものは先に食べてしまおう』です。それに、海岸沿いにぐるっとまわった方が気持ちがいいじゃないですか。
 バインさんの背中を見送った後、私は改札を出てフォーンの駅前広場に立ちました。夕方までまだ時間があるというのに、人でごったがえしています。大きな街ではないはずですが、人や物の密度が半端ではありません。群衆より頭一つ高い屋台が通りに沿って並んでいます。そこには野菜や果物、穀物の山、山、山。
 案内板を見ると、毎週三曜日と六曜日はフォーンで夕市が開かれるとのこと。確率七分の二ですか。運がないですね。
 思った通り、私は人ごみに酔ってしまい、三十分もしないうちにレンガ造りの駅舎に避難していました。
『小麦伯爵寄贈』と書かれた大きな振り子時計を見ると、ちょうど午後四時。日没までそう長くはありません。私は宿のことを心配しだしました。フォーンの夕市はお金の勘定ができなくなったら終了です。要するに街をうろつくには、夜を待たなくてはなりません。