プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(前)】
座面に薄いクッションが張ってあるだけの、向かい合わせ四人がけの木製イスが、通路をはさんで左右にずらりと並んでいます。
私は客車内に入ってすぐのところにどっと腰掛けました。席を選ぶ思考力さえ惜しかったのです。終点のジンセンまで十四時間かかるそうですが、私は適当なところで途中下車するつもりです。何故かなんて聞かないでください。
席が七分くらい埋まったところで汽笛がなり、足下でガタッと大きな音がして、景色が動きはじめました。
私が座るボックスには誰も入ってきません。幼い頃から鈍いと言われてきた私でも、避けられているのはわかります。原因は私の黒衣、つまり癒師の正装です。こうなることはわかっていたので、落ちこむことはありません。学校の図書館に保管されている先輩方の旅行記に同じことが書いてあったからです。
癒師を目指す人は受験前に、こういった類いの話を講堂でさんざん聞かされます。中学校でどんなに優秀だったとしても、独りきりでいられない人や、差別を克服する意志のない人はお断りなのです。
入学資格は成績よりも、血統、性別、そして性格が重視されます。そもそも癒術学校は特例をのぞき、エルダー諸島の純血の女性でなければ受験さえできません。なぜ島の女性だけが『素質』を受け継ぐのか。昔から様々な議論が重ねられてきましたが、未だに謎のままでした。
列車は人の駆け足ほどの速度で進んでいき、駅舎の外へ。
すると、窓から朝日が差しこんできました。幾筋にも連なる線路の枕木が流れていきます。石炭や木材を積んだ貨車たちは、寝坊した機関車の出勤を待っていました。
平行する線路の数が一つずつ減っていき、いよいよ鉄道の旅のはじまりかと思ったときです。
列車は速度を落とし、止まってしまいました。
もう次の駅……のはずはありません。通路の扉の横に貼ってある時刻表によれば、あと一時間は走ることになっています。マグワートの北には大きな森が広がっていて、町らしい町はその先にあるのです。
ざわつく車内。牛が通るのはもっと先だろうという声が聞こえます。
砂利を踏む音が近づいてきました。紺の制服を着た車掌が機関車のほうへ走っていくのが見えます。私は窓を開けて顔を出し、その背中を目で追いました。
しばらくすると、車掌は眉間にしわを寄せて戻ってきました。窓を開けた乗客たちと目が合うと、彼は事務的な口ぶりで一つ詫びてから言いました。
「なに、計器の小さなトラブルですよ。本日の運行には支障ありませんのですぐ発車します」
マグワートは古い城下町で、建物が密集しています。城壁の遺構が見えて少しするともう、視界は木々の緑一色になってしまいました。
列車は森林地帯の緩い坂をのろのろ上っていきます。
エルダー諸島にない植物ばかりで、はじめは珍しさに興奮していたのですが、三十分もたつとさすがに飽きてきました。
船旅の疲れがたまっていたのでしょう。列車独特のなんともいえない揺れぐあいもあいまって、私はうとうとしてきました。
初めての長旅だし、車窓を楽しまなければと思うのですが、今日の睡魔は大陸史の授業にでてきた、長い名前の王様より強……かった……。
ゴン! 後頭部の強打で目が覚めました。
地震? 脱線? いえいえ、列車が急に止まっただけです。
車掌がすごい顔をして砂利の上を走っていくのが見えます。
窓を開けて辺りをみまわすと、深い森の中でした。列車は峠をのぼりきった後の平らな所で止まっています。
車掌がまた眉間にしわを寄せて戻ってきました。今度は顔がちょっと煤けています。
機関車で何が起きているのか、聞きたい。でも、私にその勇気はありませんでした。故郷の島の人とは気兼ねなく話せたし、船上で診察を頼まれたときも何でもなかったのに。
癒師の雛鳥、プラムはここへ何しに来たのでしょう。病んでいる人を癒して経験を積み、試験に受かって正式な癒師になるためです。上手に話をするためではありません。
私は目を閉じました。
いや、ちょっと待ってください。
患者の信頼を得るためには、話術の一つも必要なのでは?
車掌はもうすぐそこです。ああ、でもやっぱりだめ! 癒神(ゆしん)エキナス様!
そのとき、一つ先のボックスにいた老婦人が車掌を呼び止めました。
車掌は事情を説明しています。
私は浮いていた腰をそっと下ろしました。祈りが通じたのでしょうか。ほっとする反面、階段を一つ上がり損ねたという後悔の念にかられました。
列車が止まってしまった原因は、運転士でした。七十過ぎの老人の右腕が急に動かなくなったというのです。通常、蒸気機関車は二人以上で動かすそうですが、人手不足のため、各駅停車に使う小型機関車では、運転士が一人きりというのが現状でした。
私は額から発する気を、車掌の体に集中しました。
胃のあたりが黄色く縮こまったようなビジョンが見えます。発車直後にあった計器の故障というのはおそらく嘘でしょう。急に、ではなく、これまで何度もあった『症状』のはずです。
車掌の話によると、マグワート・ジンセン間は単線のため、列車が止まってしまうとダイヤが大幅に乱れ、そのために起こる経済損失は計り知れない、とのこと。せめて次の駅まで走ることができれば、引きこみ線にどかすことができるというのですが……。
列車が止まったこの深い森には獣道くらいしかなく、次の駅まで線路を歩いて三時間、マグワートに戻っても三時間、近くの林道まで薮をかいて行っても一時間以上の距離です。林道といっても、せいぜい荷馬車がたまに通る程度。どう見ても、一番近い医者を連れてくるには半日がかりでした。
車掌と老婦の話を聞いていた青年が、通路で頭を抱えています。このままでは厨房に届ける魚が全部ダメになってしまうと。
青年の悲しみが、なんだか自分のせいのように思えて胸が苦しくなってきました。
二人は話を終えたようです。
私は深呼吸すると、車掌に声をかけました。
「私に診させていただけませんか?」
車掌は赤茶けた砂利を踏みしめ、訝しげに黒衣の私を見上げます。
「その、失礼ですが、エルダーの?」
「はい。正式な癒師になるため旅をしています」
車掌は咳払いすると、さりげなく手招きしました。
私はデッキへ出て自分でドアを開け、車掌が待つ線路脇の木陰に向かいました。
二人が列車の死角に入るや、男は言いました。
「そんなことはわかっている」
「え?」
「何度も言わせるな。あんたが悪名高き旅の仮免癒師だということは、はじめからわかっている」
「そ、そうでしたか……」
エルダーの……という一言には、差別的な意味が多分に含まれていると教わったことを、私は忘れていました。
「カスターランド人は癒術など信じていない。火を当てなければ鍋の水だって湧かせないだろう? あんたらが救ったっていう患者は、何もしなくても治る運命にあったのさ」
大陸の人々の多くは、目に見える力しか信じていません。科学の発展は医療を進歩させ、少ない労力で大勢の患者をまかなえるようになりました。しかし、人を癒すということは、工場で安物の服を大量生産するのとは訳が違うのです。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第一章(前)】 作家名:あずまや