「夢の中へ」 第九話
天正十年三月甲斐の武田を滅ぼすと、光秀は信長に命じられて徳川家康の接待を安土城で言いつけられた。
不備がないように進めてはいたが、何かの手違いで家康に出した魚が腐っていたことに信長は怒り、その場で足蹴にして光秀に恥をかかせた。
即座に備中に進行している秀吉の援軍に向かうように言いつけ、現在の所領から国替えを命じた。それは、秀吉と一緒に攻め落とした備中を新しい領土とせよ、との信長の命令だった。
「殿は秀吉殿の配下になれと仰せのようじゃ・・・光秀は拾われたとはいえ土岐源氏の流れを汲む出生。実力は互角でも百姓出の秀吉殿の下になれとは・・・むごい。
武士の面目丸つぶれじゃ」
そうつぶやくと、なにやら思いを胸に秘めて坂本城へ兵を集めるために戻った。
五月二十六日にひろこと子供達を残し、全兵力を引き連れて光秀は丹波亀山城へと向かった。
信長は備中から九州を平定するために安土城を出て京に向かった。兵力を整えて秀吉の援軍に向かうと見せかけて、実は大胆な陰謀を計画していた。
それはわざと少数の兵だけで京に入り、茶会を開くと言いふらし堺を見物している家康を油断させ、茶会の後光秀の軍勢に本能寺を取り囲ませ家康を討って、過去に自分に敵対した勢力を排除すると言うものだった。
亀山城にいた光秀の家臣たちは暗黙のうちに家康を討つために本能寺に向かうと考えていた。
六月一日夕方一万三千の兵を引き連れて出発した光秀は途中で全軍に言い渡した。
「敵は本能寺にあり!」
時の雄たけびをあげて翌二日未明に本能寺を取り囲んだ軍勢は、火を放って逃げ場所を無くしてから、正門を突き破って中へ入った。
信長は少し応戦したが、弓が折れて仕方なく奥へ引き返し、森蘭丸らとともに自刃して火を放った。
「本能寺の変」はこうして終わった。
作品名:「夢の中へ」 第九話 作家名:てっしゅう