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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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オシンドローム

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 予選決勝の試合会場には、K高校校長、教頭、担任の蒲田を含めた教員全員、そして、全校生徒の半分以上が応援に駆けつけていた。学乱に鉢巻きをつけた応援団員が、バックネット近くで大声を張り上げ、そのかけ声に合わせてK高校生たちが応援ぜりふを叫ぶ。
「かっ飛ばせ、K高! T学園を倒せ!」
普段は勉強にしか能のない青白い顔の優等生たちが、この時ばかりは威勢のいい若者らしさをあらわにする。俊秀には、そんな姿が嬉しく、また滑稽に見えた。
 期待に応えるべく勝利を手にしたいと思うが、T学園は、これまでの相手とは、感触が全然違う。さすが甲子園の常連校だ。
 八回の裏、T学園の攻撃、今までのところ両校ともヒットが数本あったが無失点無得点、形勢は、どちらにも大きな違いはなく互角に戦っているといえる。K高校は、昨年までT学園相手では、五点もの差をつけられ負けていたのだから、この引き分け状態は大きな進歩を意味する。それだけ俊秀のチームは強くなったのである。チームの気分は高揚していた。
 T学園にとっては、快勝できると思っていた相手に一点も得点を上げられない引き分け状態だ。だから、T学園の連中は焦っている。その意味で、この試合はK高校にとって有利な運びになっているかもしれない。
「ストライク、バッターアウト!」
審判の声とともに、一人のバッターがホームベースを立ち去った。これでツーアウトだ。
 新たにバッターがホームベースに立ち、八回裏T学園攻撃、最後の打席となった。こいつにストライクを喰わせれば、この回は終わる。監督は、俊秀にこの回が終われば、後はリリーフを使うと言っている。この相手で最後の投球になる。
 俊秀は、バッターを激しくにらんだ。バッターもにらみ返す。俊秀には、最後の投球に際して悔やむことがあった。それは、投球の速度である。自分の投球速度が去年の夏頃から全然伸びていない。
 今の速度でも決して問題はなかった。というのも俊秀には、得意のカーブボールという必殺業があるのだ。これは、不意をついてバッターを撹乱させるために投げるものだ。この予選大会からしばしば使うようになった技だ。そのおかげもあって失点が少なくなったといっていいのだが、バッターもバカばかりではなかった。相手が自分の動きを読み取り、カーブ球を打ち飛ばすこともしばしばあった。それが何度かの失点の要因になっていた。
 俊秀が感じるかぎり、T学園の選手はすでに自分の動きを読んでいる。得点にはつながらなかったものの、この試合ですでに何度かカーブ球が打たれヒットを奪われている。
 もうカーブは投げられない。このバッターも自分の動きを読み取っているはずだ。それならば直球だ。俊秀は、渾身の力を込め、真直ぐキャッチャーに向かって球を投げた。
 バッターがバットを振った。
「ストライク!」
 審判がそう叫んだ。空振りに終わったのだ。俊秀はキャッチャーからボールを受け取ると再び投げた。
「ストライク!」
 やったぞ! あと一球投げて、バッター三振。これで自分の役目は終わる。俊秀は思った。今までにない速球を投げてやろう。自己最速の投球速度を記録できるようなものを。
 俊秀は気合いを入れ、余力を全て吐き出すつもりで肩に力を入れた。片足を上げ、ボールを手にした腕を大きく回した。
 その時、ガンっという感触が、俊秀の腰を突いた。腰に何か重いものを打ち付けられたような感覚がよぎると凄まじい痛みが下半身に広がった。
 痛え! と心の中で叫んだ。そんな感覚とともに俊秀の体全体の力が抜けた。そして、ボールが手から離れた。俊秀は体のバランスを崩し、マウンドに倒れこんだ。
 カキーン、という音が響いた。バットがボールに当たった音だ。実に響きのいい音だった。まさにボールが進んでバットにぶつかってきたような音である。
 ボールは、空高く飛んだ。球場に大きな歓声が起こった。ボールは、地面に平伏す俊秀の真上をすっと駆け抜けた。
 場外ホームランだった。
 俊秀は、マウンドから立ち上がれず、担架に乗せられグランドから運ばれた。腰に激痛が走る。体は一センチたりとも動かせず、さすがの俊秀も担架の上で「痛え、痛え!」とわめき散らす始末だった。痛いのは、腰だけではなかった。肩にも、痛みがこみ上げてきた。
 すぐに救急車が来て、俊秀は病院へと運ばれた。

 試合結果を聞いたのは、次の日だった。K高校は、九回表の攻撃で得点を上げられず〇対一で負け、甲子園の出場権をまたしても逃した。そして、エースピッチャーが、マウンド上でぎっくり腰を起こし、バッターに子供が投げるようなゆるい球を与え得点を取られたという醜態が、負けをただの負けでなく、不名誉の負けというものにしてしまった。

 俊秀は、椎間板ヘルニアと診断された。これは、背骨の輪切り上に別れた骨と骨をつなぐ椎間板と呼ばれる支えが腰の辺りでずれを起こし、背骨の神経を圧迫、激しい痛みを起こすというものだ。腰痛といってもヘルニアに関しては俊秀ぐらいの年令でなるのも珍しいケースではないらしい。原因はいろいろと考えられる。思い荷物を持ったことや、普段の悪い姿勢。もちろんのこと、俊秀のようなスポーツ選手が、激しい運動を積み重ねた末に腰を悪くするケースもあるという。腰は体の中心だ。体にかかる負担をもっとも敏感に受けるところでもある。
 俊秀は、三週間の入院を言い渡された。その間、ずっとベッドに寝かされ、腰には、牽引器という重りをつなげたベルトを巻き付けられた。重りが、ベッドのついたてにぶらさがりベルトで巻かれた腰を引っ張り、椎間板の状態を矯正するのだ。
 その間に、一学期が終わり夏休みに入った。夏の甲子園大会も始まった。K高校を敗ったT学園は、一回戦で敗退を喫した。県ではトップの野球部だが全国レベルでは決して強いとは言えないのだ。毎年良くても二回戦止まりだ。そのことが、俊秀にとって屈辱的でならなかった。自分のチームを敗った相手が、その程度の実力だということである。負けた甲斐もないというもの。そのうえ、あんな恥ずかしい姿を露わにして負けてしまったのだ。
 退院後、俊秀には様々な試練がやってきた。まずは、野球部を辞めさせられたこと。野球選手が腰を駄目にしては全てがおしまいだからだ。全くの役立たずとしてしか見られなくなった。監督には、普段の健康管理の怠慢が、あんな恥ずかしい事態を招いたと罵られた。
 父親も俊秀に冷たく当たった。「不様な姿を大勢の人々に見せつけたおまえを息子に持って恥ずかしい」と言い放った。源太郎は、最近自分の同期の者が部長に昇格し出世を追い越された悔やみから機嫌が悪く、俊秀は、そのとばっちりを受けた形だったが、父親の言葉には深く傷ついた。
 担任の蒲田と校長は俊秀の家を訪ね告げた。これからは、野球のことは忘れ勉強に専念しなさいと。もう、特別扱いはしないのだと。まるで手の平を返したような態度を見せつけた。一緒に戦ったた部員たちは、町で顔を合わせても、話しかけず、わざと俊秀を無視した。