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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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オシンドローム

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 部活が終わったのは、夜の十時ごろだった。まあ、いつものことだが、最近は練習量が増えてきたような気がする。もっとも無理もない、夏の甲子園大会の予選が迫っているからだ。そのせいか、いつもなら部活が終わったあと、疲れは残っていても、すきっとした気分で家路に着くのだが、今夜は、体がふらふらとする。心なしか腰の辺りにじわりと痛みを感じる。
 ちょっと座って休もうかと思い、公園のベンチに腰掛けた。夜空の星を眺めた。なんと美しい星空だろう。自分もいつかは、あんな星空のように輝く野球界のスターになるのだ。そのためには、つらい練習にも辛抱だと思った。
「やあ、中田。久しぶりだな」
 はっと声をかけられ、振り向く傍に山賀真一郎がいた。まさしく久しぶりの出会いだった。
「よう、山賀、何してるんだ。元気していたか?」
 山賀は、中学時代親しかった友人だ。親友ともいえる男だ。山賀は今、料亭で板前の住み込み修業をしている。山賀は中学卒業後、高校進学をせず、板前になる道を選んだ。料理に興味があったのが主な理由だったが、実際、山賀の家は貧しく、そのうえ、唯一の身内であった母親が亡くなり、そうせざる得なくなった事情もあった。そのことを知った俊秀は、とても心配になった。山賀は、小柄で気が弱く、よく周りからいじめられていたのを俊秀が助けていた程だ。一人ぼっちになって働かなければならないとはあまりにも苛酷な運命だと思った。
 だが、山賀は中学の卒業式の日に俊秀に言い切った。
「いつか、必ず、日本一の板前になって、プロ野球選手になったおまえに日本一の料理をご馳走してやる」
 俊秀は、その言葉を聞いて安心したのを覚えていた。その言葉を聞いてもう心配がないと確信したのだった。それ以来、お互い顔を合わしていないが、ずっと大好きな料理の道一筋に頑張っているのだろうと思っていた。
 しかし、今夜の山賀の表情を見ると心配でならない。昔のように、いじめられていじけていたときのように、うつろな表情をしている。
「おい、山賀、どうしたんだ。元気がないようじゃないか?」
「いやさ、修業で厳しくってさ。おれ、辞めちゃおうかと思って」
「何言ってるんだ! 卒業式のときの言葉を忘れたのか。日本一の板前になるって、そして、プロ野球選手になる俺に日本一の料理を作るんだって。頑張れよ」
 俊秀は、立ち上がり山賀の肩をゆすりながら言った。
「しかしさ、あまりにつらくって、俺、耐えきれねえよ」
泣き出しそうな表情をして言った。
「バカいえ! 俺だって、部活でつらくてたまらねえことばかりなんだ。だが、辛抱している。おまえだってできるさ。テレビで言ってるだろう。おしんの「しん」は辛抱の辛とかって! おまえも真太郎っていう名前があるだろう。真太郎のしんは、辛抱のしんだぜ」
 俊秀は、真剣な眼差しを向け、山賀に言った。山賀にどうしても元気を取り戻して欲しかった。
「そうだな。その通りだよな。辛抱して頑張るよ」
 山賀は苦笑いをすると、「じゃあ、おれ帰らなきゃ」と言い、そそくさとその場を去った。俊秀も家に帰ることにした。

 山賀は、その日一日中、久しぶりの暇を貰った。暇を貰ったといっても、身寄りのない真太郎にとっては、外をぶらつくことぐらいしかできなかった。とにかく、片時であってさえ、料亭にはいたくなかった。
 料亭に着いた。真太郎は、ふと腕時計を見た。もう十時半だ。門限を過ぎている。今までふらふらしていたうえに、久しぶりに中田に会って、門限の十時を過ぎてしまっていたのを忘れていた。
 山賀は、料亭の勝手口を音をたてず、こっそりと入った。誰にも自分が帰ってきたことを気付かれないようにするためだ。
「おい、おまえ、逃げられると思うな。待ってたんだぜ」
と背後に先輩の声が聞こえた。先輩は、山賀を料亭の休憩所に引っ張り込んだ。
 山賀は、休憩所の畳の上で数人の先輩を前に正座をさせられた。ただの正座ではない。太ももとふくらはぎの間に木の棒を入れた非常に痛みの伴う正座だ。門限に遅れた罰としてやらされている。痛くてたまらず、泣き出しそうだった。
 だが、こんなことは、今に始まったことじゃなかったのだ。見習いとして、この料亭に入ったときからだ。毎日朝早くから夜遅くまで働かされる。することといったら皿洗いか、掃除ばかりの雑用だ。見習いだから仕方ないとしても、入ってから一年以上ずっとそれだけだ。何一つ進歩がない。何か板前らしきことをしたいと文句を言えば、「十年早い」と言い返される。
 そのうえ、新入りである自分を標的としたいじめが日常茶飯事である。殴る蹴る、ゴミを吹っかけられる。外に追い出され野宿させられる。中学時代からいじめというものは受けてきて、ある程度は慣れていた。しかし、あの時は、中田という自分を助けてくれる友人がいた。だが、今、自分は一人きりだ。誰も助けてくれない。料亭の主人の大将だって見て見ぬ振りだ。
 これも修業のうちなのだろうか。一人前の板前になるため耐えなければいけないことなのだろうか、真太郎は悩みながら涙をこらえた。
「おい、辛抱しろよ。真太郎のしんも、辛抱の「しん」だって言うだろう、へへ」
 先輩たちは、タバコを吹かしながら笑って言った。

 夏の甲子園大会の予選が始まった。
 K高校野球部は、順調に勝ち進んでいった。俊秀は、エースの先発ピッチャーとして相変わらず学校の期待を一身に浴びていた。
 俊秀にとって、この時期は勉強そっちのけで野球に明け暮れた日々の成果を披露する時であり、学校に貢献する時だ。
 俊秀が優等生揃いのK高校の授業についていけるはずがなかった。中間、期末はいつも欠点ばかり。しかし、お咎めは受けない。追試もなく、成績は常に修正されている。俊秀が名投手である限り、落第は免れるのだ。
 だが、いいのだ。その埋合わせをするように、野球でいい成績を上げている。今期は、俊秀のおかげで今までにない勢いを野球部は見せている。失点も少なく俊秀の防御率は、県の予選大会参加投手の中でトップである。仲間の援護もかなりいい。ヒットやホームランを次々と出している。試合は常に相手と二点以上の差をつけ快勝だ。向かうところ敵なしというところだ。去年、俊秀が一年のとき、俊秀は、リリーフ投手としてベンチに座っていた。そして、K高校野球部は、準決勝で敗れた。
 今年は、ついに決勝まで来た。決勝まで勝ち進んだのは、五年ぶりである。今年こそ、県大会予選に優勝し、甲子園に進むのだ。それこそが、部のため高校のため、ひいては自分のためである。栄誉は、必ずつかんでみせる、と俊秀は心に決めていた。
 決勝の相手は、手強かった。相手は、毎年県代表として甲子園に出場する野球の名門T学園だ。去年の準決勝でK高校が対戦した相手であり、その時は〇対五という惨敗を喫した。
 敵は恐ろしいまでに強い。しかし、今年は違う。K高校には俊秀という先発投手がいる。地元新聞のスポーツ欄でも今年こそは、K高校という新しい代表校が決まるのではと、騒ぎ立てられているほどだ。