天の階(きざはし)~蒼穹のかなたに見たものは~
いくら子どもだからといって、許せることと許せないことがある。八歳といえば、話せば物の道理が分からぬ歳ではない。それなのに、まるで汚物に対するように、お勝に向かって唾を吐き捨てるとは、到底許しがたいことであった。
その時、お璃久の背後からそっとその振り上げた手を掴んだ手があった。
驚いて振り返ると、富松が立っていた。
「富松さん」
お璃久が驚きに眼を見開いた。
富松は黙って首を振った。
―良いんですよ、お璃久さん。
その眼はそう訴えていた。
「小さな子に手を上げてはなりません」
富松が言った。静かな、だが、辺りを威圧するかのような響きのある声音であった。
子どもたちが一瞬引くのがお璃久には判った。
お絹が悔しさの滲んだ声で言った。
「化け物の父親が来た。皆、逃げよう」
〃逃げろ、逃げろ〃と口々に言い、子どもたちは散り散りになって駆け去っていった。
「ごめんなさい」
お璃久がうなだれると、富松は笑った。
「あなたが謝る必要はありませんよ」
確か初めて出逢ったときも、彼はそう言った。明らかに日本人ではないと判る富松の異相に、お璃久が瞠目していたときのことだ。
「あなたは、どうして、そんなに穏やかな瞳(め)をしていられるんですか」
知らず、言葉が零れていた。
化け物と年端のゆかぬ子どもからまで罵られながらも、何故、穏やかに微笑んでいられるのだろうか。
いくら侮蔑の視線や嘲りの言葉を向けられようと、富松は許せるというのだろうか。
他人のお璃久の方が腹立たしく憤ろしく思うというのに、当の富松はただ何もかも諦めたような淋しい眼で微笑んでいるだけである。
お璃久はもどかしい想いで、富松に言った。
富松は屈み込むと、お勝の頬を懐から取り出した手拭いでそっとぬぐってやった。
短い沈黙の後、富松が穏やかな声で言った。
「子どもの頃から、私はいつも苛められてばかりいました。ごく小さい頃は、自分だけが何故、苛められるのか判りませんでしたが、少し大きくなってくると、この容姿と私の身体を流れる血のせいなのだと悟るようになりました。そして、何故、私がそんな目に遭わなければならないのだと、理不尽な想いに駆られました。私は何も悪いことをしたわけではない。ただ、たまたま異国人の父と日本人の母との間に生まれたというだけのことだ、なのに、なにゆえ、私だけがこうも他人(ひと)から蔑まれねばならないのかと不条理に悩み苦しみました」
「富松さん―」
そんな富松に、お璃久は返す言葉もない。
彼のこれまでになめてきた辛酸の前では、お璃久が何を言おうとも安易な気休めでしかないような気がした。
富松は淡く微笑んだ。
「直に、私はすべての人を憎むようになりました。私や母を捨てて、遠い異国へと逃げ帰った父を、ろくに三度の食事も与えず幼い私をこき使う女郎屋の主夫婦を心底、殺してやりたいと思いました」
富松はそこで小さく息を吐いた。
「憎しみに凝り固まって、世を拗ね、人を恨んで生きていた私の前に、ある日突然、一人の神父が現れました」
「神父?」
小首を傾げたお璃久に、富松は頷いた。
「伴天連(ばてれん)のことです」
「ばてれん―」
ばてれんならお璃久も聞いたことがあった。キリスト教の宣教師のことである。が、現在、日本は鎖国を頑なに守っており、基督(キリスト)教はご禁制であった。表向き、この国にキリシタンはいないはずである。
もっとも、公儀から隠れて、ひっそりとイエス・キリストへの信仰に生きる信者は全国にあまたおり、彼らは世をはばかり、隠れキリシタンと呼ばれていた。
長崎の出島には多く異国人が居住する。長崎に生まれ育ったというのなら、富松がバテレンに逢ったというのもおかしくはない。
「伴天連は私を教会へ連れて行きました。そして、主(イエス・キリスト)の前でこう言われたのです。人を憎んでも、何も生まれない、人を許せる心を持ちなさい、そうすれば、もっと心安らかに過ごせるはずだと」
「人を許せる心―」
お璃久が呟くと、富松は微笑んだ。
「そうです。確かに、たったの十数年生きただけで、私は生きることに疲れ果てていました。人を憎み、世の中を呪い、憎しみでしか生きられない自分をもまた嫌悪していました。そんな毎日が楽しいはずもない、いつも地獄にいるような想いでした。でも、伴天連のおっしゃるように、ほんの少し見方を変えて、すべての人を許す心を持てば、何の苦しみも無くなりました。そして、その中(うち)、私は思うようになったのです。むしろ、哀れむべきなのは、人を蔑むことで優越感を感じることしかできない、そんな心の歪んだ人々の方なのだということに気づいたのです」
富松がふわりと笑った。それは何とも、透明な、穏やかさに満ちた微笑だった。
「伴天連は言いました。ひたすら祈りなさい、神に祈れば、その先に必ず何かが見えてきますからと」
お璃久は黙って富松の話に聞き入った。
富松は静かに続けた。
「私は毎日教会へ通いました。小さな小さな教会でしたが、私は毎朝早く、そこへ行って、祭壇の前へ跪いて神に祈りを捧げました。初めは何でこんなことをしているのだろう、こんなことをしていても、何も意味はないではないか、そんな風に思いました。しかし、ある時、私を静かに見下ろす主のお顔が笑っているように見えたのですよ」
お璃久が富松の顔を見る。富松の深い緑の眼がお璃久を見つめていた。
「それは恐らく、眼の錯覚だったのでしょう。窓から入ってくる光の具合によるものだったのかもしれない。でも、少なくとも、私にはイエス様が微笑まれているように見えた。その時、私は泣きました。泣いて泣いて、それまで生きてきた年月分だけの涙を流したかと思うほど、泣きました。泣いた後、心がとても軽くなっていました。まるで生まれ変わったような心持ちで、私はその日、教会を後にしたのです。教会の扉を開けて一歩外へ出たときに見上げた空の蒼さ、あのときの眩しい空を私はいまだに忘れられません」
富松の声がわずかに震えた。驚いて見つめると、富松の頬にひとすじの涙がつたい落ちていた。
「私はハッとしました。私の探し求めていたものは、あの蒼い空の向こうにこそあるのだと漸く悟ることができたのです」
「富松さんの探し求めていたもの―?」
お璃久が呟く。富松は深く頷いた。
「あの蒼穹に向かって、見えない階段が続いている。長く果てしない階段を昇ってゆけば、主のおわす天国へと辿り着く。どんな侮蔑の言葉を投げ付けられようと、すべての人を許す心を持ち続けていれば、自分もいつか主のおん許へとゆけるのだと思いました」
だから、富松はこんな風に穏やかに笑っていられるのだ。お璃久は漸く合点がいった想いだった。
富松は眩しげに眼を細めて、空を見上げた。六月の空はどこまでも蒼い。少年だった富松が見たという空も、こんなに蒼く高かったのだろうか、と、お璃久は思った。
作品名:天の階(きざはし)~蒼穹のかなたに見たものは~ 作家名:東 めぐみ