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天の階(きざはし)~蒼穹のかなたに見たものは~

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 相手は同じ遊廓で働いていた、やはり遊女だった。二人の仲が露見して、相手の女は別の女郎屋へ売り飛ばされた。遊女と使われている下男の恋はご法度である。
 その後、その女は馴染みの商人に囲われる妾となったという。実はその前に女は富松の子を身ごもっており、ひっそりと赤ン坊を産み落としていた。
 女が身請けされるに際して、遊廓は邪魔になった子どもだけを富松の許に送り返してきた。それがお勝である。
「子どもは既に一歳になっていましたが、名前すら、つけて貰ってはいませんでした。私がお勝と名付けたのです。私と同じく、この子もまた、この異相ゆえに他人から蔑まれる茨の道を歩まねばならないことは判っていましたから。強く、どんな困難をも乗り越え、撥ね付けるだけの勇気を持って生きていって欲しいと願いを込めたのです」
 富松は、傍らの少女の頭を撫でた。お勝は
五個の握り飯をすっかり食べ終えて、にこにこと笑っていた。
 お璃久は、とりあえず良人の卯吉に事の次第を告げに走った。卯吉は祖父の卯平と近くの茶漬屋〃ねこや〃を営んでおり、お璃久は昼間は店を手伝っている。偶然用足しに出かけた帰り道、富松父子に遭遇したのだ。
 お璃久の帰りが遅いのを卯吉はひどく心配していたが、事情を聞いて、更に驚愕した。
「また、お前(めえ)の妙な癖が始まったな」
 卯吉の言う〃妙な癖〃とは、お璃久の無類のお人好しな性分のことを指す。それでなくとも、狭い四畳半ひと間の家の中にお璃久の飼う猫が三匹と大人が二人暮らしているのだ。
 この上更に手狭になることはできれば避けたかったが―、お璃久の輝く眼を見ていると何も言えなくなるのが卯吉の弱いところであった。
 むろん、初め、富松は出てゆくと言ってきかなかった。これ以上見も知らぬ他人に迷惑はかけられないと、娘を連れて出てゆこうとしたのを、お璃久が引き止めたのだ。
 富松はともかく、幼い娘の方はかなり弱っているように見えた。食欲はあるけれど、このまま放り出して、もし行き倒れでもしてしまったら、何より、あの悪意に満ちた世間の偏見の中に送り出すことは、お璃久には、いかにしてもできなかった。
 お璃久は卯吉と所帯を持って既に三年になるが、いまだに子宝に恵まれない。そのせいか、子どもを見ると、余計に〃お節介焼き〃の性分が頭をもたげてしまうのだ。
「まぁ、お前のそんな性分に惚れたと言えば惚れたんだがな」
 と、臆面もなく言う卯吉である。
「当分の間、いいえ、せめて二、三日くらいの間、その二人を泊めて上げて下さいな」
 両手のひらを合わせて、〃ね、お願い〃と言われると、内心は〃またか〃と思いながらも、つい頷いてしまうのも、いつものことである。
 だが、その卯吉も長屋へ戻って、富松を見て驚いた。それほど、富松の美しさは際立っていたのだ。普段から卯吉はあまり自分の感情というものを表に出す方ではない。むしろ、無愛想ゆえに、人嫌いなのだと誤解されやすい方である。
 それが富松を見るなり、言葉を失ってしまった。ましてや、嫉妬などしたことのない卯吉が、思わず富松の美男ぶりに魅かれて、余計に世話好きな性分をお璃久が発揮しているのではと勘ぐったほどである。
 夜、店の暖簾をしまってから、卯吉はお璃久と連れ立っていつものように裏店に戻ってきた。その卯吉に向かって、富松は丁寧に手をつかえて挨拶した。
「おかみさんの言葉に甘えてしまって、お世話になります」
 その側にお勝がちょこんと座って、同じように手をついた。
 もっとも、上に何とかがつくくらい真っ正直なお璃久に限って、そんなことはないとすぐに思い直したのだけれど。何より、お璃久の二人に対する態度を見ていれば、純粋な親切心以外の何ものでもないことがよく判った。
 とにかく、ここはお璃久の言うとおり、しばらくこの父娘と共に暮らすしかなさそうであった。
 卯吉の心中はさておき、三匹の猫たちは、お勝というかっこうの遊び相手ができて歓んでいるようであった。

 その翌日もお璃久と卯吉は常のように店に出た。〃ねこや〃は大きな机が一つと腰掛け代わりの空樽が数個でいっぱいの狭い店だが、味は悪くないと遠くから通ってくる馴染みもいる。
 お璃久は昼過ぎに一度、長屋へ戻ってきた。特に用はなかったのだが、あの父娘のことがどうにも気になって仕方なかったのだ。
 朝長屋を出る時、握り飯をたくさん作って大皿に盛ってきたので、食事の支度の心配はない。
 お璃久が長屋の木戸口を通って狭い路地を歩いてきた時、ふいに囃し声が耳に飛び込んできた。
「やーい、毛唐」
 その嫌な響きの言葉に、お璃久はハッとした。
 見れば、共同で使う井戸の傍に数人の子どもたちが群れていた。子どもたちは、〃毛唐、毛唐〃と囃し立てながら、お勝をこづいていた。
 一人の少女に強く押され、勢い余ってお勝が尻餅をついた。強く打ったのか、痛みに顔を歪めている。今にも泣き出しそうであった。
 お璃久は思わず駆け出していた。
「こら、あんたたち、何してるのよ」
 と、お勝を押した少女が勝ち気そうな眼をお璃久に向けた。この子はお絹といって、同じ長屋に住む塩売りの伊平の娘である。伊平とその女房のおきみにはお絹を頭(かしら)に四人の子がおり、食べ盛りの子どもたちを塩売りの稼ぎだけで養ってゆくのは並大抵のことではない。
 おきみは仕立物の内職をして生計を助けているものの、一家はいつも慎ましい生活を送っていた。その分、伊平もおきみも至って気の好い夫婦で、自分たちが困っていても、隣の鋳掛け屋の女房が米が無いと泣きついてゆけば、分け与えるような人間である。
 その夫婦の娘にしては、お絹はあまり質(たち)が良くない。大店の子や自分より年上の子には媚びへつらうくせに、幼い子や弱い子には居丈高になる。
 強い者や富める者についていれば、そのおこぼれが貰える。もし、まだ幼いお絹にそのような哀しい習性がいつしか身についているのだとすれば、貧しさゆえかもしれず、それはそれで哀れなことであった。
「だって、この子、私たちとまるで違う。お化けみたいなんだもの」
 お絹が憎々しげに言った。
―私が行くところはいつもそうです。
―化け物呼ばわりされているのは、慣れています。
 富松が昨日言った言葉がお璃久の中で哀しく蘇った。
 お璃久の中で何かが弾けた。
「どこか違うの、何が違うっていうの!? お勝ちゃんは私たちと同じじゃない。え、言ってごらんなさい、この子のどこか私たちと違うからって、あんたたちはこの子を苛めるのよ?」
 お璃久は叫んだ。
 普段は優しく、少々の悪戯なぞ笑って見逃してくれるお璃久である。そのお璃久が人が変わったように言い募った。それを見た子どもたちが顔を見合わせた。
 流石のお絹も怯んだようである。
 が、それもいっときのことで、次の瞬間にはキッとお璃久を睨み返していた。
「この髪、眼の色、どこもかしこもおかしいじゃない」
「眼の色、髪の色が違うからって、それのどこが悪いの、私たちと同じ人間じゃないの」
 お璃久が言うと、お絹がお勝に向かって、ペッと唾を吐いた。その唾はまともにお勝の顔にかかった。
「何するのよッ」
 お璃久は知らず、手を振り上げていた。