正直者と裏切り者
しかも、それは俺だけが特別だったという訳ではなく、噂では学内の生徒の大半が彼女の毒牙にかかったとかいないとか。俺が受けたようなハニートラップにかかった者もいれば、"友人"の彼氏を寝取ったり、逆に"彼女"をも寝取ったりしたという話も聞いた覚えがある。その上で他人の弱みにつけ入るのは勿論、一度裏切った相手でさえも取り入るのが犯罪的に上手いおかげで、もはや彼女自身が生きる都市伝説と化しているのだ。
こんな嘘のような本当の話は、反則的な外見スペックを有する彼女だからこそできる芸当である。
「実はその反動で中身がここまで醜くなってしまったの」と本人から言われよう物なら、それこそ無条件で信じてしまいそうだ。
「酷いわね。精一杯本気で褒めているのに」
「乃木森さんの言葉を信じ過ぎると痛い目に合うってわかってるからね。でも、約束は守ってもらうよ」
「はいはい。じゃあもう目を瞑らなくていいから、そのままにしてて」
そう言って乃木森さんは席を立った。「あなたも立って」と言われたので、それは流石に大人しく言う通りにしてみる。
彼女が俺の後ろへ回っていく。トクトクと段階的に早鳴りしていく心臓。期待が膨らみに膨らんでいく。
そして――――。
「…………」
「あら、随分と不満そうね」
数分後。俺はただひたすら手を握られていた。
「当たり前でしょ。少しでも乃木森さんの言葉を真っ当から信じた俺がバカだったよ」
「あら、心外ね。私はちゃんと「こういう事をしてあげる」って宣言したでしょ?」
どうやら、彼女が言っていた「こう言う事」と言うのは胸を押し当てるのではなくて、その言葉の後にした「手をにぎにぎとする事」を指していたらしい。
………乃木森さんの言う分には、「私がやってあげる事をあなたが勝手に勘違いしただけ」だそうだ。全く腹の立つ。
「あの流れだったらおっぱいをぶつけてくれるって勘違いするに決まってるじゃないか!」
「物木くんって本当に正直よね、引くぐらいに。そんなんだと女の子に嫌われるわよ?」
「俺は引くぐらい"正直者"だからね。それに、今更取り繕ったってしょうがないでしょ?
もうクラスの全員に「物木正二は嘘をつけない正直者だ」って思われてるだろうし、実際その通りだし」
「自分で"正直"って言うのね。私は自分から"裏切る"なんて言わないのに」
「それは言葉が意味するベクトル性がそもそも違うじゃないか。比べる物じゃないよ」
自分は正直者ですという道化はいても、自分は裏切りますというバカは早々いないだろう。それこそ、それをウリにしている人間でも無い限りは。しかしそこまで考えてから、「もしかしたらこの人はそれをウリに出しているのかもしれない」という新説も思い浮かんだので、ついでにそれをそのまま口に出して聞いてみた。
「そんな新説いらないわよ。捨てちゃいなさい」
「あ、じゃあ違うって事で良いんだね?」
「あなたってそういう所面倒くさいわね。察して欲しいの、わからない?」
「意思伝達に齟齬が発生するかもしれないし、そもそも乃木森さんの言葉は基本的に裏を取っておかないと気がすまないんだ」
「まあ、私って結構信用されてないのね」
「今更気がつく事じゃないと思うよ」
質問の結果、左肩の辺りをバシッと殴られた。未だに俺の両手は彼女の余った方の手でにぎにぎとされているので防御らしい防御も出来なかったけど、まあ顔面ではないだけマシだと思う事にする。そんな痛くなかったしね。
「だって本気で殴ったら痛いじゃない」
「そうだね、乃木森さんの手がね」
「………むう」
言葉を先回りされた悔しさからか、口を膨らしたようにこもった声が聞こえた。残念ながら彼女は視界外にいるので、その可愛らしく出来上がっているのであろう表情を直接眺める事ができないのが残念だ。
りんごーん。
そこで、再び学校のチャイムが鳴った。時計を確認すると既に5時を過ぎており、夕日が照らしていた黄昏の教室もいよいよ暗くなり始めている。
「じゃ、帰りましょうか」
「は?」
まるでその合図を待っていたかのように乃木森さんは荷物をまとめ始める。あまりの鞍替えの速さに、俺自身全くついて行けてない。
「物木くんは帰らないの?」
「いや、そりゃあ帰るけどさ。むしろ乃木森さん帰るの?このまま学校に泊まるんじゃないかって勢いだったのに?」
「冗談はよしてよね。こんな埃っぽい所に一晩も居たくないわ」
そんな埃っぽい所から無理やり解放してくれなかった人が何を言いますか。
しかし、乃木森さんは一体何を考えているのだろう。とは言え、一般生徒Aと言う称号が似合う俺にはなんの閃きが生まれる事もない。
「じゃ、ヒントをあげる。今日、帰りのHRでイヤな事聞いちゃったの」
「イヤな事? んんー……」
「正直者で真面目なあなたなら気にしてなかったかも」
「あ、そっか。帰りに荷物検査やるって言ってたっけ」
「正解」
パチン、と指を鳴らしてウインクしながら俺を指を差す乃木森さん。
しかし、すぐにそのポーズは崩れ、そのまま考えこむような仕草に移行した。
「随分と早かったわ。頭の回転早いのね」
「いや、違うよ。先生に見つかるとマズい漫画やゲームを持って来てたのを思い出してさ」
そう言えば、担任の増田が趣味でやってるらしい荷物検査をやるぞーって事を言ってた覚えがある。そもそも何で帰りにそんなのやるんだろう、とツッコむのは誰しもが通ってきた道だ。今更何を言っても遅い。
「あら、意外。物木くんって正直者だから、そう言うのを持って来なさそうなイメージがあったのに」
「正直と真面目は必ずイコールで結ばれる訳じゃないよ。ところで、乃木森さんも何かマズい物でも持って来てたの?」
「もしそうだったとしたら、それはなんだと思う?」
「コンドーム」
聞かれた事を間髪入れずに答えてみたら、頬を鋭く引っ叩かれた。流石に痛い。
そして乃木森さんは俺の胸ぐらを引っ掴んで凄む。おおう、怖い怖い。
「ねえ物木くん。私をその辺りのアバズレ女と誤解していないかしら?」
「え、違うの?トモダチの男も女も寝取ってるんでしょ」
「勘違いしないでほしいわね。アバズレはその男とヤる事が本命でしょ。私はその男を奪って絶望に打ちひしがれてるそのトモダチの歪んだ顔が本命なの」
「とことん腐ってるね」
「うふ、ありがと」
「いや、別に褒めちゃいないよ」
どうも中身が歪んでいると言葉の美的センスも歪むみたいで、乃木森さんはあからさまな賞賛は勿論受け取るが、言った本人の意図しない所で悦ぶ場合があるので始末に終えない。いや、まともな賞賛も受け取っている辺り、歪んでいるというよりはストライクゾーンが広がっているのか。
「上手い表現ね、ストライクゾーンが広がってるなんて」
「どうもありがとう。それで、何を持って来てたの?」
「内緒にしてくれる?」
「んー、言っちゃうかも」
「ごめんなさい、あなたに隠し事をしろっていう方が無理な話よね」