蒼空の向こう
第12章・霧の向こうの夢
「香月」で働き出して6年が過ぎた。
板長の健さんが円満退職で店を持った。店は意外にも和食ではなく創作イタリアンの店だ。いつの間にイタリアンを習得したのだろう。実直な彼の反面を見た気がした。だが、それは健さんなりの「落とし前」のつけ方だったのだ・・・と僕は納得した。
何度か、恭子と店を訪ねた。新装開店の創作イタリアンは盛況だった。
当然のように僕の仕事は増えた。
早朝四時から魚市場での仕入れ(この頃には店舗数も三店舗に増えていた。仕入れは一括して僕ともう一人、高野のいう店長とで行う)に出かけ、朝日が昇る頃にアパートへ戻って仮眠を取る。昼前に起きて仕込みのために店に入る。
絵を描く時間など無くなってしまった。
夢が霞んでいきそうだった。
僕は、いつものように昼過ぎに店に入ると、薄暗い店内でジャガイモの皮を剥いていた。
ぺティナイフを使い10キロを一人で剥く。大根の桂剥きを造り、更に千切りにして「刺身のつま」を作る。仕入れてきた食材で「付き出し」と「大皿料理」を10品ほど造り、ネタケースには生鮮物を並べていく。仕込みに4時間を費やす。店の開店は6時だが、5時過ぎには常連客が暖簾から顔を覗かせる。休む間もない。
健さんが辞めた後、僕は一番の古株となった。見習いだった田島は既に辞め、ホールの女性も全て入れ替わっている。
ジャガイモの皮を剥き終える頃、大将が大きな体を揺らしながら入ってきた。いつもより随分と早い。