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還るべき場所・3/3(結

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 「ごめん佐藤、明日は部屋で休もうと思う。また誘ってくれ。」
佐藤はそっか、じゃあまたな!と言いながら、下を隠さずにタオルで胸を隠しながら出て行った。クスッとしてしまった。
 (あいつには適わないなぁ)

 佐藤のお蔭で気も晴れ、体もやっとさっぱりした。風呂を出て部屋に戻ると、ベッドに倒れこんだ。今日の1日は果てしなく長く感じた。…だが…ちゃんと結衣にたどり着けた。

16日の夜まで、結衣の熱はただの風邪だったんだと思う。現実的に考えて、今日本にはペスト菌を保有する動物はいないだろう。ところが16日にあの夢でサーラから黒い霧が感染した。恐らくそれはペスト敗血症と似てはいるが、違うもので、菌にも感染してしない。なぜならペスト菌は肌が触れた位では感染しないし、もちろん空気感染もしない。今ごろ結衣を検査している医師は首を傾げているかもしれない。だがそこが最も恐ろしいところだった。菌がいないのに敗血病を起こすとなれば、ストレプトマイシンは効かない。誰にも理解できないまま、感染が広がってパンデミックを引き起こし…その先はどうなっていたか…。
 (やっぱり結衣は頭がいいな)
とにかく人気を避けようとした結衣は教会裏の林で祈った。他に行ける場所も思いつかなかったんだと思う。しかしそこで結衣は気が付いた。この霧がペストから変異した物だったのなら、元々ペストの保菌者として有名なノミや、ネズミなどの齧歯類にも感染するかも知れない。自分の死を予期して、ここでは死ねないと考えた。それが『ここにはいられない』の意味だ。

―――そして…あの川に身を投げた。

 (結衣…)

虚空を見つめた。僕の夢で結衣が発した「齧歯類がいる」「ここにはいられない」の2言は死期の近い結衣が僕に伝えようしたのかも知れない。結衣のしなければならなかったこと、その理由を…。僕と結衣の夢にはおよそ50分の開きがあった。その差は、結衣がアパートから教会まで移動し、祈り、メモを残すまでの時間だったのかも知れない。この考えが正しいかどうかは到底わからない。そもそも「報い」なんてものが関係している時点で現実的には推測にすらなっていない。でもそれでもいいと思う。結衣はただ死んだんじゃない。想像もできないほどの人々を救ったんだ。そう…思いたい。




8月18日 06:27




 目が覚めた。いつの間にか眠ってしまったらしい。パタパタと窓をたたく音が聞こえた。1週間ぶりに雨が降っている。昼間は恐ろしく暑いこの部屋も、雨のお蔭もあってか、朝のさわやかな空気に満たされていた。だが、この時は何にも増して、腹が減っていた。
 (そういえば、昨日はチョコバーしか食べていないじゃないか…)
人間は、いや僕に限ったことかも知れないが、本気で夢中になると他のことは気が回らなくなってしまうらしい。僕は冷蔵庫を開けた。ちなみに僕の部屋にだってこの冷蔵庫や小さなテレビ、レンジ、トースターくらいはあるんだ。…いつ買ったかわからない食パンがあった。幸いカビも生えていないし、大丈夫だろう。2枚並べてトースターで焼いた。そしてマーガリンを塗ってハムを乗せる。これが僕の定番の食べ方だった。
 (うん、うまい。チョコバーよりうまい)
食べながらTVのニュースを見た。いつもと大して変わりのない報道だった。いくつか悲しい事件や事故もあったが、ペストのことは出て来なかった。
 (やったな、結衣)
 「続いては、エンタメのコーナーです!」
若くて可愛いアナウンサーが言った。正直どうでもいい。僕は芸能界やTVで見るスポーツが嫌いだった。いや嫌いというわけではないが、どうしてもだからどうした、という気持ちになってしまうのだ。昔からそうだった。ベトナムやチェチェン、コソボ、アフガニスタン、シリア…。「メメント・モリ」という有名な言葉がある。日本語で普通に言うなら、「死を忘れるな」だ。先進国では人は寿命を全うするか、治療の甲斐なく病死することが殆どで、遺体は隠されるのが普通だ。でも戦時中や発展途上の厳しい国では誰にも埋められずに、狼や野鳥に食べられて自然に帰るのがありふれた話。もしも神様がいるのなら、そいつはとっくに人間に興味を失っている。エンタメだ?そんなものを見てヘラヘラ笑って、日本や他の先進国の国民はそれでいいのか?もっと人間の本質を見なければいけないのでは?と、僕は思っている。そのためか、エンタメだとか、そういう浮世だったものよりも、サイエンスや哲学、人生論などを好んだ。だから有名なサイエンス誌は今でも図書館で欠かさず読んでいる。

 神、といえば『ラプラスの魔物』を知っている者が、どの位いるだろうか?同世代では50人に1人か、30人に1人か…もっと少ないかも知れない。神という概念から何となく思い出した。ラプラスの魔物は古典物理学において、決定論、あるいは因果律の典型的な例として引き合いに出された、ある知性の存在だ。ラプラスは、ある瞬間、宇宙全体の原子の位置やエネルギーを全て正確に把握できる知性がいると過程した。もしそのような知性が存在するとしたら、未来に起きるすべての現象が物理的に予測できる。そう決定論の例をあげたのだ。原子の動きによって化学反応がおき、様々な自然現象もそれに従って発生するのだから、宇宙が出来上がった時には既に未来も決まっていた、とそういうわけだ。
勿論、現在では量子物理学の観点、例えば電子の不確定性などから、決定論は否定されている。だが過去、現在、未来、全てを把握できる知性、それは神を容易にイメージさせる…。全知全能の神がいるとは僕には思えない。無宗教たる所以か。でも世界中を観察する事が出来て、ちょっと手を加えるくらいしか出来ないとするならば、有り、だと思う。ただ、僕らの生きる3次元空間ではその姿全体を把握出来ないのは確かだ。その神は4次元以上の空間にいる。なぜなら、3次元を見渡すためには、4次元目の方向が必須だから。僕らは机の上の世界地図の全体を見ることができる。なぜならそれは擬似的な2次元ともいえる、xy方向に広がりを持つ「紙」を、第3の方向zを使って覗いているからだ。そして同様に僕らの3次元を見渡すには第4の方向が必要なのだ。当たり前だ。僕が今見えるのは、この部屋の壁までだ。だって壁が邪魔だもの…。つまりは神様は少なくとも3次元人ではなく、もっと高次元の空間に存在する、と思う。そして実際に量子物理学の分野では、そういった高次元の存在が明らかに成りつつある。4次元どころではなく、16次元なども…。これ以上はあまり詳しくは無いが…。
もしそういった高次元人がいたら、持てる知識の全てを使い、月を目指した3次元人は滑稽に映ったに違いない。私がつまめば、1秒で着くのに…と。問題は3次元人にとっては、高次元の存在も、3次元の形をした「影」としか認識できないということだ…。つまり…。

また、思考がおかしな方向へ行ってしまった…。でもそういう存在があるとしたら、魂の起源も同じ場所なのかも、そう思った。言ってみれば僕は、変にロマンチストなのかも知れない。ちょっと将来が不安になってきた…。
作品名:還るべき場所・3/3(結 作家名:TERA