還るべき場所・3/3(結
8月17日 20:30
インドア派で、ほとんど外で運動などしない僕の体力は限界のはずだった。別に明日行けばいい、佐藤がいたらそう言うかもしれない。だが、何かに導かれているような、背中を押されているような感覚があった。寮の階段を下り、出入口へ向かった。
今が真夏であるとはいえ、外はもう真っ暗だった。田舎の夜は暗い。でもそれは悪いことだけではないと思う。ここは星の数が多いのだ。今も夏の大三角が、それぞれの星のある星座ごと、はっきりと見えた。さすがに天の川までは見えないが…
(まってろ結衣、今行く)
所々ステッカーのついた、使い込まれた半ヘルをかぶり、これもまた使い古されたスクーターに跨った。多分10分もかからず着くはずだ。
まずは河の土手沿いの道を目指した。次第に田畑が多くなり、光が漏れて温もりが感じられた家々が徐々に減っていった。そしてその道に出ると、両脇にはもう明かりもなく、ただ草木が生い茂っていた。車とは1台もすれ違わず、虫や鳥の鳴き声だけが聞こえる。この先は広い遊水地へとつながっているが、目的の場所はそれよりもかなり手前にある。夜でもうっすらと明りの灯ったその場所は、結衣のアパートから見えた、あの教会だった。考えてみれば、結衣のアパートから1kmと離れていない。もしかしたら、だからこそ結衣はあの安アパートに決めたのかも知れないと思った。
道路にスクーターを停め、敷地内に入った。教会の外観は比較的シンプルで、簡単な一軒家の民家とそう遠くない。2枚のトランプを合わせて立たせたような屋根の正面先端には十字架が立っている。近づいてみると壁はレンガ模様の白かクリーム色らしきタイルで飾られていて、なんとなく可愛らしい印象だった。また、入口は重厚そうな木造の見開きになっており、その前には雨よけの小さな低い屋根とそれを支える2本の柱があった。そして入口の両脇には大きな窓、上には80cm位で円形のステンドグラスがあり、教会の中から漏れる暖かい光によって色とりどりに輝いていた。
(これが教会というものか…)
中に入ってもいないというのになんとなく、心が穏やかになる。しかし僕には中に入るつもりは最初からなかった。多分、裏だ。敷地に入った時から見えていたが、教会の裏は雑木林があった。恐らく土手までの50mほどこの林が続いていると思う。僕は裏手に回った。
意を決して壁際から頭をだし、裏手を覗いた。暗くて良く見えない。
(しまった。ライトを持ってくればよかった)
今更思いついても遅い。敷き詰められた砂利を踏みしめながら歩いた。
5分は探しただろうか…結局砂利の上には何もなかった…。僕の思っていた様に結衣はこの砂利の上で祈りを捧げたのだろうか?それとも見当違いだったのか…
(くそっ!!……)
当てが外れた。ここ以外にはありえないと思っていたのに…。ここに来れば何かあると思っていたのに…。僕はあからさまに肩を落とし、教会の玄関へ向かった。その時だった。
――――ブブッ―
頭より先に体が反応し、その場で硬直した。一瞬で総毛立ち、気付いた。あの音だ。空を震わすようなあの重低音。一瞬だが、確かに聞こえた。自然に拳を握りしめている。そして唾を飲みこみながら、ゆっくりと振り返った。
見えたのは何も変わらない、教会の壁と砂利道だった。拳の力が抜けた…。でも確かに聞こえたはずのあの音は何だ?
(絶対に何かある…。あれは教会の裏のもっと奥、林の中だ…)
僕は携帯を取り出し、カメラを起動した。そしてライトを点灯させた。
先ほどまで散々うろついた砂利の上に立ち、雑木林を見つめた。膝位まで伸びた雑草と大きな木々。闇とか漆黒とか、そういう言葉の意味するものがそのまま木々の奥に広がっている。
(携帯のバッテリーは長くはもたない。行かなければ…。
――――この先にいるのは結衣か、それともサーラか…)
草の背丈が低い箇所があった。僕はそこから中へと入り、草を照らしながら歩いた。暗闇を見てはいけない、そう思った。あの暗闇の中に自分がいることを実感してしまったら、きっと動けなくなってしまうだろう。その時ふとあることに気が付いた。2m先、草が折れている…。そして地面をよく見ると、何かを引きずったような跡が腐葉土の上に残されていた。
(これは…何かが通ったあと?)
息を飲んだ。しかしこれで闇雲に彷徨わなくて済む。僕はゆっくりと草と土を観察しながら歩を進めた。そして…20mほど進んだ所だった。
そこにあったのは、サーラではなく結衣だった。結衣の……キャリーケースだった。
あの夢で見たのと同じ、藍色のキャリーケース…。それから、地面には丸く窪んだ跡が2つと、それより小さくて深い穴が2つあった。穴の方は中の湿った土が見えていて、抉ったような跡に見えた。
(何か…埋めたのか?)
そう感じた僕は膝をついて、穴をよく見た。そして、そこまでやってようやく気が付いた。今自分がやっていること、結衣はこれと同じ姿勢だったのだ。つまり、ここで教会に向かって跪いて祈った…。ベルティノッティ親子と同じように…。
(敗血症による全身の痛みと、高熱の倦怠感、吐き気、眩暈…。辛かったはずなのに…)
そう思うと胸が痛んで仕方なかった。霧の所為で、触れただけで感染してしまうのなら、とにかく人のいないところに行かなければならないと思ったのだろう。それであのキャリーケースに荷物を詰めた…。そう考えながらキャリーケースに明りを向けた。すると外側についた大きなポケットの奥に、白いものが見えた。取り出してみると、それは破いて丸めた日記帳のページだった。
ここには ねずみとか げっしるいがいる。
お母さんごめんなさい。
ここには いられない。
「そんな…そんなのありかよ…」
理解した。そして、この2日で何度目だろうか…現実感が薄れていく感覚。ページを両手で握りつぶし、額に当て、歯を食いしばった。
そして林を抜け、土手を越え、川べりに立った。せせらぎが聞こえる。
「ようやく追いついたよ結衣」
8月17日 23:50
僕は自室にいた。結衣のキャリーケースはベッドの脇に置いてあった。これはいわゆる遺品だ…あそこに置いておくわけにはいかない。結衣の件が公的に落ち着いてから、中谷さんに返そう、そう思った。とにかくシャワーを浴びてから今日は休もう。
浴場に入ると、シャワーを使っている佐藤がいた。あまり人と話せる状態とは言えなかったので、離れた所に座った。
「あれ?大沢じゃん。」
気付かれた。
「おう…」
「?…どうしたんだよ、元気ないじゃん。」
「…ちょっと、色々あってさ…後で話すよ。」
「…そっかぁ。まぁあるよな、そういう時も!なぁ大沢、明日ヒマ?前にお前なんとかっていう店のシャツ欲しいっていってたじゃん?俺もTシャツ買いに行くんだけど、一緒に行こうぜ。」
…佐藤、ありがとう。素直に言葉には出来なかったが、彼の優しさが伝わってくる。「ただの友人」がこんなにも大事なものだったなんて、今まで気が付かなかった。僕はこんなにも涙もろかったのか。顔を洗うふりをして誤魔化した。
インドア派で、ほとんど外で運動などしない僕の体力は限界のはずだった。別に明日行けばいい、佐藤がいたらそう言うかもしれない。だが、何かに導かれているような、背中を押されているような感覚があった。寮の階段を下り、出入口へ向かった。
今が真夏であるとはいえ、外はもう真っ暗だった。田舎の夜は暗い。でもそれは悪いことだけではないと思う。ここは星の数が多いのだ。今も夏の大三角が、それぞれの星のある星座ごと、はっきりと見えた。さすがに天の川までは見えないが…
(まってろ結衣、今行く)
所々ステッカーのついた、使い込まれた半ヘルをかぶり、これもまた使い古されたスクーターに跨った。多分10分もかからず着くはずだ。
まずは河の土手沿いの道を目指した。次第に田畑が多くなり、光が漏れて温もりが感じられた家々が徐々に減っていった。そしてその道に出ると、両脇にはもう明かりもなく、ただ草木が生い茂っていた。車とは1台もすれ違わず、虫や鳥の鳴き声だけが聞こえる。この先は広い遊水地へとつながっているが、目的の場所はそれよりもかなり手前にある。夜でもうっすらと明りの灯ったその場所は、結衣のアパートから見えた、あの教会だった。考えてみれば、結衣のアパートから1kmと離れていない。もしかしたら、だからこそ結衣はあの安アパートに決めたのかも知れないと思った。
道路にスクーターを停め、敷地内に入った。教会の外観は比較的シンプルで、簡単な一軒家の民家とそう遠くない。2枚のトランプを合わせて立たせたような屋根の正面先端には十字架が立っている。近づいてみると壁はレンガ模様の白かクリーム色らしきタイルで飾られていて、なんとなく可愛らしい印象だった。また、入口は重厚そうな木造の見開きになっており、その前には雨よけの小さな低い屋根とそれを支える2本の柱があった。そして入口の両脇には大きな窓、上には80cm位で円形のステンドグラスがあり、教会の中から漏れる暖かい光によって色とりどりに輝いていた。
(これが教会というものか…)
中に入ってもいないというのになんとなく、心が穏やかになる。しかし僕には中に入るつもりは最初からなかった。多分、裏だ。敷地に入った時から見えていたが、教会の裏は雑木林があった。恐らく土手までの50mほどこの林が続いていると思う。僕は裏手に回った。
意を決して壁際から頭をだし、裏手を覗いた。暗くて良く見えない。
(しまった。ライトを持ってくればよかった)
今更思いついても遅い。敷き詰められた砂利を踏みしめながら歩いた。
5分は探しただろうか…結局砂利の上には何もなかった…。僕の思っていた様に結衣はこの砂利の上で祈りを捧げたのだろうか?それとも見当違いだったのか…
(くそっ!!……)
当てが外れた。ここ以外にはありえないと思っていたのに…。ここに来れば何かあると思っていたのに…。僕はあからさまに肩を落とし、教会の玄関へ向かった。その時だった。
――――ブブッ―
頭より先に体が反応し、その場で硬直した。一瞬で総毛立ち、気付いた。あの音だ。空を震わすようなあの重低音。一瞬だが、確かに聞こえた。自然に拳を握りしめている。そして唾を飲みこみながら、ゆっくりと振り返った。
見えたのは何も変わらない、教会の壁と砂利道だった。拳の力が抜けた…。でも確かに聞こえたはずのあの音は何だ?
(絶対に何かある…。あれは教会の裏のもっと奥、林の中だ…)
僕は携帯を取り出し、カメラを起動した。そしてライトを点灯させた。
先ほどまで散々うろついた砂利の上に立ち、雑木林を見つめた。膝位まで伸びた雑草と大きな木々。闇とか漆黒とか、そういう言葉の意味するものがそのまま木々の奥に広がっている。
(携帯のバッテリーは長くはもたない。行かなければ…。
――――この先にいるのは結衣か、それともサーラか…)
草の背丈が低い箇所があった。僕はそこから中へと入り、草を照らしながら歩いた。暗闇を見てはいけない、そう思った。あの暗闇の中に自分がいることを実感してしまったら、きっと動けなくなってしまうだろう。その時ふとあることに気が付いた。2m先、草が折れている…。そして地面をよく見ると、何かを引きずったような跡が腐葉土の上に残されていた。
(これは…何かが通ったあと?)
息を飲んだ。しかしこれで闇雲に彷徨わなくて済む。僕はゆっくりと草と土を観察しながら歩を進めた。そして…20mほど進んだ所だった。
そこにあったのは、サーラではなく結衣だった。結衣の……キャリーケースだった。
あの夢で見たのと同じ、藍色のキャリーケース…。それから、地面には丸く窪んだ跡が2つと、それより小さくて深い穴が2つあった。穴の方は中の湿った土が見えていて、抉ったような跡に見えた。
(何か…埋めたのか?)
そう感じた僕は膝をついて、穴をよく見た。そして、そこまでやってようやく気が付いた。今自分がやっていること、結衣はこれと同じ姿勢だったのだ。つまり、ここで教会に向かって跪いて祈った…。ベルティノッティ親子と同じように…。
(敗血症による全身の痛みと、高熱の倦怠感、吐き気、眩暈…。辛かったはずなのに…)
そう思うと胸が痛んで仕方なかった。霧の所為で、触れただけで感染してしまうのなら、とにかく人のいないところに行かなければならないと思ったのだろう。それであのキャリーケースに荷物を詰めた…。そう考えながらキャリーケースに明りを向けた。すると外側についた大きなポケットの奥に、白いものが見えた。取り出してみると、それは破いて丸めた日記帳のページだった。
ここには ねずみとか げっしるいがいる。
お母さんごめんなさい。
ここには いられない。
「そんな…そんなのありかよ…」
理解した。そして、この2日で何度目だろうか…現実感が薄れていく感覚。ページを両手で握りつぶし、額に当て、歯を食いしばった。
そして林を抜け、土手を越え、川べりに立った。せせらぎが聞こえる。
「ようやく追いついたよ結衣」
8月17日 23:50
僕は自室にいた。結衣のキャリーケースはベッドの脇に置いてあった。これはいわゆる遺品だ…あそこに置いておくわけにはいかない。結衣の件が公的に落ち着いてから、中谷さんに返そう、そう思った。とにかくシャワーを浴びてから今日は休もう。
浴場に入ると、シャワーを使っている佐藤がいた。あまり人と話せる状態とは言えなかったので、離れた所に座った。
「あれ?大沢じゃん。」
気付かれた。
「おう…」
「?…どうしたんだよ、元気ないじゃん。」
「…ちょっと、色々あってさ…後で話すよ。」
「…そっかぁ。まぁあるよな、そういう時も!なぁ大沢、明日ヒマ?前にお前なんとかっていう店のシャツ欲しいっていってたじゃん?俺もTシャツ買いに行くんだけど、一緒に行こうぜ。」
…佐藤、ありがとう。素直に言葉には出来なかったが、彼の優しさが伝わってくる。「ただの友人」がこんなにも大事なものだったなんて、今まで気が付かなかった。僕はこんなにも涙もろかったのか。顔を洗うふりをして誤魔化した。
作品名:還るべき場所・3/3(結 作家名:TERA