還るべき場所・1/3
7時20分頃まで中谷さんと話をしながら結衣の帰宅を待った。やはり結衣の携帯は電源が入っていないらしく、つながらなかった。結局、中学や高校の時の思い出や、大学の話などをしながら、7時20分ごろまで待っていたが結衣は帰ってこなかった。
僕は8時から家庭教師のアルバイトがあるため、先に帰らせてもらった。寮の駐輪場に到着し、こんな状況でバイトなんて…そう思いながら、玄関へ向かっていたその時、携帯がなった。中谷さんだった。
「もしも――」
「結衣が……………」
「……え?」
――その後中谷さんが口にした言葉は、僕の理性を吹き飛ばすのに十分な力を持っていた。ヘルメットも地面に置いたまま原付で走り出した。夢中だった。たぶん何も見えてなかっただろう。信号もたぶん無視した。とにかく教えられた病院へ原付を飛ばした。
病院の救急受付には、救急車が止まっていた。その先の入り口から光が漏れているのが見えた。救急の赤いランプと混ざり合って、田舎の暗闇の中で異様な雰囲気を作り出していた。恐る恐る中に入った。1人、看護師を見つけた。
「結衣はどこですか…?中谷結衣さんはどこですか…?」
「…ご家族の方ですか?」
その時、奥から絶叫にも似た泣き声が聞こえた。その声の主は中谷さんで、多分今、結衣と呼んだ…看護師の静止を振り切って、その声のする方へ走った。煌々と光のもれているその部屋には泣き崩れる中谷さんと数人の看護師、男性の医師らしき人、たくさんの機械、そして…
担架に寝そべる結衣がいた…
ちょうど酸素マスクが外されたところだった。結衣はびしょ濡れだった。作り物のようにブラリと担架から垂れ下がった腕には黒い痣があった。
そして、男がドラマか何かで聞いたことのあるセリフを言った。
―――結衣が死んだ
8月16日 20:20
結衣は河の下流で、うつ伏せになって水草に引っかかっているところを発見されたらしい。見つかった時には既に心肺停止状態で、懸命な蘇生措置が施されたが、それは叶わなかった。恐らく溺死だろうと伝えられた。
中谷さんと僕は結衣の前で泣き続けていた。昨日生きていた結衣が、ついさっき死んだ。なんでこんなことに……なんで…そう考えているといつの間にか呟いてしまっていた。
「夢の中のアパートで結衣が言ったんです。齧歯類がいるって…ここにはもういられないって…」
鼻をすする音だけが響いていた。中谷さんの耳には届かなかったようだ。言ってしまってから、聞こえなくてよかったと思った。だが…
「今、なんて?」
後ろに立っていたのは、あの医師の男だった。仕方なく、中谷さんには聞こえないよう小さな声で耳打ちした。その途端、男は青ざめて、
「まさか…3日間の高熱、その後の痣…敗血症…しかし…――ここ80年1例も――……」
などと言って頭をかきむしっている。男は急に慌ただしく動き出し、どこかに電話をかけた。中谷さんも何が起こっているのか把握できずに赤く腫れた目を色々な所に巡らせている。
突然バタバタとマスクと手袋をした看護師たちが集まってきた。医師と看護師達は結衣をどこかへと連れて行こうとしている。
「どうしたんですか!?結衣をどこへ連れて行くんですか!!!」
「隔離しなきゃならん!」
(隔離!?)
次の言葉に耳を疑った。
「この子は…ペストかもしれん―――――」
ペスト!?…ペスト、ペスト、ペスト…ペスト…聞いたことはあった。けれど実際にそんな病気に罹ったなんて聞いたことがない!そんなの昔の出来事じゃ…!?ペストで結衣がしんだって!?意味がわからない!!大体溺死だったんじゃ…!?
僕は混乱していた。しかし同様に混乱するべき人が微動だにしなかった。いや、「凍りついている」が正しかった。
「中谷さん…!?」
「……大沢さん、今日は、何日ですか?」
「??……16日です。8月…16日です…」
中谷さんは、両手で顔を覆うと涙を流しながら天井に向かってこう言った。
「うっうぅ…そんな!!!何故私の娘なんですか!!!!
――――――聖ロクスよ!!!」
そう言った中谷さんは、気を失った。
8月17日 10:00
昨夜は泣き疲れたのか、いろいろなことが起こりすぎたのか、まさに泥のように眠ってしまった。今でも全く信じられずにいた。結衣がもうこの世にいないなんて…そう考えてベッドに倒れこみ、うずくまってまた泣いた。また起き上がっては、昔を思いだし、倒れこみ、また泣いた。頭の中で結衣の名前と思い出が溢れかえっていた。中学のころ、ドッジボールで鼻血を出した僕に、ハンカチを貸してくれたこと。私ナースさんになる!と息巻いていたこと。テストでカンニングした時に思いっきりチクられたこと。高校のとき、結衣が青木純也に告白されて相談されたこと。あの時は相当困った。それから、たまに駅ビルのバーガー屋で買い食いをしたこと。僕の頭は大して良くもないくせに、こういう時には本気をだしやがる…そしてまた泣いた。
そうやって、どれくらい時間が経っただろう?涙が枯れ果てたころ、ようやく理性が働き始めた。(これじゃダメだ。)そう思った時、携帯の着信音が鳴った。今井さんだった…僕はどう説明して良いかわからず、その場をウロウロと歩き回った。着信はとまらない。(しかたない!)
「も、もしもし…」
電話越しに聞こえてきたのは、嗚咽だった。理解した。僕よりも先に中谷さんが連絡してくれたのだろう。結局、結衣を見つけられなかった僕を今井さんはきっと攻めるだろう。覚悟は出来ていた。しかし、
「…ごめんなさい…」
そういったのは彼女だった。彼女は泣きじゃくりながらあの夜のことを詳しく話してくれた。
結衣は電話のあと少し元気になったので、起きて一緒におしゃべりをしたそうだ。結衣が眠ったのは1時だったらしい。そろそろ帰ろうと思って身支度を始めたころ、結衣が急にうなされだした。そんな彼女を放ってはおけず、ベッドの傍らで一緒になって眠ってしまったという。そして、3時20分ごろ、異変が起きた。彼女は結衣に叩き起され、追い出されてしまったらしい。
「あの時、私がちゃんと側に居てあげられていたら!結衣は大丈夫だったのに!!!」
また嗚咽が聞こえてきた。つられて僕もまた泣き出しそうになるのを必死でこらえた。けれど、ただ、君のせいじゃないと繰り返すことしかできなかった。沈黙の後、電話は切れた。
なぜか僕は、これまでにない責任感を感じていた。結衣に何が起こったのか、それを僕は突き止めなくてはいけない…信じがたいことだが結衣がペストを発症していた?まずは、殆ど知識の無いペストだ。
作品名:還るべき場所・1/3 作家名:TERA