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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】 Ⅱ

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「素敵な名前」
 女の子たちは何が嬉しいのか顔を見合わせ、キャーキャーと騒いでいる。
「ゆきなちゃんのお姉ちゃん、歓ぶよね」
 ショートヘアが興奮した口調で言いう。
「あー、そうだ。今度、お姉ちゃんも連れてくるから、逢ってあげてください」
 お下げ髪が言い終わらない中に、ショートヘアも負けずに口を開く。
「そういえばさ、隣のクラスのなのかちゃんも向井理ってカッコ良いって言ってたし、うちのお母さんもファンなんだ。皆、連れてこようよ」
 彼女たちは勝手に話を纏め、悠理にバイバイと手を振る。
「皆、びっくりするよ。向井理のそっくりさんがこの町にいるなんて知ったらさ」
 口々に興奮した面持ちで喋りながら去っていく。
 ハアーと盛大な溜息が洩れ、悠理は首を振った。
「今時の女の子はあんなちっちゃな中から、たいしたもんだな」
 彼女たちのお陰で、妙な感傷もどこかに吹っ飛んでいったらしい。
 悠理はドッと疲れたような気になって、コンビニのドアを開けた。若手イケメン俳優の向井理によく似ていると言われるのは、何もこれが初めてではない。現役ホスト時代にも、この顔が目当てで通ってくるお客もたくさんいた。
 だが、まさかここまで来て、しかも向井理当人に間違えられるとは想像だにしていなかったというのが本音である。向井理は知的でクールでありながら、その中に少しはにかんだような表情があり、そこが彼の魅力だという人は多い。だから、悠理も店ではそのイメージを崩さないように心がけていたものだ。
 素顔の自分は向井理どころか、吉本新喜劇のお笑い芸人のように剽軽なのだから。取っつきにくいといわれる雰囲気は元はといえば、敢えて商業用に作ったイメージも混じってはいた。
 しかし、悠理はまだ知らなかった。あの小さな女の子たちの恐るべきパワーに。
 向井理に酷似した超イケメンがいる―その噂は一瞬にして小さな町を駆け巡り、〝向井理そっくりさん〟ファンクラブが地元の女性たちで結成されるという騒ぎにまで発展した。悠理はたちまち、町の有名人になってしまった。
 これ以降、道を歩いていると、向こうから歩いてくる女子高生や女子中学生の集団が自分を見て黄色い声を上げていることもあった。
―?
 彼自身は、まさか自分が熱い視線を向けられているとは思いもせずに、首をひねりながら彼女たちを横目に見て通り過ぎる。
 と、背後で〝きゃー〟と歓声が上がり、
―向井クンがこっちを見た。
 と、皆で頬を紅くして騒いでいる。
 それで、やっと事態を理解し、悠理は逃げるように彼女たちから離れてゆく。そんな場面が再々出てくるのだ。 
 もちろん、まだ、このときの悠理がそんな身にかかるであろう災難? を知っているはずもない。
 コンビニで煙草をひと箱とその日の朝刊を求めて出てくると、今度は下りのバスが客を乗せて走り去るところであった。
 白い煙を上げて走り去るバスを見送り、しばらくその場に佇んでいると、変な気持ちになった。自分はもうこの町に何年も住んでいて、ずっとこの先もここに住むのだという予感のようなものを感じるのだった。
 コンビニから数件の民家を隔てて白い小さな建物があった。表には〝藪内産婦人科〟と大きく看板がかかっている。医者に〝藪〟はないだろうと思っていると、小さな建物から大きなお腹をした妊婦が出てきた。
 二十代後半から三十代初めくらいのその妊婦は大きく突き出した腹を愛おしそうに撫でながら、彼の眼の前を通り過ぎてゆく。
 その仕草や満ち足りた表情には、確かに見憶えがあった。悠理の子を宿した早妃もまた、あんな風に大きくなってゆくお腹を幸せそうに撫でていたのだ。
 悠理の記憶が巻き戻されてゆく。
 早妃から妊娠を告げられた翌日、ホストクラブを休んで二人で産婦人科を受診した。
 診察には悠理も立ち会い、エコー(超音波)で初めて我が子と対面したときには、不覚にも涙が出た。まだ一センチ余りだと告げられた我が子は黒い小さな点にしか見えなかったけれど、医師はその点を指しながら、はっきりと言った。
―ここに心拍も確認できます。
 茫然としている悠理に、医師はにこやかに告げた。
―赤ちゃんの心臓が動いています。ここまで来たら、後はもうよほどのことがない限り、順調に育ちますよ。おめでとうございます。
 涙ぐむ悠理をもう一度、見つめ、医師は〝おめでとうございます、お父さん〟と繰り返した。
 そうか、俺が、この俺が父親になるのか。
 そんな想いがじわじわとひろがり、やがて弾けるような歓びとなった。
 子どもに誇れる父親でありたい―かつて自分の父がそうであったように―と思い、子どもが生まれたら、ホストを辞めようと決心したのも実はこのときであった。
 その後、妊娠悪阻や切迫流産で入院したもの、早妃は順調な妊娠経過を辿り、妊娠七ヶ月まで至った。早産気味のため自宅療養をしていたが、お腹の子自体の発育には何の問題もなかったのだ。
 それが、あの日の一瞬の事故ですべてが終わった。お腹の子どころか、早妃まで生命を失った。生まれるはずであった小さな生命は消え、最愛の妻もいなくなった。
 そして今、やっと得た元気な我が子は遠く離れたあの町にいて、逢うことすらままならない。
 悠理はまた重く沈んだ心を抱え、一人歩き出す。その時、妊婦に続いて白い建物から出てきた女と危うくぶつかりそうになった。
「あっ、済みません」
 謝ってから、その女が眞矢歌であることに気づく。
「悠理さん」
 眞矢歌が自分を見て微笑んだことに、何故か心が軽くなった。
「どうしたの? どこか具合でも悪い?」
 昨日の浜辺での話を思い出し、悠理はふと不安になった。
 眞矢歌は微笑を残したまま、首を振る。
「定期検診なの。半年に一度は経過を診るために、検査を受けなさいって言われてるから。今日も保育園の方を抜けさせて貰って、検査に来てたってわけ」
「そうなんだ」
 悠理は頷き、眞矢歌の返事に自分が大きな安堵を感じていることに改めて気づいた。
 何故、俺は彼女のことがこんなにも気になるんだ?
やはり、惚れたからだろうか。
 悠理が考え込んだ一瞬、眞矢歌の声が彼の耳を打った。
「私って、つくづく臆病な人間だって、自分でも情けなくなるときがあるわ」
 悠理はハッとして顔を上げ、眞矢歌を見つめた。
「何で?」
 思わずムキになって強い口調で言ったことを後悔したが、眞矢歌もまた自分の想いに囚われているようだ。
「いつも再発の恐怖に怯えてばかりいるのよ。つくづく自分が嫌になっちゃう」
「そんなことはないよ」
 また強い口調になってしまった。
 今度は眞矢歌も少し愕いたように悠理を見つめ返している。
「ごめん、つい大きな声出したりして」
 悠理はいつになく頬を熱くし、眞矢歌から慌てて眼を逸らした。
「子宮は幸か不幸か全部取ってしまったから、そっちは良いの。でも、私の場合、卵巣がね。もしかしたら、また手術しなければならなくなるかもって言われてて」
 悠理は弾かれたように顔を上げた。
 もしかして彼女は悪い病気にかかっているのか? 絶望にも似た暗い予感が胸をひたひたと満たす。
 眞矢歌は悠理の気持ちを的確に読み取ったようであった。薄く微笑んだ。