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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】 Ⅱ

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 その翌日、悠理は初めて漁に出た。〝第二潮(うしお)丸〟に乗った網元以下、総勢十三人に混じり、悠理は海の男の生き様を間近に見ることになった。
 魚との知恵比べは頭脳戦といっても良い。網を引き上げるタイミング、どこにより多く集まっているか、等々。悠理はまだ見習いにすぎず、雑用しかさせて貰えないが、それでも、何かしら学ぶところはあった。
 ボウとしていると、たちまち漁師たちから怒声が飛んでくる。そうやって叱られることで、また新たな知識を得るのだ。
 数時間に及ぶ漁を終えて戻ってきた彼は、すっかり疲れ果てていた。しかし、相反して、心はすっかり高揚していた。漁から戻ると、すぐに獲った魚を競り市場に運ぶ。息をついている暇はない。更に競りの様子を傍らで見学し、売買の実態を学ぶのだ。
 それが終わって、漸く家に戻ってこられる。漁師たちも網元に挨拶し、各々の家に帰ってゆく。これから皆、しばらくは仮眠を取り身体を休めるのだ。
 網元が自室に引っ込んだのを見届けてから、悠理は外に出た。眠ろうとしても、どうにも眠れそうにない。初めて漁を目の当たりにして、神経が高ぶって眠るどころではないのだ。
 なので、近くに小さなコンビニがあったことを思い出し、煙草でも買ってこようと思い立ったのである。
 今日、眞矢歌は勤務先に出かけていた。高校中退以来、ずっと郵便局に勤務していた彼女だが、三年前から近所の保育園に保育士として勤め始めたと聞く。昨日、一昨日は日曜と海の日が重なり、連休だった。そのため、保育園も休みで、彼女も自宅にいたのだ。
 網元の話では、眞矢歌は通信教育で保育士の勉強をし、試験を受けて合格したそうである。いかにも真面目で努力家の彼女らしい―と、悠理はまた眞矢歌に惹かれてゆく自分を感じていた。
 コンビニはバス停の手前にあった。バス停の側を通り過ぎる時、悠理は感慨深い想いに囚われた。バスからここに降り立ったのはまだつい三日前のことなのに、もう随分と時間が流れたような気がしてならない。
 この小さな港町は不思議だ。一度も訪れたことがないのに、妙に自分を惹きつけてやまない。その原因はやはり、ひとめ惚れした女性―眞矢歌の存在があるからかと一時は考えたりもしたのだけれど、どうも彼女のせいだけではないようだ。
 初めて訪れる町なのに、もうずっと以前から自分はこの町を知っていたような、自分は来るべくしてここに来たのだという確信のようなものがあった。まあ、単なる思い込みだと言われてしまえば、所詮はそれまでの話だが。
 通りを挟んで斜め向こうのバス停を眺めている中に、バスが走ってきて停まった。数人の小学生たちが賑やかに降りてくる。今日、学校は早く終わったのだろうか。
 まだ一年生らしい子どもたちはそれぞれ、新しいランドセルを背負っている。小さな身体には不似合いなほど大きなランドセルが夏の陽射しにピカピカと輝いていた。
 悠理は眩しげに眼を細めて、微笑ましい光景を見送った。中にはバス停の近くまで親が迎えにきて、母親と手を繋いで帰っていく子もいた。嬉しげに母親を見上げる子どもと、子どもの話にいちいち頷いている母親。
 知らない中に、悠理の眼は濡れていた。
 実里の生んだ子どもは今、生後七ヶ月。もう歯は生えただろうか。お座りは始めただろうか。自分は父親なのに、我が子の側にいて、その目覚ましい成長を見守ることができない。
 彼の代わりに、実里の側にいるのは柊路だった。それを思う時、悠理の胸に烈しい嫉妬の焔が燃え上がる。理不尽な感情だとは十分承知していながら、実里や我が子の側にいる柊路を恨めしく思わずにはいられなかった。
 判っている。柊路には感謝こそすべきで、恨むこと自体が間違っているのだ。聞くところによると、柊路は実里の生んだ子―つまり悠理の子を我が子として籍に入れているらしい。つまり、戸籍上も、悠理の血を分けた子どもは柊路の実子ということになる。
 我が子でもない他人の子を籍に入れるということの重さを悠理も理解できないほど愚かではない。戸籍上も実子とするからには、柊路は生涯、その子に対して親としての責任を負わねばならない。よほどの覚悟がなければ、できない重い決断であったはずだ。
 つまりは柊路がそれだけ実里を愛しているということの裏返しでもある。そう考えると、どうしても実里と子どもの両方を易々と手に入れた柊路に対して複雑な想いが湧き上がるのだ。
 めぐる想いに応えはない。
 トシのせいかな。最近、涙腺が妙に緩くなっちまった。
 悠理は滲んだ涙をまたたきで乾かし、コンビニのドアを押して入ろうとした。と、背後からキャーキャーと子どもの歓声が聞こえてきて、愕いて振り向く。
 見れば、今し方、バスから降りてきたばかりの小学生が二人立っていた。お下げ髪とショートヘアの女の子たちだ。
「なに?」
 悠理を見上げてしきりにもじもじとしている彼女たちに、悠理は優しく問うた。
 悠理はしゃがみ込んで、彼女たちと同じ眼線の高さになった。
「俺に何か用なの?」
 お下げ髪の子が少し恥ずかしげに言った。
「お兄ちゃん、この町の人?」
「え?」
 悠理は思いがけない問いに眼をまたたせた。
「いや、この町の人間っていえばいえるし、そうでもないともいえるけど」
 我ながら、何とも判りにくい応えである。
 すると、傍らのショートヘアの子がはきはきとした口調で言った。
「お兄さん、向井理さんですか?」
「え!?」
 悠理は更に愕かされた。何ということを彼女たちは言うのだろう!
「あの―、俳優の向井さんですよね? テレビとかによく出てる。うちのお姉ちゃん、向井さんの大ファンなんですけど、サインして貰えませんか?」
 お下げ髪の子がおずおずと差し出したのは、向井理の写真がデカデカとついた下敷きだった。
 もう、目眩がしそうだ。悠理は微笑みながら説明する。
「あのね。多分、君たちは勘違いしてるんだと思う。俺は俳優なんかじゃないし、テレビに出たことなんてないから」
「えー、向井さんじゃないんですか?」
 ショートヘアの方が心外だと言わんばかりに抗議する。
 いやいや、参ったな。悠理は内心、逃げ出したい衝動に駆られた。
「だからね、俺は向井さんじゃないの」
「嘘。そっくりなのに」
 頬を膨らませるショートヘアの子に代わり、お下げ髪が言った。
「このはちゃん、もしかしたら、このお兄ちゃんは向井さんのそっくりさんなのかもしれないよ?」
「あーあ、何だ」
 ショートヘアがませた口調で重々しく頷いた。
「いや、だから、俺はそっくりさんでもないって―」
 言いかけても、女の子たちはいっかな聞く耳を持たない。
「そっくりさんでも良いです。お姉ちゃん、歓ぶと思うんで、サインして下さい」
 ショートヘアが迫ってくるので、悠理はもう自棄になった。
 ええい、ままよと下敷きとサインペンを受け取った。流石に自分ではない他人のサインをするわけにはいかないので、下敷きの右端に〝Yuri☆〟と適当に走り書きしておく。
「これ、何て読むの?」
 と、ショートヘア。
「ゆうりと読むんだよ」
「ユーリって、芸名なんでしょ」
 これはお下げ髪。
 悠理は苦笑した。
「違うよ。本名だよ、本名」