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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】 Ⅱ

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「何でなのかしら。彼が去って、入院して手術を受けた後、心にぽっかりと大きな穴が空いたみたいで、涙も出なくなってしまったの。失ったのは子宮だけなのに、心まで一緒になくしたみたいで、幾ら哀しくても泣こうに泣けなくなって」
 なのに、と、眞矢歌の声が揺れた。
「不思議だわ。溝口さんと話していると、涙が出てきたみたい」
 悠理の切れ長の双眸が大きく見開かれる。
 眞矢歌は本当に泣いていた。白いすべらかな頬を大粒の涙が流れ落ちていた。
「まるで失った心が戻ってきたようなの」
 彼女は呟くと、両手で顔を覆った。低い嗚咽が二人だけの空間に響く。
 悠理の手が躊躇いがちに伸びた。眞矢歌に向かって伸ばされた手を改めて見つめ、彼は意を決したように彼女に近づいた。
 それは、ごく自然ななりゆきだった。悠理は眞矢歌を引き寄せると、その広い腕の中に閉じ込めた。
「溝口さん?」
 眞矢歌の声にわずかに狼狽が混じる。
「黙って。せっかく涙が出るようになったのなら、今は泣けば良い。泣きたいだけ泣いたら、きっと心だって戻ってくるから。だから、何も余計なことは考えずに、泣いてごらん」
 その言葉が合図となったかのように、うっと、眞矢歌がしゃくり上げた。
 堰を切ったように涙が溢れ出し、眞矢歌の頬を次々と濡らす。
「うっく、えっ、えっ」
 眞矢歌は悠理の腕の中で、ずっと身を震わせ泣きじゃくった。
「眞矢歌さんは強いよ。ずっと長い間、重たいものをすべて自分一人で抱え込んで、そのせいで泣くことさえ忘れてしまっていたんだ。でも、もう大丈夫。一度泣いてしまえば、後はきっと、今までのように泣ける」
 可哀想な眞矢歌。信じていた男たちに一度ならず二度までも裏切られ、どれだけ傷ついたことか。彼等の裏切りが眞矢歌の心を冬の氷のように凍らせ、涙すら奪った。
 だけど、俺なら―。
 悠理は眞矢歌の背に回した手に少しだけ力を込めた。
 俺なら、この女をそんな風に泣かせたりはしない。誰よりも大切に愛おしんで、この可憐な面に哀しみではなく、幸福の微笑が浮かぶようにするだろう。
 どれだけ泣いたのか。永遠にも思える刻が流れ、眞矢歌は次第に泣き止んできた。彼女が完全に泣き止むまでの間、悠理は辛抱強く眞矢歌を抱いて、時々は幼児をあやすように背中を撫でたりトントンと叩いてやった。
 やがて、眞矢歌が恥ずかしげに顔を上げた。泣き止んだようなので、悠理は彼女から身を離し、自由にした。本当はもっとこうして眞矢歌のやわらかな身体を抱いていたかったけれど、こんなときに相手の弱みにつけ込む真似はしたくなかったし、何より眞矢歌自身に獣のような男だとは思われたくなかった。
「私ったら、嫌だわ」
 眞矢歌の白い頬が染まっている。頬には幾筋もの涙の跡がくっきりと残っていた。
「まるで子どものように泣いたりして」
 と、ハッとしたような表情になる。
「まあ、いやだ」
 更に真っ赤になった顔は、まるで熟した林檎のようである。悠理は微笑ましくなって、つい笑顔になった。
「溝口さんの服! 涙で濡れてる。それに、汚れてるわ」
 涙だけでなく洟も少しだけ付いてしまったことを気にしているのだ。そんな彼女を素直に可愛いと思えた。
「俺の服なんて、どうでも良いよ。どうせ、夜、眠るときだって、このまんまで眠るんだから」
 悠理は笑って手を伸ばす。人差し指で眞矢歌の頬の汚れを取った。
「眞矢歌さんの可愛い顔が汚れてる方がはるかに問題だと思うけど?」
「えっ」
 眞矢歌は愕いたように眼を瞠り、片手を頬に当てている。
「鼻水がついてたよ」
「そんな、恥ずかしいわ。もう! そんなことわざわざ言わないで」
 眞矢歌が顔を紅くしたまま抗議するのに、悠理は悪戯っぽく片目を瞑って見せた。
「なら、一つ約束してくれる?」
 え、と、眞矢歌が露骨に警戒の表情になった。
「何なの?」
「俺のこと、これからは悠理って呼んでくれる?」
「悠理―さん?」
「そう。何だかさ、溝口さんって呼ばれるのって、あまり慣れてないから」
「なんだ、そんなことだったの」
 あからさまに安堵する眞矢歌に、悠理は揶揄するように言う。
「それとも、何? 眞矢歌さんは俺に別のことを期待してたのかなあ」
「別のこと? それって、どういう意味?」
 歳の割には世慣れていないのか、高校生で妊娠まで経験した割には、眞矢歌は男女のことには疎いようであった。いや、疎かったからこそ、男の言うがままに身体を開かされ、妊娠させられてしまったのだろう。
 男たちは皆、彼女の無垢な部分を都合良く利用したにすぎない。悠理の中で、また、眞矢歌を好きなように弄び利用した男たちに対する怒りの焔が燃え上がった。
 本当に見当がつきかねるといった顔の眞矢歌に、悠理は微笑んだ。
「だから、例えばキスを迫られるとか、考えてなかった?」
「なっ」
 眞矢歌の頬が今度こそ、燃えるように紅くなり、同時にパッチーンと小気味よい音が響いた。
 流石に、これには悠理も度肝を抜かれた。
 悠理の頬を打った眞矢歌の方も茫然事実といった体である。
「ごめんなさい!」
 眞矢歌が慌てて駆け寄ってきて、小さな手が悠理の頬に触れた。
「良いよ、俺の方が悪いんだ。眞矢歌さんをちょっとからかい過ぎた。ごめん」
「痛かったでしょう? ああ、こんなに紅くなってる」
 眞矢歌はまた泣きそうになっている。
 それにしても、眞矢歌の手の何と小さくて可愛らしいことだろう! 更に、触れられた部分から冷たい心地よさがひろがってゆくようだ。
「そんなに気になるなら、紅くなってる部分にキスしてくれたら、治るかもね」
「え!?」
 性懲りもせずに言った悠理を、眞矢歌は呆れたようににらみ付けた。
「悠理さんって、そんな女タラシだったの? 女と見れば、すぐに口説くような男だったとは思わなかった。幻滅」
 悠理は更に意地悪な笑みを浮かべる。
「女なら誰でもってわけじゃない。可愛い子限定」
「何ですって? もう、あなたって人は」
 眞矢歌がまた拳を振り上げたのを見て、悠理は笑った。
「ああ、やっぱ女は怒らせると怖いなぁ。もう、痛い目に遭うのはご免だよ。勘弁してね」
 悠理が両手を合わせて拝む仕草をする。
 その滑稽な様子に、眞矢歌が吹き出した。
「ほら、やっと笑った。眞矢歌さん、やっぱり泣いているより、笑ってる方が可愛いよ?」
 その指摘に、眞矢歌が眼を見開いた。
「じゃあ、悠理さんはもしかして、私を笑わせようとして、わざとからかうようなふりをしたの?」
 今度は、悠理の方が思いきり照れる番だった。
「まさか。俺はそんな良いヤツじゃないからね。眞矢歌さんの困った顔があんまり可愛いから、つい調子に乗っただけ」
「まっ、何よ~、それ」
 眞矢歌がまたも拳を固めて追いかけてきて、悠理は笑いながら逃げる。
 いつしか、どこかぎこちなかった二人の空気は一転して親密なものへと変わっていた。
 潮騒だけが静かに響く浜辺で、二人はなおもしばらく他愛ない言い合いを続けていた。
 その背後で、身を寄せ合うようにして群生する浜ゆうが海風に吹かれている。それはまるで、ひそやかに笑いさざめいているようにも見えた。

 ♣海ほたる舞う夜♣