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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】 Ⅱ

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 水商売で生きてきた彼は、客以外には必然的に一般女性と知り合う機会は限られていた。ゆえに、もしかしたら、眞矢歌のような女も存在するのか? と思えなくもない。
 が。それにしても、やっぱり妙だ。思春期の少女ならともかく、大人の女が言う科白か?
 眞矢歌にも悠理の戸惑いは余すところなく伝わってしまったようだ。ますます紅くなり、うつむいている。
「私、兄弟もいないし、身近に父しかいないので、同年代の男の人って、どうやって話したり接したりしたら良いか判らなくて」
 なるほどと、悠理は少し合点がいく。
 世の中には、そういう種類の女もいるのか。とにかく、彼が初めて知る類の女ではあった。
「溝口さんに不愉快な想いをさせてるなんて、気づきませんでした」
 心底済まなさそうに言われ。
「い、いや。別にそこまで気にして貰わなくても」
 眞矢歌がその調子だからか、悠理まで調子が狂ってきた。これではお見合い中の男女が互いに恥じらいながら自己紹介をしているようだ。
「つくづく女って判らないっていうか、凄いなと思うな」
 沈黙を持て余し、悠理はつい思い浮かんだことを口にした。
 眞矢歌の物問いたげなまなざしに、余計なことと思いつつも喋ってしまう。
「幾らどちらも選べなくて困ったからって、別に海まで飛び込まなくても良いんじゃないかと思うんだけど」
 海に入るなんて、苦しいだろうし、考えただけでゾッとする。
 悠理が呟いたその時、眞矢歌が思いも掛けないことを言った。
「そう? 海に入るのなんて、それほど怖いことではありませんよ」
 おい、待てよ。それじゃ、この人は海に入ったことがあるみたいな言い方ではないか。
 彼の脳裏をそんな想いが一瞬、よぎったその時。眞矢歌がふっと笑った。先ほどまでの淋しげなものでもなく、恥ずかしそうでもない、自分を嘲笑うかのような微笑は彼女には似合わない。
「私、ずっと前に海に入ろうとしたの」
「―」
 悠理は頭を鈍器で殴られたようなショックを受けた。あらゆる意味で、彼女には愕かされっ放しである。
「海に―入る?。それって」
 何故か、声が戦慄いた。
「自殺しようとしたのよ」
「自殺―」
 淡々と他人事のように語る彼女の表情や態度からは想像できない。しかし、こんな場面で、わざわざ彼女が嘘を並べ立てるとは思えない。これが他の見るからに悠理の気を惹こうとする女であれば、別だが。眞矢歌は彼の気を惹こうなどという思惑は微塵もないどころか、思いつきもしないようだ。
 これはこれで、悠理としては至極残念なことだけれど。
 いや、そういう問題ではなく、この儚げで物静かな女がそんな烈しい感情を秘めていること自体、信じられない。
 眞矢歌が小さな吐息をつく。
「まるで流行らない演歌のような話だけど、聞いてくれます?」
 眼線で訊ねられ、悠理もまた無言で頷く。
「私ね、これでも恋人がいたんです」
 〝これでも〟はないだろうと思う。眞矢歌ほどの美人なら、彼氏の一人や二人いても、全然不思議はない。
 そこで、悠理はその話にふと違和感を憶えた。
「でも、眞矢歌さんは男に対して免疫がなかったんじゃ―」
 我ながら何という表現かと言葉にしてからすぐ、今し方の科白を引っこめたい想いに駆られたが、時は既に遅しである。
 だが、眞矢歌の方は話に気を取られているらしく、悠理の科白について別段、拘っている様子はない。
「相手は一つ上の先輩。同じ高校の男の子だったんです。私はサッカー部のマネージャーをしていて、先輩はキャプテンをしていました。結構カッコ良くて、その人を好きな女の子も大勢いたくらい」
 眞矢歌の瞳は遠かった。そのはるかなまなざしは水平線よりももっと彼方―かつて彼女が高校生だった頃を映しているのだろう。
 悠理の疑問はすぐに解消された。
「先輩はお兄さんのような存在だったの。だから、最初から男の人という感覚はなく、無理なくつきあえた。でも、かえって、それが悪かったのね。もし、先輩に対して、他の男の子たちに対するような隔たりがあれば、あんなことも起こらなかったでしょうけど」
 後はお決まりのパターンであった。高校生同士のカップルが交際を続けた末に妊娠。水商売の世界で生きてきた悠理には、特に愕くようなことではない。
 しかし、ごく普通の女子高生には大変な出来事だったろう。眞矢歌が今、ここに一人でいるということは、その男とは別れたに違いない。悠理はその先が気になって堪らなかった。
 もちろん、単なる好奇心ではなく、眞矢歌を妊娠させ、去っていった卑劣な男に対する腹立ちからだ。
 眞矢歌がまた自嘲めいて笑う。
「私、どうしたら良いか判らなかった。一人でこっそりと検査薬を試してみたら、赤ちゃんがいることが判って。病院に行くのも怖くて、ずるずると引き延ばしている中に、お腹はどんどん大きくなってくるし。でも、相談するのなら、まずは赤ちゃんの父親である彼だろうって、彼に勇気を出して打ち明けました」
 眞矢歌の儚い期待は見事なまでに打ち砕かれた。彼女は〝生んでくれ〟という言葉を期待していた―というより、当然、彼がそう言うものだと思い込んでいた。
 でも、彼は顔を引きつらせたかと思うと、長い間何も言わなかった。とどめの科白が
―頼むから、誰にも言わずに病院に行ってくれ。人には知られないように堕ろしてくれ。
 だった。
 堕胎手術に必要な費用は何とかして工面するが、病院には付いてゆけないから、一人で行って欲しいと、彼は必死の形相で言った。
「そんな―そんな馬鹿な話があるか!」
 つい乱暴な言葉が飛び出し、気になって眞矢歌の方を見たけれど、眞矢歌はやはり彼のことなど眼中にはないようだ。
 だが、と、悠理は即座に思い至った。
 眞矢歌を冷たく突き放した卑劣な男とこの自分にどれほどの違いがあるというのだろう? かつて自分は復讐という理由で実里を陵辱し、妊娠させてしまったのだ。自分の犯してしまった過ちから考えれば、眞矢歌の男はまだ女に無理強いをしなかった分だけマシだともいえた。
 ただ、悠理とその男が決定的に違うのは、生まれてくる子どもの存在を否定しなかったことだろう。今更、こんなことを言えた筋合いではないけれど、実里の妊娠を柊路から知らされた時、むろん烈しい衝撃を受けた。が、その中に小さな歓びがあったことは否定できない。
 やがて、その小さな歓びは希望の芽となった。実里をレイプしたという事実が厳然としてある以上、彼女に何をどう説明して詫びようとも、受け容れて貰えないのは判っていた。それでも、自分の子どもを生んでくれる女なら、できる限りのことはしようと考えたし、子どもも認知しようと思った。
 しかし、悠理の申し出は真っ向から拒絶された。実里は可愛らしい顔を恐怖と怒りに引きつらせながらも、悠理に言った。
―あなたに縋るくらいなら、お腹の子と一緒に死ぬわ。
 そのひとことは悠理を徹底的に打ちのめした。そう言われても仕方のないことをしたのは確かだが、まさか、そこまで言われるとは流石に考えていなかった。