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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】 Ⅱ

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翌日の朝、悠理は浜に出てみた。
 際限なく続くかに見える白砂を一歩ずつ踏みしめて歩く。悠理には、自分の前に続く果てのない浜辺が自らの未来のようにも思えた。
 浜辺には浜ゆうの花が群れ咲いている。ここら辺の花は皆、人が植えたものではなく自生しているものだと網元が話していた。
 時折、吹き抜ける海風に白い花が身を震わせる。
 衝動的に振り返ってみると、やはり、同じような白砂がずっと続いている。恐らく、背後にひろがるのが自分の歩んできた道。
 昨夜の網元の言葉を改めて噛みしめる。
 過去に意味はない。これからの自分を変えられるのは自分だけ。
 何ということはない当たり前のことのようにも聞こえるけれど、言うほど容易いことではないのは判っている。力仕事をするのも働くのも嫌いではない。しかし、長年、水商売の世界でしか生きてこなかった男が二十三になって漁師の世界で生きていく―それがどれだけ困難なことかを考えてみないわけではなかった。
 だが、不思議なことに、自分は叶うならば、この世界で生きてみたい、自分を試してみたいと思う気持ちがある。あの網元には不思議な魅力があった。この人になら、どこまでもついてゆきたいと素直に感じられるような。
 今まで生きてきて、そんな風に思えたのは、自分の父親以外にはいない。父は一生涯、工事の現場監督で終わった。世間的には何の力も影響力も持たなかったけれど、悠理にとっては絶対的な力を及ぼす存在が父であった。
 故郷から遠く離れたこの町で、そんな風に思える人にめぐり逢えたのも、奇しき縁と言わねばならない。
 網元の下で漁師として一から学び、一人前の漁師となりたい。
―よくやったな。
 自らにも他人にも厳しいあの人に褒めて貰えるなら、自分は何でもするだろう。
 想いに浸りながら、歩いてゆく。
 と、彼は少し前方に奇蹟―信じられないものを見た。
 彼が今まさに自らの未来を暗示していると思ったその先に、眞矢歌が立っている。それがほんの偶然にすぎないのはもちろん理解していたが、悠理は眼にした突然の美しい光景に見惚れた。
 眞矢歌は波打ち際に佇んでいた。淡いピンクのカットソーに白いコットンのロングスカート。スカートの裾を大きくたくし上げ、白い脚を殆ど太腿が見えるまで惜しみなく晒している。 
 空いている方の手には小さな四角い箱のような物を持っていた。小脇に挟んでいるのは、浜ゆうの花束のようである。昨日は一つに結わえていた長い髪は解き流し、海風に嬲られるままに任せている。艶やかな漆黒の髪が烈しく後ろへとたなびいていた。
 その光景は、悠理に先刻見たばかりの風に揺れる浜ゆうを連想させる。あたかも眞矢歌自身が風に揺れる一輪の花のようだ。
 それは声をかけるのもはばかられるようなワンシーンであった。髪を靡かせ、魅惑的な白い脚を見せている眞矢歌は確かに少し淫らで官能的であったけれど、それでいて何か厳粛な儀式でも執り行っているかのような厳かな雰囲気に包まれている。
 まるで風と波と戯れ、或いは語りかけているかのようだ。悠理はしばらく、彼女の姿に魅入っていた。
 ザッと砂を踏みしめ無意識の中に彼女に向かって一歩踏み出した途端、止まっていた時間が漸く流れ出したような気持ちになった。
 意外に大きく響いた足音に、眞矢歌がハッと振り返る。
「溝口さん?」
 珊瑚色の唇が、かすかに、震えた。
「何をしているんですか?」
 眞矢歌は最初、何のことを問われているか判らなかったらしい。あまりに物事に熱中していたので、突然現れた悠里を認識するのに精一杯といった感じだ。
 ややあって、彼女の顔にやっと微笑が浮かんだのを見て、何故か悠理は安堵する。できるなら、海風にですら折れてしまいそうなこの女性を不用意に怯えさせたくはない。
「海神(わだつみ)の伝説―、聞いたことがありませんか?」
「海神伝説?」
 悠理は初めて聞く名前に眉を寄せる。そういえばと、思い出す。
 昨夜、網元が明日は海神の祭だから、海に出てはならないとか言っていたはずだ。結局、網元が酔いつぶれて眠ってしまって、あの先を聞けずじまいになってしまったが。
「昔話になりますけど」
 眞矢歌は歌うように語り始めた。
 昔、まだ神世(かみよ)の昔、この地に三人の神たちが降り立った。一人は美しき女神、あとの二人は雄々しき男神(おがみ)。二人の男神は女神に妻問いをし、女神は弱り果てた。女神は二人共に愛していて、どちらか一人を選ぶことなどできはしなかったからだ。
 結局、女神は悩み抜き、どちらも選べなくて、崖から身を投げて入水して果てた。女神が身を投げた崖のある岬を〝切別岬〟と呼ぶのは、その神世の昔の哀しい伝説に因んだものだという。
 眞矢歌の言葉一つ一つが、烈しく吹きつける海風に乗り、沖に運ばれてゆくようだ。
「海に入った女神は泡となり、天に還ったといいます。でも、その魂はいつまでも海の底にとどまり、海や海上をゆく舟人たちを守っているのだとか。その魂を慰めるために、毎月一度、女神が天に還ったとされる日には一日、漁を休み女神に祈りを捧げるのです」
 悠理は心もち首を傾けた。
「それが海神の祭、ということ?」
「そう。だから、こうやって、村の女たちは思い思いに浜辺に出て、供物を女神に捧げて、その魂の安からんことを祈ります」
 眞矢歌はそう言い終えると、手にした小さな箱―どうやら升だったらしい―の中身も海に播く。
 スカートから手を放すことになり、眞矢歌の穿いていた白いスカートは必然的に水に濡れることになる。しかし、悠理が残念に思ったのはそちらではなく、実はすんなりとしたきれいな脚が見えなくなってしまったことであった。
「それは?」
 興味を憶えて問うと、彼女はうっすらと笑んだまま応えた。
「米を酒に浸したものです」
「女神への捧げ物?」
「そうですね」
 眞矢歌は淡々と頷いた。
 やはり、薄く微笑んではいるものの、その面にははっきりとした感情らしい感情を見出すことはできない。
 悠理は思い切って訊ねた。
「俺、もしかして嫌われてる?」
 そこで、眞矢歌の瞳が初めて揺れた。
「私が、あなたを? 何で」
 それは俺の方が訊きたい。内心、悠理はもどかしい想いを堪えながら続ける。
「その―、何て言っていいかよく判らないけど、眞矢歌さんって、あまり俺と話したくなたさそうだし」
 流石に愛想が悪くて可愛げがないとは言えない。
 そこで、眞矢歌がふいに頬を紅くした。その表情は先刻までの妖艶な大人の女の顔ではなく、十代の少女のように幼く見える。
「ああ、そんな風に思っていたんですね」
 眞矢歌は首を振った。
「ごめんなさい。ちょっと恥ずかしかったものだから」
「恥ずかしい?」
 我ながら素っ頓狂な返事を返してしまったことに、悠理は死ぬほど後悔した。
 しかし、どう見ても二十歳は過ぎている女が同じ年格好の男に対して恥ずかしがるなど―少なくとも悠理の常識では考えられないことである。まあ、悠理が知っている女というのは、ホストクラブの常連であったり、キャバ嬢であったりするわけで。