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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】

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 女は盆に乗せた料理を運んできた。身体を動かすことが苦にならない性分のなのか、厨房と居間を何往復しても嫌な顔一つ見せなかった。その何度目かに、網元から紹介を受けた。
「娘の眞矢歌(まやか)だ」
 女は白い面に曖昧な微笑を湛え、悠理に向かって頭を下げた。その整った顔に、特に何の感情も浮かんではおらず、悠理は何故か、その事実に酷く落胆した。更に、自分がそこまでの衝撃を受けたことが余計に彼の心を重く沈ませた。
 夕食の食卓には、だし巻き卵、ゴーヤチャンプル、キュウリの酢の物、味噌汁が並んだ。日本の味を彷彿とさせる―などと真面目な顔で言えば、それこそまたホスト時代の悠理をよく知る連中は大笑いするに違いない。
―お前、どこか頭でも打ったんじゃねえの。
 と。
 しかし、眞矢歌の作る料理は確かに昔懐かしい―日本の原点を思い出させるような味がした。悠理のように幼い頃に母に生き別れ、母の味など一切知らずに育った男にもそれを彷彿とさせるような素朴さとでも言い換えれば良いのか。
 どれも手がかけられていて、作った人の真心がこもっていると感じられる料理ばかりであった。その昔懐かしい素朴な味は、眞矢歌という女その人の雰囲気にもよく合っている。
 夕食時はむろん、眞矢歌も居間で一緒に食べた。畳敷の部屋に丸いちゃぶ台があり、それを三人で囲んで食べるのだ。眞矢歌も網元も余計な話は一切せず、ただ黙々と箸を動かすだけで、悠理は何とはなしに居心地の悪さのようなものを感じないわけにはゆかなかった。
 網元が喋ったのは後にも先にも〝飯〟と〝お茶をくれ〟のふた言だけだったのだ。眞矢歌に至っては、ひと言も喋らずじまいであった。いつもこの家の食事風景はこんな風に静まり返っているのか、赤の他人が急に割り込んできたからなのかは判らない。
 眞矢歌はささっと食事を終えると、席を立った。後は戻ってこず、厨房で後片付けを始めたようである。悠理は自分と網元の食べ終えた食器を厨房まで運んでいった。
「あの―」
 いきなり声をかけられたせいか、眞矢歌のか細い背中がビクンと震えた。
 どうやら、彼女は手を泡だらけにして食器を洗っている最中のようである。
「あ、愕かせてしまって、ごめん」
 謝ると、少しだけ強ばった声が聞こえた。
「何か?」
 最初に逢ったときも〝何か?〟と訊かれたが、この女は同じ科白しか喋らないのかなどと、いささか意地悪な気持ちで考えてしまう。
「いや、片付け大変そうだから、良かったら、俺も手伝おうかなと思って」
「結構です。これくらい、いつも一人でやってることだから」
 声自体は可愛らしいが、言うことは可愛くない。やはり、早妃や実里に似ていると思ったのは自分の気のせいだったのだろう。悠理がかつて愛した女たちは、こんな風にかわいげも愛想の欠片もない女ではなかった。
「判った。もし、手伝えることがあるなら、いつでも遠慮なく言って」
 悠理はそれでも穏やかに言い、踵を返した。
 あんな女が良いと思っただなんて、俺もついにヤキが回ったな。ちょっと見は美人で、楚々として守ってやりたくなるような感じだけど、中身はとんでもない高慢ちきな女じゃないか。
 どうせ垢抜けない田舎娘のくせに、少しばかり綺麗なのを鼻に掛けやがって。
 女っ気なしが長く続くと、頭までおかしくなるのだろうかなどと、至極真面目に考えたのだった。  
 夕飯の後、ひとたび自室に籠もっていた悠理は、網元に呼ばれて再び階下に降りてきた。
 当然ながら、眞矢歌の姿はそこになく、悠理は当てが外れたような気がする。そしてまた、知らない中にあのいけ好かない女の姿を期待していた自分に腹が立った。
 ちゃぶ台の前には網元が陣取り、一人、手酌で杯を傾けていた。
「お呼びですか?」
「まあ、座れ」
 顎で促され、悠理は網元の向かいに膝を揃えて座った。
 しばらく微妙な沈黙が二人の間を漂った。網元はその場に悠理がいることなど忘れ果てたかのように、黙々と一人で注いでは飲んでいる。
 そこで、悠理はハッとした。
「お注ぎします」
 ホスト時代は客がポケットから煙草を出すか出さない中に灰皿とライターを取り出したものだが、随分と勘も鈍ったものだ。
 慌ててちゃぶ台から銚子を取り上げると、網元が苦笑いの顔を向けた。
「わしは手酌で飲むのが好きでな。酌をされると、かえって気兼ねで思うように飲めん」
「―済みません」
 謝ると、網元はまた笑った。
「まずは合格だな」
 突然の科白に、悠理は小首を傾げる。
「網を全部お前に干しておけと言ったが、正直なところ、どこまでやれるかと訝しんでいた。網一つ干すのなぞ簡単なことだと思っていると、とんだ泣きを見ることになる。敢えて何も教えずにやらせたが、お前はちゃんと昨日のほんのわずかな間で、わしのやっておったことを見て憶えていた。見かけによらず、几帳面なことも網の干し方一つで判る。あれだけの網を干すのに、どれだけかかった?」
「思ったよりも時間がかかりました」
 頭をかきながら正直なところを述べる。
 網元の将棋の駒を思わせるいかつい顔が綻んだ。
「そうか。だが、慣れれば、もっと早くにできるようになる。良いか、よく憶えておけ。網は漁師が使う最も大切なものだ。それを疎かに扱うようなヤツでは、到底、漁師の荒仕事は務まらない。お前はきちんとした仕事をもできるし、見た目よりは根性もあるようだ。まずは基本を教えるから、やれるだけやってみるが良い」
「それって―、ここで働かせて貰えるっていうことですか!?」
 悠理は意気込んだ。
「まあ、そういうことだな」
 網元はまた自ら杯を満たし、クイっと煽る。
「あの、一つだけ訊いても良いですか? 親方」
 何だというように網元が顔を上げた。
「親方はさっきから、俺のことを見た目よりとか見かけによらずって言われましたけど、それはどういう意味でしょう?」
「深刻そうに訊ねるから、何事かと思えば、そんなことか」
 網元は笑いながら悠理を見る。
「お前は顔が良い。ここいらでは滅多に見かけることはないほどの上男だ。その面子では、さぞかし女を泣かせてきたんだろうくらいのことは、朴念仁のわしにも判る。悠理―とかいったな。悠理よ、人の生き方というのは自ずとその人間の雰囲気、印象となって相手に伝わるものだ。良い加減な生き方をすれば、それが見る人には判る。逆に、しっかりと芯のある生き方をしてくれば、対する相手に安心感や信頼といったものを感じさせる」
「つまり、それは、俺が見かけ倒しの良い加減な男にしか見えなかったということですよね?」
 網元はそれには口の端を歪めただけで、明確な返答はしなかった。
「それと、もう一つ言っておかなければならないことがある」
「何でしょう?」
「明日は禁漁日だ。だから、お前も一日、休みを取れば良い。自由に過ごして良いぞ。ただし、あさっての早朝にはまた漁に出る。そのつもりでいろ。今度また、今朝のようにすっぽかしたら、今度はその場で叩き出すからな」
「禁漁日、ですか。時化(しけ)でもないのに、漁を休むんですか? 予報では明日もまた上天気だと言ってましたよ」
「明日は海神(わだつみ)の祭だ。漁に出てはならん」
 網元は事もなげに言う。