望み行く明日
それから車に揺られること、20分。やっと、目的地についた。
「ここだ」
おっさんに指し示された場所。白い二階建ての建物だった。
窓には希望更生所と書かれている。
希望、か……。
果たして俺はもう一度、社会に復帰できるのだろうか?
そんな疑問が頭を過る。
少し考えていると誰かと肩にぶつかった。
おっさんかとおもいきや、さっきの少女だ。
「お」
なんだ?
そう思うや否や、少女はとっとと希望更生所に入ってしまった。
「なあ、おっさん。追わなくていいのか?」
「大丈夫だ」
「ここは、そういう場所なのか?」
「……あの嬢ちゃんは一度、ここから出ていったんだ。健気な嬢ちゃんになってね。けれどもよ……、前よりひどくなっちまうなんてな……。まあ、とにかく嬢ちゃんは手続きが分かるんだろう」
「でも、それは推測なんでしょ?」
「一応、経験だ。一時期、嬢ちゃんの保護管理を担当したからな」
「ふーん」
俺も自分の荷物を持って、更生所の入り口に歩いて行く。
「お前は俺と一緒に手続きだぞ」
「そりゃよかった。俺はこういうのまったくわからん」
「まあ、普通の生活では経験する機会なんて皆無だからな。無理はねえ」
そうして、俺とおっさんは更生所の中に入っていった。
中は冷房が効いていて涼しい。
「ようこそ。希望更生所へ」
受付のお姉さんににこやかに迎えれた。
「どーも。この度お世話になることになりました。坂上幸季です」
「新入りだから優しくしてやってくれ」
「分かりました。坂上くん。早速だけど、この書類、書いてくれない?」
「はい」
A4の紙を10枚受け取る。
「けっこう項目がありますね。さっきの女の子は、もう終えたんですか?」
「いえ。向こうで書いてるわ」
お姉さんが指を指した方を見る。
窓の側だった。
窓からの陽光を浴び、崩れない表情で項目を埋めていく彼女は、どこか神聖さを帯びていた。
触れてはいけないガラス細工のように。
「とっと……」
見とれている場合じゃない。
「それじゃあ、俺も書いてきます」
「駄目だ。新入りのお前はここで俺と受付の田村さんとマン・ツー・マンで書類を埋めるんだ」
「それってマン・ツー・マンって言わないですよね」
とりあえず、突っ込んでおく。
「こまけえことは気にすんなや。な」
おっさんスマイルにゴリ押しされた。
このおっさん、なかなかゴリ押しが好きだな。俺を迎えに来た時といい、なかなかのゴリ押しだ。
「……ゴリラー」
某、昔、ヒップホップの王といわれた人の作品から名をとって。
「あ? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもありません。書類を埋めましょうじゃありませんか」
鉛筆を片手に書類と向かい合う。
名前。
住所。
家族構成。
使用している薬。
過去に行った衝動行為。
エト・セトラ……………………。
なかなかいろいろとあるな。これが、管理されるってことだろうな。
管理する側の彼らの言い分だと、これは更生のための保護らしいが、俺にはこのシステムが昔から管理にしか思えなかった。
項目を埋めていく中で、その質問に反応して、思わず、昔のことをフラッシュバックさせてしまった。
――ドクン
これは息吹だ。
俺の中の歪みが呼吸を始める。
「いかんいかん……」
深呼吸をして、歪みを再び黙らせる。
一度、こいつにコントロールを奪われたらなかなか簡単に自分を取り戻せないのだ。そのせいで、いろんなものを失ってきた。
取り戻すには、薬か、暴力か。
俺が自分を取り戻すための経験で得た知識。
なかなか大変なものなのだ。
「どうした? 大丈夫か坊主? 顔色、悪いぞ」
「ああ、俺は平気だぜ。おっさん」
「そうか。ならとっとと終わらせるか」
「イエッサー」
結果、全ての項目を埋めるのは1時間ほどかかった。
途中で、何度も俺が知らないことを聞かれた。
保護者しか知らないであろうことも聞かれた。
その都度、親がいない俺はわざわざ保護者になってくれている祖父に電話して、いろいろと聞く必要があった。なので、結構な時間がかかった。
「ほれ、部屋に案内してもらえ」
「おっさんはもう行っちまうのか?」
「俺は、この施設にお前の補佐管理官としているさ」
「おっさん! 補佐管理官の資格持ってたのかよ!」
「だから、お前さんを迎えにいったんだろうが……」
なるほど。
なかなかハイスペックなおっさんだったのか。ちょっとびっくり。
「ほれ、田村さんに部屋を案内してもらえ」
「それじゃあ、坂上くん。部屋を案内するわ」
「お願いします」
受付の田村お姉さんについて行き、俺はこれから住むことになる部屋に通された。
「ここが君の部屋よ」
「なかなか広いですね」
「それは、この国が福祉に力を入れてる証よ」
精神衛生法案が根強く染みこんでも、福祉の力は健在だった。むしろ、すべての年齢の者に与えられるものとなっている。
それにしても、本当に広い。今まで俺が住んでた部屋より広い。たぶん、2回りぐらい広い。
「すごいっすね……」
思わず言ってしまう。
……俺って思わずが多い人間だな。
「まあ、入ってる人自体が少ないからね。この施設」
「なるほど」
「それに一人ひとりに真面目に向き合わないと本当の更生にはならないわ」
熱弁する田村お姉さん。たぶん、この人は理想を求める人だ。
「それじゃあ、これが鍵ね」
「あざーす」
鍵を受け取る。
「それじゃあ、私はこれで……」
田村お姉さんが部屋を出て行こうとするとき、急に立ち止まって、俺に向け言った。
「でも、あなたって思ったより普通で助かるわ」
ドクン――。
ああ、危ない。
「いえいえ、そうでもありません。俺はイケない奴っすよ……」
顔が、俺の意識に歯向かって歪む。
汚い笑顔だ。
「そう、ね。ここに来るんですもの、事情は聞かないわ。それじゃあ、今度こそ、じゃあね」
田村お姉さんは俺の豹変に気づいたのか気づいてないのか、部屋を出ていった。
「ひっひひ……ククク……」
笑い声をあげていた。ははは。止まらねえわ。
「はっはははは! ヒッヒヒヒヒ!」
壁に自ら頭をぶつける。
「落ち着け……。落ち着け俺」
ズボンのポッケから薬を取り出して、飲み込む。効果が出るまで少々時間がかかる。それまでは自分で抑えなくてはいけない。
「ふぅ……。ふぅ……」
深呼吸をする。
酸素を取り入れて、冷静になるんだ。もっと、もっと酸素を……!
30分後には冷静さを取り戻せていた。
「まったく、これだからレベル6は大変だぜ」
誰とも言わず、ひとりごとをいう。いや、正確には自分に言い聞かせているのだ。こうしないと自分を管理できないから。
常に自己暗示。
なかなか労力がかかることだが、慣れた。
壁に掛かっている時計を見る。
時刻は18時を回っていた。
時計の隣には紙が貼ってあった。どうやら、予定表らしい。
・7時、起床
・8時、朝食
……………………。
・24時、消灯
こんなものか。
おっと、19時、夕食