挽歌 「こわれはじめ」
振りかえる間もなく、男の首に腕が回る。
ぎりぎりと音を立てる頭が、次第に回り始める。
「あ、が……」
「おいたが過ぎるな」
ぼきん、と心地よい音が響く。
手をはなすと、崩れるように男は力なく倒れる。
それを両手で抱え、静かに病室を出る。
「あら、それは……」
「看護師さん、ちょいと手間をかけさせてもいいかな?」
「ええ、いいですよ」
目の前にある死体を前に、まるで動じる様子の無い看護師。
「すまないね、本来なら儂が一人で処理するべきなのだろうが」
「病院という所は、死体があってもなんら不思議に思いませんから。それはお爺様も承知でしょう?」
にこやかな笑顔で、京太郎が抱えていた死体を受け取る看護師。
「しかし唯、お前は実に看護師にしておくには勿体ないな」
「いえいえ……人を殺すのではなく、生かす方へと興味が向いただけにすぎませんわ」
看護師の名は、伊月唯。
華憐の姉であり、この病院の看護師を務めている。
「ふん、華憐もお前も――どこか歪んでいるのは確かだな」
「お爺様が言っても、説得力はありませんよ」
「……ぬかしおる」
病院の裏にある、焼却炉。
本来ならば、ここは不要なものを焼却する場であるが――
「それ、ほいっとな」
先ほど拵えた死体を、おもむろに炉へと放り込む。
「儂もいずれは燃えて骨のみになってしまうのだろう。それを考えると、あまりここには近づきたくないものだな」
「あら、弱気な発言ですわこと。殺したって死なないようなお爺様が、老衰でくたばるのは――そうね、四十年ほど後の話かと」
「くはははは、そう言う所は華憐とは全く正反対だな」
焼却炉は、静かに熱を帯びる。
それをみながら、笑う二人。
「本当はもっとゆっくりしていたいが、仕事があるんでな。今度、大介も交えてゆっくりと飲まないかね?」
「夜勤の無い日なら、いつでも歓迎ですわ。でもお爺様、お歳なんだからお酒は控えたほうがよろしいと思いますけど」
「ほっほっほ、さっき儂を殺しても死なんと評したのはどこのお嬢さんだったかね?」
「うふふ……確かにそうですわね」
夜風になびく、唯の黒い髪。そんな所までも、無駄に華憐とそっくりである。
雲ひとつない空に、星がきらめく夜。
そんな空の下で、あっさりと死体は作られていく。
この歪んだ街全体が、まるで其れを歓迎するかのように。
「ふう……」
けだるそうに目を覚ます大介。
真理恵を送り届け、帰宅したと思ったらそのままベッドへダイブし、今の今まで寝こけていたようだ。
ベッド横の時計を見て、ぼさぼさの頭をかきむしり。
「午前九時か。事務所を開けるにはまだ早い時間だが……爺のこともあるだろうし、今日はさっさと出るかな」
ベッドから飛びおり、無造作に置かれた歯ブラシに歯磨き剤を塗りたくる。
がしゅがしゅと音を立てながら歯を磨き、身だしなみを整える。
冷蔵庫を無造作に開け、中のソルティライチを一気に飲み干す。
「ふぅ、生き返るぜ」
空っぽになったペットボトルをゴミ箱へ放り込み、ひっかけてあったジャケットを羽織り外の世界へと駆けだしていく。
「本日も晴天なり、良い天気だねえ」
「ほんとですね、大介さん」
空を見ていた大介が、横を見る。
平日の朝だというのに、この娘は何をしているのか。そう大介は思いながらも華憐の頭を撫でる。
「学校は?」
「創立記念日です」
「……しょうがねえな。朝飯は?」
「僕はちゃんと食べてきたし、大介さんの分も持ってきてますよ」
「あー……仕方ねえな、事務所に持ってって食べるのも面倒だ。うちで食うか」
そう言って、大介は一度閉めた鍵を再び開ける羽目になった。
鍵を開け、ドアを開けるやいなや華憐が中へと駆けこむ。
「元気だなあ、どこぞの爺にそっくりだぜ」
ワンルームのアパート、それも一人暮らしの男の家へ嬉々として入る女子高生がいてたまるか。そんなことを考えながら、大介も華憐に続いて家の中へ入る。
「相変わらず、掃除してないんですね」
華憐は大介のベッドに腰掛け、ぱたぱたと足を動かしている。
スカートの中身は大介の方から見れば丸見えだが、そんなことは気にも留めず華憐が持ってきた朝食に目を通す。
「そぼろ丼か、俺の好物じゃないか」
「そぼろ部分はお姉ちゃんが作り置きしてたので、卵とほうれんそうは僕の自作です」
「あー、そうかい」
スプーンで豪快にどんぶりをかきこむ。
甘辛く煮付けたそぼろの味と、砂糖たっぷりのいり卵が口の中でハーモニーを奏でて行く。
その味はまさに、至福の味であろう。
「大介さん、美味しそうにご飯食べるから作りがいがあるってお父さんが言ってましたよ」
「メシってのは人間のエネルギー源だからな。どんなもんであろうと、好き嫌い無く食べろってことだ。もちろん、美味いに越したことはないが」
「ふうん……ところで、今日はどうするんですか?」
「ん、ああ……小杉さんの見舞いに行って、あとは事務所でごろごろするだけだな。お前も見舞い、来るだろう?」
「もちろんですよ」
嬉しそうな顔をする華憐を見て、口元を軽くにやけさせながら大介もまた笑っていた。
「やあ、どうも」
病室の小杉は、昨日と変わらぬ姿をしていた。
「調子はどうだい? と言っても、昨日入院したばかりだからな……」
「あ……あの、大介さん」
小杉の横に居た真理恵が、大介に話しかけてくる。
「なんだい?」
「昨日、私を誘拐しようとした人達……どうなったんですか?」
「誘拐だと!?」
小杉が身体を上げる。だが、痛みですぐにうずくまる。
「ぐぅっ……」
「お父さん!」
「心配するな、全員丁重に帰ってもらったよ」
大介の言葉を聞き、小杉は安心した表情を浮かべる。
「そ、そうですか」
「小川会の奴らめ……真理恵にまで手を出そうと言うのか……」
「こっちとしてもぐずぐずしては居られないな。娘さんは華憐の家に匿ってもらおう」
「はい……一人でいるよりは、匿ってもらった方が安全でしょう」
「じゃあ、今日から来てもらうか。良いな? 華憐」
「そういう事情なら、お父さんやお母さんも納得してくれると思います」
それから三日が経過した。
「動きは無い、か」
事務所で工場についての報告書を片手間で読む大介は、不思議そうな顔をしていた。
「情報が嘘という事は無い、いや――あるわけがないな。情報元は奴だ、確実な情報以外を彼女は決して持ってこない」
「あの女が間違った情報を持ってくるのは、敵へのブラフを仕掛ける時だけ。爺だってそんなことは分かっているだろう」
「全くもって同意だな。だが、向こうさんもそろそろしびれを切らしている頃だと思うぞ」
ソファーの上で、カチャカチャと何かを組み立てている京太郎は、作業をしながら大介へと視線を向ける。
「まあ、この町の治安ってもんは低いようで高いからな。公僕やら私設軍隊やら、やりたい放題の奴らでこの町は守られているんだ、ヤクザごときがドンパチやれる環境ではない」
「公僕が自らの欲と殺人衝動で動く街だからのう。ほれ、出来たぞ」
京太郎が組み立てていたのは、拳銃だった。
弾倉の入っていない拳銃を大介の方へと、投げる。
作品名:挽歌 「こわれはじめ」 作家名:志栗 悠