あの夏、キミがいた。
神社へと向かう道すがら、僕は前日に散々シミュレーションした彼女の家への道順を、さらに念入りに確認しておくことを思い立ち、自転車のハンドルを彼女の家方面へと切る。
シミュレート通りの住宅街と、そしてシミュレート通りのタバコ屋(暑さのせいでいつもの婆さんは引っ込んでいたが)の角を曲がり、そしてシミュレートしていたよりも少し急な坂道を、それでもがんばってペダルを踏みつけ続けた僕だったが、やがて真夏の気温に急激に体力を奪われ遂に力尽き、自転車を傍らの電柱に立てかけながらその場にへたり込む。
彼女の家まではあとほんの少し、この先の角を曲がれば見えてくるはずだが、ともかく夜は自転車やめて徒歩に作戦変更だ。
―汗まみれで彼女に会うのはダサすぎる。ホントは浴衣の彼女を自転車の後ろに乗っけて、どっかで聞いた歌みたいにこの坂を下りたかったのに―
はぁはぁと肩で息をしながら焼けたアスファルトに座り込み、自転車の籠から取り出した、少し温かくなったスポーツドリンクをゴクゴクと飲み干す僕の前を、何台かのトラックがゆっくりと通り過ぎていき、ムワッとした排気ガスと少し焼け焦げたタイヤの匂いだけが僕の周りに置き去りにされる。
やがて呼吸を整えた僕は立ち上がり、今度は緩やかに下る坂道に向かって自転車に飛び乗った。生ぬるい風を全身で受けながら僕は今一度、彼女の家へと向かう曲がり角を確認しよう振り返る、と、陽炎の向こうのトラックが、ユラッと巨体を揺すりながらその角を曲がっていくのが見えた。
狭い住宅街に来る運送屋にしてはなんだか大きなトラックだったなどと思いつつ、再び正面に向き直ったときにはもう、登るのがあんなにしんどかった坂道をあっという間に滑り降りた自転車は僕をタバコ屋のすぐ手前まで運んでいた。
あわてて角を曲がろうとブレーキをかけて減速したその場所で、いつの間にか道路に出てきていたらしいタバコ屋の婆さんが、杖を突きつつ折れ曲がった腰を伸ばしながら坂の上を見上げて、ため息混じりに呟いた。
「寂しくなるねぇ。」
ゆっくりと彼女の目の前を通り過ぎた僕の耳に、確かに届いた老女の寂しげな呟き。
―祭りの日なのに、何が寂しいんだろう?―
僕はそんなことを思いながらその角を曲がり、相変わらず陽炎揺らめく昼下がりのアスファルトを蹴って神社へと向かう。これまでの人生で最大にして最高に楽しみな夏祭りが行われる、幼い頃から慣れ親しんだ神社へと向かうその道路はあくまで陽光眩しく、そして青臭い希望に満ち満ちていたんだ。
数時間後に彼女と歩くその道で、まさか自分が今しがたの婆さんと同じ言葉を口にするなんて、思いもしないで。
作品名:あの夏、キミがいた。 作家名:ヴィンセント