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ナガイアツコ
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不揃いの本たち〜指なし男と失恋女〜

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私は本を一冊一冊手に取って確かめた。カバーはほころび、紙は若干黄ばんでいる。だいぶ昔に買ったものらしい。

「この店で昼飯食いながらフリーペーパーに目を通してたら、アンタの出した広告が目に入ったんだ。流行とは無縁の三冊、しかも上巻だけなくしてしまっているらしい。オレはこの広告を出した奴がどんな人間なのか確かめてみたくなった。で、そこにいるバーテンと賭けをしたってわけ」

「それで、どのぐらい当てられた?」

「女、三十代半ば、独身、恋人なし。どう?」

賭けの対象にされたせいと、恋人がいないと断言されたせいとで、私はかなりイラッとしたが、感情は飲み込んで冷静を装うことにした。

「・・まあ、当たってるわね」

賭けということなら、私だって、待ち合わせ相手が店の常連だってことを当てていたのだ。こちらにだって分がある。

「あなたは昼間っからバーに入り浸ってる酔っぱらいでしょ?」私はちょっとだけ意地悪な口調で言い返す。

「ちがうよ。オレ、この店のオーナーだから。昼から飲んでるけどね」

そう言って、ハハっと、さも楽しそうに笑った。私の的外れな予想がよほど面白かったのか、彼は可笑しそうに両手を打ち鳴らして喜んでいる。私は頬がかあっと赤くなっていくのを感じた。悔しいのと恥ずかしいのとで顔をあげられず、彼の打ち合わされる手のひらをじっと睨んでいたとき、彼の右手に親指がないことに気付いた。思わず「あ、」と小さく声を漏らすと、彼はぱっと両手を放した。

「・・ああ、これね。先月、うっかりなくしちゃってさ」

あたかも腕時計をどこかに忘れてきてしまったかのように、何でもないふうに答える。

「で、アンタはなんで上巻をなくしちゃったの?」

私は自分の癖について簡単に説明した。

              ***

頬杖をついてからかうような目でこちらを見ている彼に「・・なにか問題でも?」と、努めて澄ました表情で私は言う。

「・・いったいどんな事情があるかと思ったら。まあ、そんなことだろうとは思っていたけどね」そう言って、くくっと笑った。

「そんなことって、なによ。本当に分かってたって言うわけ?」

「分かってたさ」彼は右手を開いて愛おしそうに見つめた。そうしてもう一度くくっと笑った。さっきとは違い、微かに自嘲するような笑いだった。

壁にかかった時計を見ると、店に入って1時間がたっていた。私たちは、それぞれにウイスキーとギムレットをおかわりした。バーテンは私たちの話しを聞いているのかいないのか、我関せずといったふうに、酒を作る以外は、黙々とグラスを磨き続けている。そういえば、いい時間だというのに、我々のほか客は一向にやってこない。

「お客さん来ないのね?人気ないのかしら、このお店」

「ちがうよ。今日は店、休みだからさ。入口にクローズの案内が出てたの気付かなかった?」

全く気付いてなかった。待ち合わせの場所なんだから開いていて当たり前と思い込んでいた。休みと知っていれば、彼がお店の関係者だってことぐらい分かったはずなのだが。こういう詰めの甘さを既に見抜かれてしまっているのだろう。私は賭けには勝てそうにない。自分の性格が恨めしい。

「今日は一日中、そこにいるバーテンのヒロタ君とメニューやら広告やらの打ち合わせをしてたんだよ。あのフリーペーパーも、広告先の候補でね。それで目を通したってわけさ」

目の前の男の素性がだんだん分かってきたこともあり、いつしか私はくつろいだ気持ちになっていた。それと同時に、先ほどまで気にも留めていなかった彼の右手が、なんとなく気になり始めた。あるいは、彼が右手を隠すのをやめたせいかもしれない。おそるおそる私は訊いてみた。

「・・その親指、どうしたの?」

「事故だよ。機械に巻き込まれた。ただそれだけ」

どんな機械だったのか、どうしてそんなことになったのか、訊きたいことが次々と沸き起こってきたが、口に出すことは出来なかった。次に話すことが見つからず、しばらく沈黙が続く。私はバツの悪い気持ちで押しつぶされそうになった。そもそも指のことになんて触れるべきじゃなかったと。彼はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、ふっと笑って、場の緊張を解いた。

「なあ、アンタ。グラスの下に敷いてあるコースターをこっちに渡してくれないか?右手で、親指を使わずにさ」

私は彼の言う通りに、親指を極力動かさずにグラスを持ち上げ、コースターからずらし、次にコースターをつまみ上げようとしたが、うまくいかなかった。

「な、分かるだろ?利き手の親指がないって、案外不便なんだよ。なくした当初は、無きゃ無いで何とでもなるだろ、なんて思ってたんだが、親指ってのは、日常生活においてかなりの役割を担ってんだよ」

そう言ってから、彼はほんの少しだけ残っている親指の根元をくいくいと動かせてみせた。

「本棚から本を取り出すときとかさ、無意識に手を伸ばすんだけど、左側の表紙を押さえるはずの親指が無いんだよ。動作に失敗したとき初めて、無いことに気付くんだ。本のページをめくるときもそうだ。無意識にめくろうと思っても、それをしてくれる指が無いんだ。あれ?って思うよ。そのときに感じる空しさったらないぜ。在ってしかるべきものが、無いんだから。自分はもの凄く大切なものを失ってしまったんだって、後悔の念でいっぱいになる。泣けてくるよ、本当のはなし」

私は親指の無い生活を想像してみた。彼の言う空しさがなんとなく分かる気がした。先ほどのコースターへの試みを思い返すと、尚更だった。

「本はもう触りたくない?」

「いま必要なぶんだけしか読まないことにした。昔に読んだ本は必要ない。本棚から取り去ってしまった方が、読む気が起きなくなって助かる」

「だから私にくれるのね」

「理由は他にもある。アンタに本をやるのは、アンタがオレと同じような空しさを感じてるからさ」

「私が?どうして?」

「考えても見ろよ。アンタの挙げた三冊は研究者でもない限り、何度も読み返すような内容じゃない。文庫本ってことは研究者ではないはずだ。もう読まないんだから放っておけばいいものを、アンタは上巻がない状態が耐えられなかったんだ。「無い」ということが、何か思い出したくないことを思い出させてしまうんだよ。だからアンタは、元通りにするか、あるいは元々なかったことにして、記憶を封印させてしまいたかったんだ。捨ててしまうという手もあるが、本好きというのは名著を捨てることを惜しむものだ。かといって、古書店に引き取ってもらっても下巻だけじゃ捨てられてしまうのがオチだ。だからアンタは広告を出すことにした」

彼の説明が終わった瞬間、心がすっと軽くなった気がした。図星だ。自分でも気付いていなかった心の葛藤をずばり言い当てられ、もやもやが晴れたようだった。

「あなたは心理学者なの?あるいはシャーロック・ホームズの末裔かなにか?」私は苦笑した。

「オレだから分かるんだよ」

彼はわざと得意げな表情を作り、親指の欠けた右手を目の前に広げてみせた。

「アンタの広告を見たとき、オレの中の喪失感が共鳴したんだ」