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ナガイアツコ
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不揃いの本たち〜指なし男と失恋女〜

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私には、恋人に自分の好きな本を貸す癖がある。 もっと自分を知ってもらいたいという衝動からなのか、はたまた、 自分の趣味はこんなにも良いのだということをアピールしたいからなのか自分でも正直定かではないが、とにかく本棚から一冊抜き取って、その時々付き合っている相手に押し付けてしまうのである。そうして貰った側も、おそらくは私のことが好きなもんだから、 「ありがとう、是非読ませてもらうよ」 などと調子の良いことを言って、にこやかに受け取ってくれる。しかしながら、案の定、一行二行は読んだとしても、最後のページまで行き着くはずもなく(私の好きになる男性には読書家が少なかった)、 そうこうしているうちに、燃え盛っていた恋の炎も最終章に行き着く前にすっかり鎮火。 いまとなっては、彼も本も行方知らず。さらに悪いことには、私が好む本というのはだいたいにおいて長編作品である。その結果、私の部屋の本棚には、 上巻の欠けた不揃いの文庫本たちが、これまでに恋した分だけ 所在なげに並ぶ羽目となってしまったのである。

そんな話を紺野という男に語ったのは、東京、夜の九時過ぎ、吉祥寺の小さな路地に建つビルの三階、ジャズが流れる小さなバーのテーブル席だった。それまで黙って静かに私の話を聞いていたその男は、ウイスキーの入ったグラスを右手で器用に持ち上げ、氷をカランと鳴らして一口飲んだ。"器用に"と言ったのには理由がある。彼の右手には親指がない。だから彼はグラスを持つとき、親指以外の四本の指と手のひらとで、うまいこと包み込むようして持ち上げる。あまりに自然な動きなので、初めて会った人は皆、彼の指のことには気付かないかもしれない。かく言う私も気付かなかった。紺野は音をたてずにグラスをコースターの上へと戻した。

「・・そんな訳で、アンタは広告を出した。」

彼は頬杖をつき、半ばからかうような目つきで、私の瞳の中を覗き込んでくる。なんだか居心地の悪いくすぐったさを感じ、私は目を反らせてぼそぼそと答えた。

「そう、そういうことです。なにか問題でも?」

              ***

先月、ふと立ち寄ったカフェの片隅にフリーペーパーが積んであった。私は一冊手に取り、アイスコーヒーが運ばれてくるまでの間、その冊子をぱらぱらとめくった。日本に住んでいる外国人向けに発行されているらしく、日本語と英語とが入り交じった、不思議な作りの冊子だった。最初の十ページぐらいで日本のカルチャーや人気のレストランを紹介し、残りの数ページは広告欄にあてられていた。「恋人募集」「あげます/ください」「ランゲッジエクスチェンジ募集」など、国籍問わず多種多様な人間から寄せられた広告が、所狭しとひしめき合っている。日本らしからぬ完全無国籍状態。読んでいるだけで、まるで自分が国際人になったような気がしてくる。勘違いも甚だしいところがドメスチックな人間の性よね、と自嘲気味にため息をもらし最後のページをめくると、広告掲載についての案内が出ていた。一般個人による広告は無料とのこと。そこには申し込み先のメールアドレスが書かれていた。私は運ばれてきたアイスコーヒーをストローで一口すすってから、ちょっと考え、そしてスマートフォンを手にした。メールの入力欄に一文字ずつ打ち込んでいく。

『求む、以下の文庫本の上巻を提供してくれる人、あるいは下巻を貰ってくれる人』

字数制限があるので、あまりたくさんは載せられない。悩むこと十分。「カラマーゾフの兄弟」「キャッチ=22」「存在と時間」絞りに絞った三作品を挙げてみた。悪くないラインナップだ。自分がどんな人間かを表現するのに、これ以上の組み合わせはないだろう。メールの送信ボタンをタッチして、ひゅーっという音を確認した後、残り少ないアイスコーヒーをズズっとすすった。氷が溶けて、水っぽい味になっていた。

広告は翌々週の号に掲載され、わくわくしながら連絡が来るのを待った。しかし、三日たっても、五日たっても、音沙汰なし。考えてみれば、「友達募集」とか「英語教えます」とか書いてはあっても、広告主の多くはステディな相手を求めているというのが現実だろう。性別もなければ年齢もなし。本のタイトルが書かれただけのメッセージに、誰が興味を抱くというのか。そもそもこの三冊のいずれかを持て余している人間がこの広告を読む確率なんて、そうそう高くない。

ところが、ほとんど諦めかけていた七日目の今日、一通のメールが届いた。そこにはこう書かれていた。

『いずれも上巻あり。差し上げます。今夜9時、吉祥寺の×××で待っています。紺野』

こちらの都合を一切無視した文面だ。きっと彼/彼女はこの店の常連で、相手が来なければ来ないで、別に構いはしないのだろう。行くべきか、行かぬべきか。いや、広告を出したのは私なのだ。相手が答えてくれたのだから、行かないというのはあまりにも失礼だろう。私はスマホを手にした。

『了解しました。伺います。杉野』

相手が男なのか女なのか、どんな特徴なのか全く確かめない状態で出かけたので、その場で本人を特定できるかどうか心配したが、その必要はなかった。店に入ると客は一人きりだった。しかもテーブルの上に例の三冊が無造作に重ねられていた。約束通り、いずれも上巻だ。

「お待たせしました」と言って、私は向かいの席に座った。彼は —紺野は男性だった— 伏せていた目を上げ、ちらりとこちらを見て、にやっと笑った。

「ほら、言った通り女だったろう?」
彼はバーの向こう側でグラスを拭いていたバーテンダーのほうを見やって言った。
「オレの勝ちだ。彼女に一杯作ってくれ」

バーテンの男はやれやれというふうに、苦笑しながら私に声をかけた。
「お客さん、何にします?」

私はギムレットを頼んだ。

「飲むものは意外に男っぽいんだな」そう呟いて、紺野という男はウィスキーのおかわりを注文した。

飲み物が運ばれてきたので、私はグラスを手に取った。手にしたと同時に、紺野が慣れた手つきでカチンと自分のグラスを合せてきた。

「文庫本たちの新しい持ち主に乾杯!」

やけに馴れ馴れしい態度が鼻につく。彼がウイスキーをすすっている隙に、この男の風貌を観察してみた。齢四十といったところだろうか。白いシャツに、チャコールグレイの着古したジャケット。ネクタイは締めていない。ところどころ白髪の混じった髪は、耳が少し隠れるくらいまで伸びている。イタリア在住のやさぐれた日本人といった感じだ。私がじっと見つめているのに気付き、彼は口の右端を上げて不敵な笑みを作った。

「なに?そんなにオレと寝たい?」

「会ったばかりで、そんなこと思うわけないでしょう?失礼な人ね」

呆れて私が言うと、彼はたしなめるように、私の口元のすぐ前に人差し指を立てた。

「あそこに広告を出すヤツは、大抵、寝ることを目的としてる。知らなかったか?」

「・・あなたもその部類ってわけ?」

「いや、オレは違う。悪い男に引っかからなくて良かったな」

そう言って、彼は立てた人差し指をひっこめ、重ねてある本をこちらに押しやった。

「例の三冊だよ。たまたま持ってたんだ。どれもオレの好きな本だ。」