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夢の運び人 15

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 運び人の口から途切れた声が漏れる。その声は幼く、やや高めだ。
 どこからか聞こえた声に女の子はぴくりと反応する。そして、見守るような微笑みを静かに浮かべる。
「……ありがとう」
 ついに運び人は言葉を発する。ややぎこちないが、間違いなくそれは声で、久しぶりに耳にした自らの声に懐かしさを感じた。
 遠い過去に自ら失った声をまた自ら取り戻し、運び人は感動と共に笑みを浮かべる。
 女の子はどこからか聞こえた幼い声に反応して、車椅子を前に漕ぐ。そして運び人の前でぴたりと止まった。
「おめでとう」
 車椅子の女の子は、笑顔で胸の前で小さく拍手をする。
 照れくさそうにはにかむ運び人は、女の子を近くで見てあることに気が付いてはっとする。
「どうしたの?」
 女の子は訊いた。
「なんで……ボクが、見える?」
 今だぎこちない言葉で運び人は言葉を返す。
「だって、あなたはそこにいるでしょ?」
 当然のように答えた女の子の目には光がなかった。
「でも……見えて、ない」
 運び人にとって当然の疑問である。
「目が見えていなくても、分かることは多いの。皆は不思議がるけど」
 見えていなくても分かる、その言葉に運び人は頭を捻らせた。
「どこから入って来たかは分からないけど、悪い人じゃないよね?」
 運び人は「うん」と小さく頷く。
「良かった。お昼は外に出られないから毎日退屈なの」
 女の子は顔を明るくして言った。
「どうして……でられない、の」
「光線……過敏症っていう病気で、日に当たると、体が痒くなったりするの」
 運び人も昼間は地上に降りる事はない。上から地上を見下ろしたり、神様の話を聞いたりしているからだ。
「あなたは、外の景色を見た事はある?」
 女の子の目は動く事もなく、光もないが、何かを期待している目であった。
「ある……よ」
 期待通りの答えだったようで、女の子の顔がぱっと明るくなる。
「羨ましい。外は綺麗なんだろうなあ」
 女の子は、一度も見た事のない外の景色に思いを馳せて、深くため息を吐いた。
「外の景色がどうなっているのか、私に聞かせてくれる?」
 車椅子の女の子はやや前のめりになって言った。
 しかし、外の景色の何が綺麗で、何がそうではないのか、夢の運び人にその頓着はない。それに、言葉では説明できなかった。
「……ボクが、見せて……あげる」
「見せるの? でも、どうやって?」
 首をかしげる女の子に、運び人は柔らかく微笑み言う。
 ボクは……夢の、運び人、だから――




――私は草原に立っていた。
 目に映る緑の絨毯は地平線までどこまでも続いている。
 青く染まった空には太陽が眩しく輝いて、私は目を細めた。その光は暖かく私を包み込んでくれる。
 空は青色なのだと私は聞いていた。でも実際は薄い青だ。草原の草も緑ではない。濃い緑や薄い緑、一つ一つが違う色をしている。
 初めて見た景色は美しく、私の顔が自然に綻んだ。
 ここには車椅子はない。私は自分の足で立っている。
 私は前に一歩踏み出してみる。地面を歩く感覚は不思議と分かっていた。
 ある程度進むと、草原の中にブランコがぽつんと現れる。二人が乗れるブランコで、一つはすでに揺れていた。
 揺らしているのは男の子だ。
 私はブランコに近づいて、ゆっくりと揺らしている男の子を見た。
 背は私と同じくらいか少し高めで、丸い目の幼い顔立ちと短パンに青いシャツを着たその姿は、私と同じくらいの歳だと思う。
 私はその男の子とは出会った事はなかった。いや、出会ってはいると思うが顔を見たことはない。しかし、私はその男の子を知っていた。
「夢の運び人……?」
 私が訊くと、男の子はブランコから降りて、穏やかな風に揺られる草原に立つ。
 言葉を発することなく、男の子は頷いた。
「これは……私の夢なの?」
 運び人は少し考えて、微笑みながらこくりと頷く。
「私に綺麗な景色を見せてくれたんだね。すごく素敵」
 私は天を仰ぎながら呟く。
 運び人は大きく何度も頷いた。彼もこの景色は気に入っているようだ。
「もっと見たい」
 自然とそんな言葉が口から漏れる。
 すると運び人はにっこり笑って、手のひらを返して私の前に出した。その手のひらから眩しく光る球体が現れる。その眩しさに思わず目を閉じた。
 瞼越しでも分かる光が止む。それと同時に、私の右手を私と同じくらいの小さな手が取った。
 私は目を開ける。
 そこには、真ん丸の月が無数の星を携えてぽっかりと浮かんでいた。青白く照らされる地表には一面に花が咲いて、薄い紫色で埋めている。
 この静かな空間に、優しく風が吹いて花を撫でた。
 私と手を繋ぐ夢の運び人は、私の隣で星で埋め尽くされた空を見上げている。繋がれた手に冷たさを感じた。
 突然、運び人は私の顔を覗き込む。その大きな目と目が合った。
 繋いでいた手は離れ、運び人のその手は私の頬へと伸びる。冷たさを伴う運び人の手が私の頬に触れ、頬を伝う何かを拭った。
 運び人の指先で拭われたのは涙だった。それを見て、知らずのうちに自分が泣いている事に気が付き、私は目を擦る。
 なぜ泣いているのかは分からない。この美しい景色を見ることが出来たからなのか、もう二度と見れないと分かっているからなのか。
 今なお私の顔を覗く運び人は、なぜ泣いているのか訊きたいような表情だった。
「もう……見れないのかな」
 必死に出した言葉は心から溢れた不安だった。私が今恐れている事だ。
 運び人は微笑みと共に首を横に小さく振った。そして、私から少し離れた位置で両腕を横に広げる。その姿勢でにっこりと笑顔を浮かべた。
『そんな事はない。だって君は見たじゃないか』
 大きく輝く月を背に、輝く笑顔を浮かべた運び人が、そう言った気がした――




――夢の運び人はベッドで眠る少女を見ていた。
 幼い寝顔は幸せに包まれているようで、夢の運び人は満足した。
 ベッドの傍らに置かれた車椅子に運び人は腰掛けてみる。意外と座り心地が良く、無機質な鉄の冷たさが手を伝ったのを感じたのだった。
 車椅子から降りて机の前に向かう。椅子のない机の卓上に置かれていたのは、数冊の本と一冊のノート、そして一本の黒ボールペンだ。
 数冊の本のうち、一番分厚い一冊を運び人は手に取る。本の表紙には「点字の基礎」とあり、その題名の下に細かい凸凹が点々とある。運び人が本を開くと、小さな凸凹でびっしりと埋まっていた。
 夢の運び人は目を見開いてその凸凹を撫でてみる。ざらざらと感触が指を伝わるが何の意味があるのかは運び人には分からなかった。
 元の場所に本を戻し、次にノートを手に取る。茶色い表紙のノートには何も書かれていない。
 ベッドで眠る少女に一度目を向けて、運び人はその表紙をめくった。
 そこには、目が見えないとは思えぬ程の丁寧な字で「スケッチ」とだけノートの中心に書かれていた。
 運び人は二ページ目を開く。
 そのページには絵が描かれていた。黒いボールペン一色で描かれた絵は、一目で中年くらいの女性だと分かる。絵の下には「おかあさん」と書かれていた。
 運び人はその絵に圧倒された。
作品名:夢の運び人 15 作家名:うみしお