アグネシア戦記【一巻-序章】
この瞬間にも一人の痩せこけた挑戦者であろう青年が、相手のチャンピオンであろう褐色の中年の男の右ストレートをもろに顔面に受けてリングに沈み、洪水のような歓声が上がる。
「誰か!この10人狩りのオースチンに挑戦する者はおらんかね〜!」
審判兼司会らしい盛り上げ役の男が高らかに叫び客に熱を上げさせるが如く煽りだす。が、挑戦者は一向に現れない。オースチンと呼ばれた褐色の男は、私こそ最強と言いたげに筋骨隆々とした肉体を見せ付け威圧的にもとれる笑みを見せていた。その様子を遠くから見ていたフリルはほくそえむ…
「へー…面白そうじゃない」
フリルは目の前に広がる光景と子供特有の好奇心で目的を完全に忘れ、不気味に笑ったまま駆け出していた。
身軽で小柄な体は風よりも速く。右足を踏み込んで軽く跳躍、小さな影は一飛びに沢山の人々の群れを飛び越えてリングに着地した。
それをみた観客全員の洪水のようだった歓声がまるでダムの門が閉じられたかの如く止み。突然現れた少女に対して司会の男とオースチンは驚きに目を見開き互いに見合っていた。
「お嬢さーん、どこからきたのかな?ここは遊び場じゃないよ?」
声をかけたのは司会…同時にオースチンを含めた観客達の笑いが爆発を思わせる勢いで炎が如く巻き起こる。しかし、当然の事ながら観客達は知らなかった。その行為は。自分では普段穏便だと思い込んでいるフリルの感情に怒りの火を付ける行為であるという事を…。
次の瞬間、フリルは瞬きよりも素早くオースチンとの間合いを詰め、未だ気付かない笑みに形作られた顔面…その頬にフリルは瞬く間に右足の爪先を叩きつけ勢いそのままに左に払う…それは目に見えない程に速い飛びながらの上段回し蹴りだった。
【ドン】
同時に弾ける空気の炸裂音と共にオースチンの強靭な肉体は、まるで馬に跳ねとばされるような勢いでリングを囲う柵にぶつかり、柵に弾かれて地面に倒れるが、勢いとまらずに反対の柵にぶつかってからリングに倒れてもう動く事はなかった。
「弱っ、笑う暇あるなら構えたら?」
失神して倒れたオースチンに罵倒を浴びせて周りにオースチンがやっていたように小さな身体を最大限に使って自らの強さをアピールした。そんな瞬殺を見せられた司会も観客も目が飛び出るのではないかと思われる程に目を見開き、何を頬張るつもりなのか分からない程に口を大きく開け、驚きの絶頂を表現していた。
「そうだ!これ景品とかあるの!?あれ?」
空気を読まずにフリルは目の隅に捕えたお金の袋を指さすと空気を読まずに驚愕でショック死する程に追い込まれている司会の前に行き、その小さな両手を差し出した。
「ちょーだい!」
フリルの元気いっぱいな声に司会は頭を押さえて絶叫する。
「やれるわけないだろ!なにしてくれてんだ!!」
司会の男は顔を真っ赤にしてフリルを怒鳴り付ける。しかし、対称的に観客全員はお互いに顔を見合わせていた。
「なにって、ゴング無いみたいだし軽く蹴っただけよ?」
フリルは嫌味な口調で告げて、わかりやすく下手な演技で辺りを見回す仕草をする。しかしゴングなる物は存在せず、あるのはリングと掛け金を置く机だけであった。そう言われては司会は手で目を覆い隠し泣く泣くフリルに金の袋を差出した。
「持ってけ泥棒!!」
金の袋がフリルの手に渡ったと同時に観客達の歓声が津波が如く立ち上がり勢いをます。
「その試合!ちょっと待った!!」
そこに新たなる乱入者が現れる。乱入者はフリルと同じように観客達の歓声の津波の上を軽々と飛び越え右手に握られた剣でフリルの頭上から斬り掛かる。
「!!」
フリルは反射的に後ろに身を引く事で服をすれすれで霞めると、剣はフリルでは無く、フリルの服とリングをチーズの様に両断してから、その剣先をフリルの鼻先に突き付ける。
「じ!、迅雷だ!」
観客の一人が叫んだ。観客に迅雷と呼ばれた少年は金髪に白い肌、青く澄んだ瞳に白と青を基調にとりわけた衣服を着ている。歳は16くらいで美少年といえばそうだろう。
「【レイヴン】…ですね?お嬢さん」
少年の問い掛けにフリルは意味のある笑いを浮かべながら頷く。
「そういうあなたも【レイブン】ね?」
レイブンとは、この星に生息する人類が扱える第六感が具現化した能力である。属性・性質にそれぞれ個性が存在するが。その能力は才能がなければ開花させる事が出来ないため、扱える人間はごく僅かと言われている力である。
「こんなに可愛い女の子にいきなり斬り掛かるなんて、どういう要件なのかしら?迅雷さん…」
今の会話はまるで無かったかのように、迅雷の相手をするつもり等毛頭なさそうな態度で。フリルは霞めて斬れた自らの服に目線を送り、気にするように利き手の指でなぞりつつ、右手に持ったお金の袋をリングの端に投げ置いた。
「確かにあなたのようなお嬢さんにいきなり剣を振るうなんて事は、普通なら外道のやる事です。」
弾けて広がる金属音等気にもせず。迅雷と呼ばれた少年は一度目を伏せて己のした事を悔いる聖職者のように俯き懺悔する。が、しかし直ぐにその顔を殺意で化粧し、真っ直ぐにフリルを睨み付けた。
「ですが、今は戦争です。敢えて言うのであれば。私は貴方のようなレイヴン使いを我が軍の中では見たことがない」
つまり…、彼が言いたい事がフリルには直ぐに分かってしまった。つまり、彼はフリルを…
「ちょっと待った!あたしを魔王軍かなんかだといいたいのかしら!?」
フリルの怒りに似た反応に、迅雷は意味のありそうな含み笑いを浮かべた。当のフリルは事実歳相応の反応で激昂しているからである。
「はあ!?なんであたしが敵に味方なんてしなきゃなんないのよ!バカも休み休みいいなさい!!ブッとばすわよ!?」
「…でもあなたに言い逃れは出来ない、何故なら貴方は既に我が軍の貴重な戦力を一つ奪っているのですから」
フリルの言葉を切り裂いて、迅雷は未だに気絶して倒れたままのオースチンに目線を落とした。迅雷と呼ばれた少年の言葉の余りの説得力に、辺りの兵士たちは忘れていた感情を一気に溢れださせ、殺気立ちフリルに対して憎しみや様々な感情が入り混じった視線が集中する。
「やろうブッ殺してやる!」
一人の兵士が勢いにまかせてリングに上がろうとするが迅雷が片手で止めた。
「あなたが行って勝てる相手ではない、わたしに任せて下さい」
迅雷は兵士を宥めてリングから追い出し、再びフリルに目線を泳がせる。
「っ…わかったわ、ならあんたはどうすればあたしを信用するの?」
余りの不利と自分のミスに対して。フリルは舌打ちという行為をしてから迅雷を睨み付ける。それに対して迅雷は、ハンサムな顔立ちをそのままに一言で返した。
「大人しく斬られて下さい…」
「大却下よ」
迅雷の答えにフリルは即座に否定すれば。迅雷は笑い顔のまま殺気立ち、剣先を上げ、その華奢な体つきにあった細身で長い刃を縦に顔の前へともって来る。それは剣士が決闘の際、切り捨てる相手に敬意を評する場合によくやる敬礼だった。
「アグネシア連合隊長…迅雷、グリフォード・ロベルト…」
作品名:アグネシア戦記【一巻-序章】 作家名:黒兎