たった一人の愛読者
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僕のモチベーションは上がりまくった。新しいプロットが次から次へと湧き出てきた。ウイットに富んだセリフがストーリーを盛り上げた。恋人たちの会話にはエスプリが効いた。
それもこれも「夢見るすもも」さんからのコメントが欲しいが為だ。そして実際にたくさんのコメントが貰えた。いつの間にか、小説を書くことよりも、コメントのやり取りをすることの方が楽しくなってきた。僕は「もの書きドットコム」にすっかりハマってしまったのだ。
「夢見るすもも」さんは、童話やメルヘンチックな小品を書いていた。僕には到底書けない分野だ。僕も彼女の作品を読んでコメントを送った。ときには辛口のコメントに対しても彼女はしっかり受け入れてくれた。
「お誕生日おめでとうございます!」
僕のページに彼女からのメッセージが届いた。そういえば今日は僕の誕生日だった。自己紹介のフォームに誕生日を入力していたことなど、すっかり忘れていた。
この気持ちをどう説明したらいいのだろう。「夢見るすもも」さんの顔も知らない。声も聞けない。本名だって、どこに住んでいるのかだって知らないのだ。だから、恋愛の対象になるはずがない。でも僕の頭の中の大きな部分を占領していることは間違いない。不思議な感覚だった。パソコンのスイッチを入れると、真っ先に「もの書きドットコム」にアクセスするようになった。そこに行けば彼女と会える。パソコンがまるで魔法の箱のように感じた。
「もの書きドットコム」に登録してから2カ月が過ぎた。バーチャルの世界に、こんなにもハマっている自分が滑稽だった。僕の小説を読んでくれる読者はありがたいことに何人もいた。でも、僕のベクトルはいつもたった一人の読者に向けられていた。8作目の小説を書きあげ、僕はいつものとおり「もの書きドットコム」に投稿した。いつもその日か遅くとも翌日にはお目当てのコメントが送られてきたのに、今回はまだ来なかった。
「旅行にでも行っているのかな」
僕は自分を納得させるために、勝手な想像をした。3日経ってもコメントは来ない。まさか催促するわけにもいかないし、ひたすら待つしかなかった。1週間後に、待ちに待ったコメントが送られてきた。しかしそれは作品に対するコメントではなかった。
「江羅里さん、こんにちは。夢見るすももです。実はいろいろな事情があって、『もの書きドットコム』を退会することになりました。江羅里さんにお会いできて本当に嬉しかったです。私はここを去りますが、良い作品を書き続けてください。どうぞお元気で」
頭に鉛をぶち込まれた思いだった。