たった一人の愛読者
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「もの書きドットコム」に登録し、「夢見るすもも」さんに出会えたことは、僕にとってまさに僥倖だった。こんなにやる気がなくなっている自分がおかしかった。僕のプロフィールページや作品のページに寄せられた彼女のコメントは、きれいさっぱり削除されていた。退会すると、その人の情報は全て削除される仕組みになっているようだ。
僕は、もう一度あのコメントを読みたいという未練がましい気持ちと戦いながら、全ての情報がなくなってしまった方が気持ち的にもあきらめがつくことも理解できた。
新しい作品は書かなかった。いや、書けなかったと言った方が正確だ。このまま「もの書きドットコム」に登録していることが無意味に思えてきた。本来の目的は、自分の作品を誰かに読んでもらいたい、ということじゃなかったのか。僕は自分に問いかけた。でも、しぼむ気持ちを鼓舞させることはできなかった。
僕は「もの書きドットコム」のトップページの一番下まで画面をスクロールさせた。
「退会」のボタンを、躊躇なくカチッとクリックした。その瞬間に、江羅里九陰に関連した情報は、「もの書きドットコム」の全てのページから消去された。登録してから3カ月後の8月末のことだった。
僕は、不思議とさばさばした気分でパソコンのスイッチを切った。
秋らしい匂いを風に感じるようになった10月、大阪のとあるマンションの一室で、一人の主婦が朝の家事を終え、パソコンのスイッチを入れた。インターネットに接続すると、お気に入りのサイトにアクセスした。
「もの書きドットコム」というそのサイトには、今年の夏頃、「荒らし」と呼ばれる輩が、特に女性の会員に対し、卑猥な言葉や、根も葉もない誹謗中傷で嫌がらせを行っていた。
この主婦も嫌がらせを受け、このメンバーから脱退していたところだった。
ところが、事務局の毅然とした対応により、「荒らし」は駆逐され、元の平和なサイト運営が取り戻されつつあった。安心したその主婦は、以前のペンネームであった「夢見るすもも」を変更して「もの書きドットコム」に再登録しようとしているところだった。彼女は以前登録していたことは伏せて、自己紹介の欄にこう書いた。
「はじめまして。書くことが大好きな『夢見るプラム』といいます。読後感が良くて、どこかホッと救われるような物語が書ければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。」
以前登録していたので手順は心得ていた。登録し終えた「夢見るプラム」は真っ先にあの投稿者を探した。見つかるはずがないあの投稿者、江羅里九陰を。
(おわり)