逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~第二部
「良い式でしたよね」
祐一郎が突然、話題を変えた。萌が塞いでいる原因にはそれ以上、触れないで貰えたことは素直に嬉しかった。
萌は小さく頷いた。
「派手な演出もなかったけど、その分、主役の二人の優しさというか、招待客へ心遣いが感じられて素敵だったと思います」
三時間にわたる披露宴の間、新婦のお色直しは二回、両親への花束と手紙贈呈以外には、全く凝った演出はない、ごくシンプルな式だった。招待された萌たちは、ほどよく絞られた音楽を聴きながら、次々に運ばれる食事と他の人との会話を愉しんでいれば良かったし、披露宴にはお決まりの何人もの賓客のうんざりとしたスピーチを聞かされることもなかった。
招待者の席には、予め、新婦お手製のシフォンケーキの入った箱がセッティングされ、銀色のリボンで可愛らしくラッピングされていた。箱の上には、毛筆は八段の腕前だという新郎が筆で書いた簡素なカードが添えられていた。
私は十四年前の自分の結婚式のことを思い出して言った。
「私が結婚した頃は、まだ結構、派手な演出が流行ってる時代でしたよ。披露宴の前に、どんな内容にするかって、ホテル側の人と色々相談するじゃないですか。司会を頼んだ方がとにかく派手好きな人だったから余計で、新郎新婦の席の後ろにレーザー光線を当てて、二人の名前を壁に浮かび上がらせるだとか、相合い傘で入場とか、かなり恥ずかしい演出を提案されました」
祐一郎が笑う。
「で、やったんですか、それ」
その時、先刻のウエイトレスがまたやって来て、アイスティーとホットコーヒーを置いていった。
少女が銀盆を抱え、一礼して去ってゆくのを見届ける。身なりはともかく、客に対する礼儀はちゃんと躾けられているようだ。
見かけによらず、良い娘なのかもしれない 萌は笑いながら首を振った。
「まさか、とんでもない。主人がそういった派手派手しいのは嫌いだったから、すぐに断ってくれました」
「僕のときも、まだ、そういう名残は残ってましたよね。ゴンドラに乗って新郎新婦が降りてくるなんてのは、もう定番でしたっけ」
「えっ、祐一郎さんもそれをやったんですか!?」
萌が愕きを隠せずに言うと、祐一郎は恥ずかしそうに笑った。
「うちは、女房がそっち系が好きでしてね。一生に一度なんだからと泣きつかれて、仕方なく、ですよ」
「今日、結婚した従姉に訊いたんですけど、今はもう流石にそういうど派手なのは流行らないらしいですね」
バブル時代はとにかく〝派手婚〟が当たり前だったけれど、今はもう、そんな時代ではない。
「一時はハデ婚の次はジミ婚が良いなどと言って、式も披露宴もしないなんてカップルが多かったですけど、今は各々自由というか、多種多様ですよ。僕はこういう仕事をしてるから、仕事柄、結婚式の出張撮影に出向くこともあるんですけど、本当に皆さん、それぞれ個性がありますね。昔ながらの派手な演出をなさる方もいれば、今日のように落ち着いた披露宴をなさる方もいます。どれが良いとか悪いとかいう時代では、もうないんでしょうね」
祐一郎がしみじみとした口調で言う。
萌は頷いた。
「それって、多分、良いことなんでしょうね」
「でしょう。目前の流行というか流行りに惑わされず、自分たちのやりたいものを追求して、自分たちのスタイルの披露宴をするっていうのは良いですよ。今は昔と違って、個性を大切にする時代ですよね」
平凡な主婦の私と異なり、彼はカメラマンという職業柄、多くの結婚式や披露宴を見ている。それだけに、実感のある言葉だ。
萌は吐息混じりに言った。
「私なんて、ずっと家に閉じこもりきりだから、最近の披露宴なんて、どんなものか知りません。従姉の披露宴がなければ、知らずじまいです」
祐一郎は首を振る。
「僕だって、たまたまカメラマンをしているから、知っているだけですよ。ところで、今日の新婦さんが萌さんの従姉とか?」
「ええ、私の母が新婦の母の姉になるんです。新婦の亜貴ちゃんと私は二歳違いなんだけど、私たち、どちらも一人っ子なので、小さいときから姉妹のように育ちました。言ってみれば、亜貴ちゃんは姉のようなものです」
「そうですか。僕はいちばん感動したのは、ご両親への花束贈呈かな、あと、新婦さんがお父さんに感謝の気持ちを込めて手紙を渡すところね」
祐一郎は少し思い出すような眼で言う。
「落ち着いている反面、あそこしか見せ場らしい見せ場はなかったですものね」
「まあ、そうとも言えますが。萌さんも、なかなか厳しいことを言いますね」
祐一郎は顔を綻ばせた。
「僕自身がそう感じたからかもしれないけど、写真もあのシーンはなかなか良いのが撮れたと思いますよ」
「え、そうなんですか」
萌が思わず叫ぶと、彼は幾度も頷いた。
「見てみますか?」
「良かったら、是非」
祐一郎はテーブルに置いた一眼レフを手にして、しばらくいじっていた。
「ほら、ここを覗いてみて」
むろん、萌が見せて貰えたのは、デジカメ仕様のものだ。ファインダーの中には、彼が撮ったばかりの様々なシーンが収められている。祐一郎は慣れた手つきで次々と色々なシーンを披露する。
黒地に薄紅の桜が舞うしっとりとした振り袖を着た亜貴が映った。振り袖姿の亜貴がピンクのカーネーションの花束を叔母に渡している。叔母は眼を真っ赤にして、殆ど亜貴に縋りつかんばかりだ。
「おばさん、眼が真っ赤だわ」
萌が呟くと、シーンはすぐに変わった。
今度は、亜貴から手紙を受け取る叔父の姿だ。亜貴はやはり、振り袖を纏っている。披露宴では、ホテルの司会者が亜貴の代わりに新婦から父への手紙を朗読した。
手紙が読まれている間中、浜崎あゆみの〝Virsin road〟がずっと流れていた。既に歌姫としてベテランの域に達している彼女だが、実のところ、萌の世代は、そんなに浜崎あゆみの歌を聴いてはいない。とはいえ、既に三十をとうに超えている彼女の名を小学生の二人の娘たちも知っているのだから、やはり、知名度は抜群だ。
萌自身、彼女の歌は殆ど知らないけれど、唯一、この歌は結婚式を迎える花嫁の心境を歌った名曲として記憶に残っていた。この歌を出してまもなく、彼女自身が外国人俳優と電撃的結婚を遂げた。〝あゆ、イケメン外人俳優と電撃結婚〟という見出しが新聞の芸能欄を大きく飾ったのはまだ記憶に新しく、世間は騒然としたものだ。
芸能ニュースには疎い萌ですら、耳にした話題だから、余計に歌の方も印象深かったのかもしれない。結婚を控えた女性の繊細な心の動きを切々と綴った歌詞とドラマチックなメロディラインは、その場の雰囲気をより盛り上げていた。
けして長くはない、むしろ簡略な手紙の最後は、
―お父さん、これからは、あんまりお母さんを困らせないで、夫婦助け合っていってね。いつまでも元気で、そして、ありがとう。
で結ばれていた。
いかにも亜貴らしい文章だと、私は思った。亭主関白だという叔父に、叔母を労るように忠告するのを忘れていない。
この末尾を聞いていた時、叔父は人眼もはばからず、おいおいと声を上げて号泣していた。叔父の傍でひっそりと涙を流している叔母の姿が逆に印象的でもあった。
「おじさん、号泣してる」
作品名:逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~第二部 作家名:東 めぐみ