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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~第二部

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 写真を見ている萌の方まで、何故かまた眼が熱くなる。
 再びシーンが変わった。
 これは、花束と手紙の贈呈が終わった直後だろう。亜貴と旦那さんがぴったりと二人だけで寄り添っているシーンが大写しになっている。
「亜貴ちゃん、綺麗」
 ふいに涙が込み上げてきて、萌は慌てて眼をまたたかせた。 
「流石ですね」
 こんなときに、ありきたりすぎる科白しか出てこない自分のボキャブラリーの乏しさが恨めしい。
「凄いですよ。プロの方に凄いと言うのもかえって変というか失礼かもしれませんけど、つい今し方、私が見たばかりの光景がまさに、ここに灼きつけられてる。何ていうのか、―決定的瞬間で綴られた二人だけの、ううん、家族の物語っていうか」
 たとえ都合がつかなくて披露宴に出なかった人でも、この写真集を見れば、どれだけの感動が生まれ、心温まる時間が今日、ここで紡がれたかを体感できるだろう。出席しなかった人もあたかもこの場にいて、その感動を多くの出席者と共にしたかのような気持ちになれるに違いない。
「祐一郎さんのお仕事って、多くの人に感動をあげられるんですね」
 別に言葉を飾ったわけでもお世辞でもない。心からの賞賛を口にしたにすぎないのに、彼は面映ゆげに頭をかいている。
「参ったなぁ。それは、ちょっと褒め過ぎというか、萌さん、買い被りすぎですよ」
 萌は真顔で首を振る。
「そんなことありません。一年前、証明写真を撮って貰った時、祐一郎さんは言ってたじゃないですか。自分を信じて写真を撮って貰おうと思って来たお客さんの期待に応えられるような写真を撮りたいって。祐一郎さんの一つ一つの仕事に真摯に向き合うその気持ちからきっと、こんな素晴らしい写真が生まれるんですね」
 祐一郎は無言だ。萌はハッと我に返り、口許を抑えた。
「ごめんなさい、素人が知ったようなことを言って。生意気でしたよね。私、披露宴のときも、友達に言われたんです。ちょっと固いっていうか、真面目すぎるって。何でも物事を四角四面に捉えすぎるっていうか。ムキになりすぎるんですよね。自分でも判ってるけれど、変えられなくて」
「いいえ、全然。こんな風に直截に評価して貰えたというか、褒めて貰ったことがないので、少しびっくりしただけです。でも、嬉しいですよね。一度でも僕が写真を撮ったお客さんがそう言って下さるなんて、カメラマンとしては冥利に尽きますよ。―ありがとう」
 〝ありがとう〟、その何げないひと言が私の心に温かなものを呼びさましてゆく。
 祐一郎の視線が萌に向けられた。
「萌さんは萌さんのままで良いんです」
 え、と、萌が眼を瞠る。
 彼は表情を和ませ、優しい瞳で萌を見た。
「真面目で良いじゃないですか。それが、萌さんの良いところであり、ウリでもあるわけだから。良い加減なことばかり言って、中身のない人間より、真摯に物事を受け止める方がよっぽど素敵です」
「ありがとう―ございます」
 涙が、溢れてくる。
「本音を言っただけです。萌さんも僕の仕事について本音で語ってくれたから、僕も正直な気持ちを言いました」
 ふと視線を動かした萌の眼に映ったのは、ガラスの向こうにひろがる庭園だった。六月最後の日曜日、そろそろ黄昏刻に差しかかり、蜜柑色の夕陽が片隅の紫陽花を照らしている。真っ青に染め上げられた紫陽花が何株も群れ集まっていて、なかなか豪華な眺めを呈している。
 昼前まで降り続けた雨の名残か、エメラルドグリーンの葉の上に、水晶のような雫がひと粒残っていた。オレンジ色に染まった雫がきらきらと夕陽に照らされ、煌めいていた。
 大きな四角いガラス窓に切り取られたその光景は、さながら一枚の水彩画を見ているかのような感がある。
 萌の脳裡でゆっくりと時が巻き戻されてゆく。
 あの日の光景が甦る。
 彼と初めて出逢ったセピア色の写真館。その前の舗道。舗道沿いのフラワーポットに咲いていた海色の紫陽花の群れ。
 あの日、彼に逢いに写真館を訪れた萌は、彼の妻が妊娠中であることを知った。独りよがりの恋とも呼べない恋に呆気ないエピローグが訪れた瞬間だった。
 写真館を出た直後、雨が降り始め、萌はずぶ濡れになりながら、彼への想いを雨であとかたもなく洗い流し、日常の世界へと帰った。
 丁度、向こうから歩いてきた女子高生の携帯からKポップの〝会いたいから〟が流れていた。
 一年前、一度は終わらせた恋の続きは、今日、この日へと繋がっていたのかもしれない。
 でも、この瞬間、本当に終わった―。
 萌自身、思いもかけない、でも、最高の形で。
「それじゃあ、僕はこれからスタジオに戻って、仕事の仕上げをしないといけないので。時間を取らせてしまって、申し訳ありませんでした」
 祐一郎が立ち上がった。
 萌は一年前のあのときから、一挙に今へと戻ってくる。
 見上げた先には、一年の時を経た彼がいた。
「お話しできて、良かったです」
 萌は心から言った。
「祐一郎さん、これからも素敵な写真を撮って下さい。たくさんの人に良い想い出を作ってあげて下さいね」
「頑張りますよ。萌さんもまた、スタジオにも遊びに来て下さいね。ご家族の写真、撮らせて貰いますから」
 祐一郎は片手を上げ、軽く頭を下げると、ゆっくりと去っていった。その広い肩には、一眼レフがかかっている。
 遠ざかる彼の背中から、視線を庭の紫陽花に移した萌の眼を煌めく雨滴が眩しく射貫いた。


           【The end 】