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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~第二部

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 二度と逢えない、逢わないと心に決めていた男(ひと)だ。この一年間、写真館の前を何度通りかかっても、萌は中に脚を踏み入れようとはしなかったし、その近くで彼を見かけることはなかった。
 彼への想いを断ち切った日、写真館のオーナーは言っていた。祐一郎は大手の写真スタジオの専属カメラマンとして働いていて、普段、ここに来ることはないのだと。
 今、奇蹟的に〝日常〟と〝非日常〟が交わった。祐一郎は萌には、明らかに〝非日常〟の世界に属する人であった。
「親族席に座ってるってことは、萌さんは、新婦さんの親戚ですか?」
 まるで昨日の夕方、〝さようなら〟と挨拶して別れたばかりのような気軽さで話しかけられ、萌は少し戸惑う。
 もっとも、無理はない。彼にとって、萌は一年前、たった一度きり客として接した相手以上でも以下でもない。萌が勝手に一人で彼に淡い恋情を抱いていたにすぎないのだから。
 むしろ、ゆきずりの客にすぎなかった萌を彼が憶えていたことの方が不思議な気さえした。
「私の母と新婦の母が姉妹なんです」
「なるほど、萌さんは新婦さんの従妹なんだ」
 萌たちは小声で囁き合った。
「それじゃ、僕はまだ仕事が残ってるんで」
 祐一郎は軽く頭を下げ、萌のいるテーブルを離れていった。
「ねえねえ、今のは、どういうことよ? あんなイケメンのカメラマンとどこで知り合ったの」
 早速、ユッコが鋭い突っ込みを入れてくる。
 萌は周囲の耳を気にしながら応えた。
「前に一度、証明写真を撮って貰ったことがあるの。ただそれだけのことよ」
「ふうん? それにしては、萌の愕き様って、何だか久しぶりに恋人に再会したようなっていうか、随分と表情が生き生きしてたというか華やいでたけど」
 ユッコはあまり納得してないような顔である。
「もう、良い加減なことばかり言わないでよね。これでも一応、亭主持ちですから」
 私が茶化すと、ユッコが吹き出した。
「そうよね。真面目な萌がまさか不倫なんて、するわけないものねえ。史彦さんという人がちゃんといるわけだし」
「あら、失礼ね。私だって、格好良い男がいれば、恋の一つや二つする度胸も覚悟もあるわよ」 
「どうせ口だけよ、萌にそんな大胆さがあるわけないじゃない」
 その言葉に、私は真剣に傷ついてしまった。
「ねえ、ユッコ。私って、そんなにお堅い感じがするかしら?」
 と、ユッコが眼を丸くした。
「何を馬鹿なことを言ってんの。不倫なんて、それこそ、ドラマや小説の中でしか出てこないものよ。現実にそんなことしてる人がこの世の中にどれだけいると思ってるの! そりゃあ、全くいないわけじゃないけど、そんな人たちは、ほんのひと握りだけ。大抵の一般市民は地味に生きてるんだから。いやだ、萌ったら、少しからかっただけなのに、何でそんなに真剣に受け取るの?」
 そこで、その話は終わりになった。
 司会者が二度目のお色直しのため、新婦が一時退席すると高らかに宣言したためだった。

 それから更に二時間後、披露宴は滞りなく終わり、萌は会場となったホールをユッコと出た。既に新郎新婦は今夜の宿泊先となる大阪のホテルへと向けて出発している。新婚夫婦は明日の朝、関西国際空港から、ハワイに向けて飛行機で旅立つことになっていた。
 ホテルのロビーをユッコと並んで歩いていいると、ふいに後ろから呼ばれた。
「萌さん」
 萌は振り向いて、愕いた。
 祐一郎が一眼レフを肩に掛けて立っている。
「良かった、間に合って」
 傍のユッコが意味深な視線で萌と祐一郎を交互に眺めている。
「それじゃ、私は先に帰るわ」
 ユッコは萌に片眼を瞑ると、早口で囁いた。
「本当に単なる知り合い? 今夜、電話するから、どうなったかを教えてよ、あのイケメンカメラマンと」
 〝お先に失礼します〟と、ユッコは祐一郎には、別人のように淑やかな身のこなしでお辞
儀をして去っていった。
「少し話しませんか?」
 祐一郎が指す方向を見る。いかにもカメラマンらしい大きくて長い指を持つ手は綺麗だ。その指先が示す方向には、ロビーの一隅を低い衝立で仕切った喫茶コーナーが設置されていた。
 彼に誘われて、否と言えるはずもなかった。萌はふいに眼の前にひらけた〝非日常〟の世界へ躊躇いがちに脚を踏み出したのだった。






    Tomorrow~それぞれの明日~
 
 
 一年ぶりに見る祐一郎の顔は、少し陽に灼けてワイルドになったように見えた。もう二度と逢うこともないだろうと思っていた人だけに、いざ現実に再会してみると、何をどう言えば良いのか判らない。
 萌は所在なげに視線をさ迷わせる。祐一郎の顔を何故か、直視する勇気がないのは、自分の中にまだ彼への想いがほんの欠片でも残っているからだろうか?
 喫茶コーナーは全面ガラス張りの庭園に面している。スペースとしてはさほど広くはないが、間隔を取ってガラス・テーブルとソファと配置してあるため、ゆったりと感じられる。
 まだ十代後半にしか見えないウエイトレスが銀の丸盆を胸に抱いて近寄ってきた。黒のワンピースのお仕着せに、白いエプロン。まるで流行りのメイド喫茶のようだ。バイトの子だろうか。
 萌は長い茶髪を束ねもせずに垂らしている少女を眺めながら、ぼんやりと考える。普通、飲食店で働く女性は、ロングへアであれば束ねるものではないだろうか。むろん、衛生上の配慮だが、老舗のホテル内の喫茶店ともあろう店が従業員教育を徹底させていないらしい。
 ―などと、若い子を批判的な眼で見てしまうこと自体、自分がもう立派な〝おばさん〟である証明だ。 
 萌がミルク入りのアイスティーを注文すると、祐一郎が落ち着いた声音で続ける。
「僕はホットをお願いします」
 若いウエイトレスは伝票に注文をペンで書きつけ、去っていった。
 その場に再び沈黙が落ちる。
 萌は視線をガラス窓の方に向けた。できるだけさりげなくふるまっているつもりではあったけれど、果たして、彼の眼にどう映じているかは疑問だ。 
それに、萌の愁いは別にもあった。披露宴の終わり際に耳にしたユッコの言葉が心に重い石のように沈み込んでいる。
―そうよね。真面目な萌がまさか不倫なんて、するわけないものねえ。史彦さんという人がちゃんといるわけだし。
―どうせ口だけよ、萌にそんな大胆さがあるわけないじゃない。
 私は、同性である女性から見ても、そんなに魅力に乏しいのだろうか? 生真面目でお堅いイメージしかない、つまらない女?
 子どもの頃から、よく真面目な良い子だと言われ続けてきた。勉強にしろ、遊びにしろ、とにかく与えられた課題を計画を立てて、少しずつやり遂げることに歓びを感じ、また、それが達成できないときは、大いに自己嫌悪に陥ったものだ。
 しかし、そんな自分は、友達の眼にも真面目だけが取り柄の、面白みのない人間に映っていたのかもしれない。そう思うと、更に落ち込んでくる。
「どうかしましたか?」
 低い深みのある声音が耳を打ち、萌は眼を見開いた。
 祐一郎が少し心配そうにこちらを見ている。
「いいえ」
 萌は、たとえいっときとはいえ、あれほど夢中になった男性が今、自分の眼の前にいるという現実を俄には受け入れられないでいた。