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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~第二部

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 胸を反らしてみせるが、どう見ても、空元気を装っているようにしか見えない。叔父はつい今し方の勢いはどこへやら、再び悄然とした口調で言った。
「亜貴には今までさんざん手を焼かされて心配してきたけど、これから、婆さんと二人だけだと思うと、淋しくなるよ」
 亜貴が一人暮らしを始めて、もう十年以上になる。ずっと叔母と二人だけで暮らしていたのだから、今更という気がしないわけでもないけれど、やはり嫁がせるとなると、単に離れて暮らしているのとは心境的にも違うのだろう。
 今までなら、離れて暮らしていると言っても、同じR市内に暮らし、逢おうと思えばいつでも逢えた。だが、九州でダイビングのインストラクターをしているご主人と一緒に暮らすわけだから、当然、亜貴も九州で暮らすことになる。新幹線で数時間の距離は、七十を過ぎた叔父には途方もなく遠く感じられるに違いない。
 ご主人は元々は東京出身だが、今回の挙式と披露宴をR市内のホテルで行ったのは、新郎が新婦の親族のことを考えてのことだった。そう、今まで亜貴を利用することしか考えていなかった薄情な恋人たちと違って、新郎は亜貴を思いやり労っている。亜貴は旦那さんに愛されている。今度こそ、きっと従姉は幸せになるだろう。
 それからしばらく、叔父は延々と想い出話と愚痴ともつかないぼやきを繰り返し、やっと次のテーブルへと行った。次のテーブルでも、叔父はビールを注いで回っているが、招待客から〝おめでとうございます〟と言われる度に、泣いている。
 そんな叔父の方をひな壇の亜貴は心配そうに見つめているが、感極まっている叔父は一向に気づいていないようだ。
「やっと行ってくれたね。可愛い一人娘を嫁に出す気持ちは判るけど、ちょっとウザくない?」
 隣のユッコが耳打ちし、萌は小さく肩を竦めて見せた。かく言うユッコもまた、叔父の長話に付き合わされ、閉口しているクチだったのだ。
 萌はといえば、やはり、ユッコと同様、叔父の長々と続く想い出話から解放され、正直、ホッとしていた。思わず小さく息を吐いたそのときだった。
 萌の座るテーブルの横に、カメラマンが来た。カメラマンは長身の男性で、男性はモーニング、女性はフォーマルなドレス姿や着物が目立つ招待客に合わせたのか、背広を着ている。が、ノーネクタイなので、やはり砕けた印象は否めない。
 萌のすぐ傍でしゃがみ込でシャッターを切り続けるカメラマンは、今は披露宴会場全体を撮しているようだ。連写する音が聞こえている。
 カメラマンが立ち上がろうとして、テーブルの角にぶつかった。弾みで萌の前のグラスが倒れ、淡い蒼色のテーブルクロスに染みがひろがる。
「す、済みません!」
 カメラマンの狼狽えた声が降ってきて、萌は首を振った。
「大丈夫です、グラスには殆ど残っていませんでしたから」
 何の気なしに座ったままの体勢で見上げた萌は、思わず声を上げそうになった。
 まさか、こんな場所で?
 懐かしさとほろ苦さの混じった複雑な気持ちが渦を巻く。
 一年前、もう二度と逢うことはないだろうと自分から断ち切った想いが胸に蘇る。
 田所祐一郎と萌が出逢ったのは、ほんの偶然だし、しかも彼にとって萌は、彼の伯父の経営する小さな写真館を訪れた客にすぎなかった。その日、たまたま、写真館を留守にしなければならなかった伯父に代わり、祐一郎が店番を任されていたお陰で、萌は彼にめぐり逢えたのだ。
 小さな町角の写真館は、煉瓦造りの蔦が絡まる古めかしくも瀟洒な建物で、萌はいつもその前を通る度に中に入ってみたいという欲求に駆られていた。しかし、そんな機会もないままだった。
 それが、丁度一年前の梅雨のある日、にわか雨に降られて咄嗟に飛び込んだのが、その写真館の軒先だった―。あまりに烈しい雨に、表まで様子を見に出てきた彼と鉢合わせ、萌は衝動的に〝証明写真を撮りにきました〟などと、全くのでたらめを口にしてしまった。
―大勢の人の中から、何かの縁でその人が僕に写真を撮って貰いたいと思って、わざわざ足を運んでくれる。それって、凄いことだと思うんだ。だから、僕もその縁を大切にしたい。僕に写真を撮って欲しいと頼んだことを、その人に後悔させたくないんだ。ああ、ここに来て写真を撮って良かったと思って貰えるような写真を撮る―それこそが僕の使命だと思うから。
 彼の言葉に、萌は何も言えなかった。
 真摯な瞳で語ったカメラマンに、萌は一瞬で魅せられた。相手は萌が彼をひそかに想っていることすら知らない―恋とも呼べない恋だった。ただ彼のことを考えているだけで切なくて、涙が出そうになった、あの日々。
 でも、ゆきずりの客にすぎない萌が彼に想いを告げられるはずもなく、ましてや、萌には夫と二人の娘もいた。
 それでも、なお逢いたくて、ひとめで良いから、もう一度だけで良いからと偶然を装って写真館を訪れた萌の前に突然、突きつけられた現実。
 祐一郎には、既に奥さんと子どももいて、丁度、その折も折、奥さんは二人目の子どもを早産しそうになって入院中で、彼は奥さんに付きっきりだと教えてくれたのは写真館のオーナー、つまり彼の伯父さんだった。
 あの日あの時、萌は彼への思慕をきっぱりと封じ込めた。
 あのひとと出逢った日のように、急に降り出した雨に打たれながら、夫や娘のいる〝日常〟へと戻っていった。祐一郎は、萌にとって、変わり映えのない平凡な日常にささやかな〝変化〟をもたらしてくれた。その変化は、もしかしたら、ときめきと言い換えても良いかもしれない。
 今から考えれば、萌は明らかに何か変化を欲していたのだ。毎日、決まった時間に起き、朝食を作り、夫や娘を会社と学校に送り出し、洗濯、掃除をする。出かけるところといえば、せいぜいが近くのスーパーか、ちょっと脚を伸ばしてみたところでバスに乗って駅前のデパートに行く程度。夕方までには大急ぎで帰宅し、洗濯物を取り込み、また夕食の支度をする。
 毎日が判で押したような規正しい生活。では、何か不満があるのかと言われれば、何もない。夫は真面目でそこそこ優しいし、娘たちは成績は中程度でも、素直に育っている。
 何の不足もないんだけれども、味気ない生活がこのままずっと続いてゆくのかと思うと、時々、ゾッとした。
 私は何のために、生きているんだろう? 
 何でも良いから、この退屈すぎる幸せな日々に刺激をもたらしてくれるものはないか―。そういう想いが萌の心の奥底に全くなかったとはいえない。
 そんなある日、彼は萌の前に颯爽と現れたのだ。かといって、萌が彼に惹かれた理由が、刺激を求めていたからという浅はかなものだけではないことは断言できる。
 彼には、確かに他人を惹きつける雰囲気が備わっていた。それは、恐らく証明写真一枚撮るにも、プロの誇りと拘りを持って取り組む気迫のようなものに象徴されていただろう。
「萌―さん?」
 祐一郎の記憶にも、萌について残っていたらしい。彼は例の野村萬斎に少し似た端整な顔立ちに驚愕を露わにしていた。ラフになりすぎないノーネクタイ姿が粋で、似合っている。