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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~

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 早速映したばかりの写真をカッターで指定サイズにカットしてゆく。とはいえ、萌の場合は実際に証明写真が必要だというわけではない。心の中で後ろめたさを感じつつ、萌は適当に三センチ×三センチだと思いついた数値を言った。
 出来上がった写真を見せて貰った萌は、息を呑んだ。
「えっ、これが私?」
 恥ずかしい話だが、思わず本音が洩れてしまった。二十二年前に撮った証明写真とは、あまりにかけ離れている。いや、振り袖でばっちりフルメークして撮った成人式の記念写真よりキレイだ。
 何というか写真の中に収まっている萌は確かに萌本人には違いないのだが、どこか別人のようにも見える。そこで、萌は漸くある一つの事実に思い至った。
 鏡を覗き込んで、色々と自分がキレイに見える表情を試してみることがある。多分、誰でもひそかに―特に女性であればしていることだろう。鏡の前で様々な表情を拵え、あらゆる角度から眺めてみる。そんな時、鏡に映る自分はきっと普段の自分よりは何倍か良い表情をしているはずだ。
 彼の撮ってくれた写真は、まさにその表情と同じなのだ。萌が鏡を覗き込んだ時、いちばんキレイに見える表情そのものを浮かべて、それもごく自然な笑顔で映っている。
「こんなことを自分で言うのも変かもしれないですけど、いつもの私より少しキレイに見える」
 本当は少しではなく、うんとキレイに見えると言いたかったのだが、流石にそれは控えた。何という自信過剰な女なのかと呆れられたくはない。
 彼は萌の言葉に破顔した。笑うと、野村萬斎似の貴公子然とした容貌がとても気さくな感じになる。
「そう言って貰えると、嬉しいなぁ」
「本当です、お世辞じゃありません。だって、証明写真って、これまでは固い表情で写るのが当たり前だって思ってたから。こんな風に笑って―不自然じゃない笑顔で映るなんて考えたこともなかったんです」
 眼の前の男性は小首を傾げた。
「そういうイメージがあるのは確かだよね。証明写真は用途が用途だけに、真面目な印象が大切というか、澄ました顔で写るのが今までの常識だったけど、僕は、そうじゃないと思うんだ。例えば僕が会社の人事だったら、履歴書を見た時、お堅いイメージの写真よりも自然体で笑っている人の方に好印象を持つと思うな」
「でも、そんな写真を撮るのは難しいと思います。私は正直言うと、昔から写真とかカメラは苦手なんですよ。写真館に来て、いざカメラの前に立つと、顔がさっきみたいに強ばって、後で出来上がった写真を見たら、高いお金払ってプロに撮って貰った意味がないじゃないと思ってしまうくらい、いつも悲惨な顔してます」
 彼もまたプロのカメラマンなのだから、これは余計な科白だったかもしれない。萌は一瞬、後悔した。
 しかし、彼は真面目な顔で萌の話に耳を傾けている。
「確かにね、昔ながらの写真館はこう言っては何だけど、萌ちゃんの言うようなやり方だよね。〝はい、こっちを向いていて下さい〟
なんて撮して貰う人に言うのは、僕としては最も下手なカメラマンの部類に入ると思うんだけど」
 彼は笑いながら、長い前髪を無造作に手でかき上げる。さりげなくやっているなのだろうが、なかなか様になっているところが憎い。
 萌はいつしか話も忘れて、彼の整った横顔に見惚れていた。
「だって、そうでしょう。被写体に向かって、〝動かないで、じっとしていて〟なんて言えば、余計に固まってしまうだけだよ。それでなくても写真館に来たお客さんは一体どんな写真を撮られるのかと緊張のしっ放しだからね。そのお客さんの緊張をうまい具合に解きほぐして、できるだけ良い表情を引き出すのが僕たちの仕事だから。それも造り物の笑顔ではなくて、百パーセント自然に近い笑顔になって貰う、そのためには、まず僕が撮ってくれるお客さんと友達にならなくちゃ」
「友達?」
 私の声がよほど素っ頓狂だったのか、彼はまた笑った。
「そう、友達。もっと判りやすく言うと、萌ちゃんと僕。もちろん、今日、しかも、たった今、初めて逢ったばかりだけど、そんな風に思っていたら、当然、良い写真なんて撮れない。だから、こう仮定してみるんだ。例えば、萌ちゃんと僕はずっと付き合ってて、今、僕は萌ちゃんに頼まれて写真を撮ってる。もちろん、証明写真なんかじゃなくて、付き合ってる彼女のベストショットを撮るためにね。僕は萌ちゃんを彼女だと思ってファインダーを覗くし、萌ちゃんは僕を彼氏だと思って写真に撮られる」
「つまり、思い込むってことですか?」
 判るような判らないような論理だ。だって、口で言うのは簡単だけれど、たった今、逢ったばかりの相手を長年付き合っている恋人だと思うなんて、至難の業だ。
 彼は、うーんと難しい表情で首をひねった。
「まあ、確かに思い込みっていえば、烈しい思い込みには違いないんだけど、僕が言いたいのは萌ちゃんが言うのとは少し違う。思い込むだけじゃ、良い写真は撮れない」
 彼は意味ありげに笑い、萌の眼をじいっと覗き込む。
「魔法をかけるんだよ」
「魔法!?」
 先刻以上に声が裏返ってしまった。我ながら恥ずかしいとは思ったが、この男性が次々に意表を突くことばかり言うのだから仕方ない。
「つまりね。それは、こういうこと」
 彼は、まるで小学生がとっておきの隠し芸でも披露するように得意げに言った。
「撮影する間、萌ちゃんに僕が色々と話しかけたでしょ。あれをやるんだ」
「撮る人と撮られる人がコミュニケーションを取り合うってことですか?」
 何となく、萌にも彼の言いたいことが掴めてきた。
 彼は意気揚々と頷く。
「そう、まさにそのとおり! 萌ちゃんは勘が良いね。さりげないトークをしながら、カメラマンと撮られる人が互いの距離をできるだけ縮めていって、自然な雰囲気で話ができるようになれば、もう占めたものさ。その人は僕の前で、生き生きとした、ごくナチュラルな自分、素に近い表情を見せてくれるようになる。その一瞬を僕は逃さずキャッチする。そういうことなんだ」
「それが長年付き合ってる恋人同士だと仮定すること?」
「まあね。特に成人式とかお見合い写真なんてのを撮るときには、そういう親密になれるような話をして、まずリラックスして貰ってから撮ることが多いかもしれない。流石に証明写真で何もそこまで言わなくても良いかもしれないけど」
 と、彼はまた悪戯っぽい表情を浮かべた。
 萌は、その表情に虚を突かれる。何という邪気のない顔をして、このひとは笑うのだろう!
「ごめん。それこそ初対面の人にこうまで熱く語っちゃ、退(ひ)くよね。でも、それが僕なりのカメラマンとしての拘りでもあるんだ。だって、この世には多くの人がいて、一生出逢わない人はずの人もいる。例えば、萌ちゃんと僕が今日ここで出逢って、僕が萌ちゃんの写真を撮ったのも単なる偶然じゃない。大勢の人の中から、何かの縁でその人が僕に写真を撮って貰いたいと思って、わざわざ足を運んでくれる。それって、凄いことだと思うんだ。だから、僕もその縁を大切にしたい。僕に写真を撮って欲しいと頼んだことを、その人に後悔させたくないんだ。ああ、ここに来て写真を撮って良かったと思って貰えるような写真を撮る―それこそが僕の使命だと思うから」