8月の花嫁
先輩を...心配しているんだ そうだよね
「眠っています」と口を衝いて出た
「少し 話してもいいかな」
「はい」
誰もいない静かな中庭にあるプールサイド
幾つもあるガーデンテーブルの中央に向き合ってふたりは座った
「もしよかったらどうぞ」買ってきた飲物を彼に渡す
「ありがとう」
夜の暗がりにプールサイドのブルーのライトが綺麗に見えた
遠くで波の音が聞こえてくる
プールの水面に映る月がゆらゆらと幻想的だった
彼はその月をじっと見ていた
私に話す言葉を探しているの?
「明日….. 妻と一緒に日本に帰えってくる 妻の.....お腹には….」
残酷な告白
「先輩は…..その事を知っているんですか?」
「いや 知らない 俺もさっき知ったから」
「先輩を 愛しているのでしょう?」
「俺に もう…… 彼女を愛しているなんて言う権利はないよ」
彼は瞳を伏せた
「やっぱり俺は ひどい男だ」
出会いは 何故 恋も愛も時間も人も選べないのだろう
ほんの少し彼に出会う時間が早かったなら….
彼じゃない他の誰かに恋をしていれば…..
そうすれば誰も傷つく事もなかった
先輩だって …….
21.
ウェディングドレスの撮影日
ビーチ近くの白い教会
彼は早朝に奥さんと 日本へ向かった
先輩もいつもと変わらない
私の足も怪我が良くなり撮影に戻った
幾つものドレスを着て
彼がいない中 代わりのカメラマンでの撮影が進んでいく
スタッフも昨日の事は一切語らない 私たちも
純白なドレスを着た彼女は凛としてやっぱり綺麗だ
「休憩に入いります」スタッフのひとりが言った
彼女は スタッフ達と楽しそうに話しをしている
「彼女はほんときれいだね」
先輩を見ながらカメラマンが言った
「はい」
「彼女ならいいモデルになるよ いや君もね」
「先輩はともかく私は….はははっ」
「いや君も 十分いけるよ」
カメラマンがカメラを向ける
「カメラ...触ってもいいですか?」
「良いよ 興味ある?覗いてごらん」
カメラマンが私の後ろから両手を回しカメラを私の目線に合わせた
「ほら 見える?ここを回してピントを合わせるんだ」
私は言われた通りにして見せた
その先に彼女が映った
あの彼はこのファインダーを通して彼女をこんな風に見ていたんだ
と 改めて思った
「もし良かったら この小さいカメラを君にあげるよ」
「えっ 良いですよ こんな大切なもの」
「これはもう あまり使わないから でもまだ十分使えるよ」
「良いんですか?私なんかが貰っちゃって」
「君が初めてだから…カメラに触りたいなんて言う娘(こ)」
「ありがとうございます 大切にします」
「いい 使い方はね…」
あの彼が見ている世界
カメラの中の彼女はスタッフと雑談している
その微笑はきれいだった
なのに儚げで…切ない
22.
撮影が終わったのは 浜辺がサンセットに染まる頃だった
水平線の上に夕陽が大きく浮かんでいる
「なんてきれいなの…」
スタッフも私たちも暫し見惚れた
「ここではね 8月の花嫁が幸せになれると言われているのよ」
現地のスタッフが言った
「へぇ~そうなの?」
「伝説があるの…
大昔 輝く太陽の神と青く美しい海の神がいて
高い空の太陽の神が青く透き通る美しい海の神に恋をしてしまうの
太陽の神は高い空の上 海の神は地の上 住む世界が違うふたり
遠い場所でお互いの存在を意識しあうだけだった
だけれど想いは募るばかり 太陽の神は切なくて泣いてばかり
美しい海の神はその姿に心が乱れるばかり
雨が降り海が荒れる日々が続いたの
そんなふたりを見かねた他の神たちが協議して
一定の時間だけふたりが近く寄り添う事を許すの
太陽の神は溢れる想いの全てを美しい海の神に注ぎ
美しい海の神はそれを静かに受け入れる
今がその時なの
あの彼方に見える水平線に太陽と海が触れる瞬間
それは太陽の神と美しい海の神のKISSの瞬間とも言われている
愛するふたりが誓いを立ててこの瞬間に
同じ様に愛するふたりがKISSを交わすと
二人の愛はどんな形でも永遠に続くと言われているの
特に8月の今の時期が一番きれいに見れる時だから
それが8月の花嫁は幸せになれるというお話につながってる」
「素敵ね….」
遠い彼方の太陽の神と美しい海の神のKISSの瞬間を見て彼女が言った
その彼女の横顔があまりにも美しくて
私は思わず貰ったカメラのシャッターを押していた
23.
ひと通りの撮影が終わり日本へ帰る2日前の事
彼が日本から戻って来た
私はあの彼の告白を先輩に伝えてはいない
私の口から言えるわけがない
彼女はいつもより長く鏡に向かっていた
お気に入りのローズ色のリップをほんのりと唇にひき
髪を整えにっこりと笑って見せた
「ちょっと出掛けてくる」
「うん...気をつけて いってらっしゃい」
彼に会いに行くことは 彼女の行動でわかる
「お昼のランチはひとりで行ける?」
「先輩 私を子ども扱いしないでください!!!
ひとりで行けますよ」
「メイクさんと行きなさいよ」
「大丈夫ですって」
「クスッ わかったわ じゃぁ 行ってきます」
「楽しんできてね」
彼女は笑顔で出て行った
これから…
あの...衝撃的告白を彼の口から聞かされるのかと思うと
胸が詰まった
傷ついて彼女は帰ってくるかもしれない
彼女の傷が癒されるのならば今夜はとことん彼女に付き合おうと…
24.
昼食が終わり
私は あのカメラをくれた彼と
「撮りたいと思うものにカメラを向けて自分が良いと思った瞬間に
シャッターを押すんだ」
「はい」
私は
雲ひとつない何処までも続く蒼い空に
果てしなく続くコバルトの海
ビーチで遊ぶ子供達
日焼けしたカップル
風に揺れているヤシの葉
色とりどりのパラソル
あらゆる物にカメラを向けてみた
「様になってるよ」
「ほんとですか?」
「ああ」
彼もまた清々しい笑顔で
ストレートの柔らかそうな栗色の髪が風になびて
あの彼より若くて日焼けの感じも色が白い
だけどモテそうな面持ちは若いだけあって….
それに彼は彼女はいるかもしれないけれど
指輪もしていないし その形跡もないようだ
私は何を比べているのだろう
可笑しい
覗くカメラのファインダーに突然飛び込んできた姿
息を切らし走ってくる指輪の形跡がある彼
私の目の前に来て
「彼女は ここに戻ってきているか?」と息荒く訪ねた
「いいえ どうしたんですか?」
「彼女と食事をしていて...その後…話しをたんだ あのことを..」
彼女は話の途中で居たたまれずにその場から飛び出していったそうだ
その後 彼は彼女を探したがどこにも見つからず
私といるのではないかと
その後 部屋に戻っても彼女の姿はなかった
彼女はどこへ…..
25.
あてもなく彼女は歩いていた
何処をどう歩いてきたのかわからなかった